神の一手

神の一手、見ました。

公式webページなし!








ちょっとしたキャプションと、この画面だけで十分な訴求力。半裸マッチョ野郎二人が向き合って囲碁打ってる。怪作の予感しかしませんよね。去年の映画秘宝記事を読んだ時からずっと気になってた作品。

これまた韓国映画なのですが、チルが選ぶ2014年映画ランキング第7位『監視者たち』にて、悪役として圧倒的な輝きを放っていたチョン・ウソンが主演。復讐を果たそうとするプロ棋士を演じています。

あらすじ。

プロ棋士の主人公は兄に頼まれて、賭け囲碁の指示役を受け持つ。莫大な金額を賭けヤクザとの勝負に臨んだ兄弟だったが、プロを凌駕する打ち筋に苦戦。

無線の故障で連絡が途絶えるうちに兄は負けを決定付ける手を打ってしまう。そのまま敗北した兄はヤクザに殺され、主人公はその罪を背負わされて刑務所へ。

復讐を誓った主人公は刑務所で出会ったヤクザに囲碁を教え、見返りとして喧嘩の技術を叩き込まれる。

気弱なメガネ棋士から、スーツの似合うマッチョに成長した主人公は、兄を殺したヤクザへの復讐を開始する…

以上、ここまでが導入部といえるでしょう。 復讐ものとしての前フリは磐石ですね。兄のダメ人間っぷりが強いために「愛する人を奪われた」という怨恨要素は薄くなっているものの、濡れ衣によって何年もの時間を奪われたという、もうひとつの理由が主人公を駆り立てるわけです。

構図が『オールドボーイ』に近いという発想は映画秘宝江頭2:50レビューを見るまで思い浮かばなかったですね。

前フリパートで不満な点は、「兄が殺されなければいけない理由が見えづらい」、「主人公が強くなる過程はもう少し綿密に描いてほしい」といったところ。

前者は「兄は生命保険をかけられていて、その受取人がヤクザである」「それゆえに殺される」とか理屈が必要。見落としてるだけかもしれないし、それくらいの背景は想像つくだろ、と言われるとその通りなんですけどね。

主人公が強くなる流れは描写がやや浅い。弱々しいバージョンの山田孝之みたいなルックスから187cmの逆三角形体型に至るまでには絶対ハードな筋トレシーンが必要だと思います。

喧嘩の技術もただ殴りあうだけで、ヤクザ直伝で実戦的なテクニックを教わるとか、あってしかるべき。それがあれば後半の伏線にもなるのに。

しかしそういった惜しい部分以外の雰囲気作りは見事。ヤクザ軍団の面子の濃さはバッチリだし、ヤクザ側につく女の棋士の正体は? 兄に付いていたおしゃべりくそ野郎の行方は? 刑務所の独房で主人公と囲碁勝負を繰り返し、勝ち続けた男はどこの誰なのか? といったフックがてんこ盛り。

出所した主人公は兄殺しのヤクザを追跡するとともに、復讐するためのチーム作りを進めていきます。ヤクザの前に参上して「もう一度囲碁で勝負だ!」とか「喧嘩でおまえをぶちのめす!」と言ったところで相手にされませんからね。

主人公に匹敵する囲碁の達人、スパイ役に適したお調子者、精密な無線装置を作り出すエンジニア…

つまりこの作品は「ケイパー・ムービー」になっていきます。ヤクザに恨みを持つ男たちが復讐を果たそうとする熱いチームもの。主人公の静かな復讐ものと思っていたのでこの展開には驚いたし大興奮!

ヤクザ相手に直接囲碁勝負をするのは盲目のベテラン棋士・通称ジーザス。韓国映画ではお馴染みの名優(名前あとでググっておきます)が演じています。

ちなみに、テーブルゲームで違法な賭けをするというヒリヒリする世界観は福本伸行の漫画『アカギ』を思い出させるわけですが、アカギにも盲目の雀士・市川が登場します。

この映画のジーザスはめちゃめちゃ深い役で、ホームレスでありながら盲人用の碁石と碁盤で囲碁を打つ天才。別離の憂き目にあった娘との感動エピソードなど、第2の主人公といってもいいくらい。

兄とも組んでいたお調子者キャラ。こいつがとんでもなくイキイキした芝居を見せていてすげーインパクト! 韓国映画界には数々のコメディリリーフが存在しますが、今後も色んな監督に呼ばれるであろう物凄い存在感!

演出の力もあるでしょうけど、シリアスな展開に笑いと緩みをもたらす存在として大活躍でした。

敵キャラも非情にバラエティ豊か。水谷豊風のボス、亀田三兄弟風の手下、時を経て色気を増した女棋士、その女棋士を遥かにしのぐ力量を持った天才囲碁少年…

復讐者チームとヤクザチームの騙し合い潰しあい戦争が静かに勃発。

それに前後してチョン・ウソン演じる主人公のアクションシーンが要所要所に的確なバランスで配置されていて、知的な戦いと肉体で語る戦いが交互に描かれていきます。

チョン・ウソンラブロマンス系作品でブイブイ言わせてきた韓国映画界随一のいい男ですが、187cmの体格を生かしたアクションも堂に入っていて、キレキレ。クールさと熱さの同居を見事に体現。

ヤクザの手下をデコピンで拷問するシーンはタメが効いててすげえ痛そう。最後にはデコピンの域を外れた○ピンでノックアウト。韓国映画の拷問シーンは素晴らしいですね。

亀田三兄弟風の手下にタイマンを仕掛けるシーン。囲碁での真っ向勝負を仕掛けるのですが、最初に仕掛けた喧嘩の段階で既に格の違いを見せつけているのに、そこから冷凍室へ連れ込んでの氷点下囲碁バトルを開始! ぶっ飛んだ発想にワクテカです。

ちなみに、この映画の中で描かれる囲碁対局はプロの目から見ても説得力があるハイレベルな打ち筋だそうですよ。チルは囲碁知識ゼロでしたが、囲碁が解る人ならなお一層楽しめる映画のです!

囲碁で勝てないと悟った亀田は主人公に殴りかかります。喧嘩の始まり。冷凍室アクションならではのアイデアはほとんど無かったですが、喧嘩でも圧勝した主人公が亀田に課す「生きるための手段」が詰め囲碁の死活問題。「問題の答えがダイヤルキーの暗証番号になっている」と告げ、主人公は亀田を置き去りに。この映画ならではのクールな展開です(冷凍室だけに)。

喧嘩を売られた事に気付いた水谷豊は、主人公サイドの刺客であるジーザスとの囲碁勝負を受諾。

ここに至るまでに、ケイパーものとしてのスケール感を増すための説得力が十分に積み重なっていて盛り上がることこの上なし!

結果的にジーザスは勝負に敗れるわけですが、裏を読み合う展開がマジで熱すぎる! まさに福本伸行作品にも似たクライマックスすぎるクライマックス。

そしてついに主人公が水谷豊と対峙! …しかしその前に下っ端ヤクザがゾロゾロと登場! 主人公は問答無用で拳を振るう! ギラつく得物も登場し、アジョシばりの殺傷アクションが展開します。

そして残った二人の戦士。彼らが選ぶ決着とは!

ネタバレをあまりしないようにレビューを書いてみましたが、面白すぎてメモしきれてない部分があります。

復讐ものというよりケイパーもの要素が強く、その完成度が異常に高いのです。キャラもめちゃめちゃ光ってるし、適度な裏切りもあります。ジャンルを超えるがゆえの牽引力も見事。

トンデモ映画どころか、類いまれな完成度を誇る素晴らしいジャンル映画です。

伏線の使い方もうますぎ。あの情報はどうなったのかな?と思っていたらエンディングでしっかり処理して終幕。安心すると共に、心の中でスタンディングオベーションでした。

ラストバトルにもたらされる決着のロジックも素晴らしい。発想のキレと圧倒的な構成力を見せつけられた素晴らしい作品でした。是非ともご覧あれ!

海にかかる霧

海にかかる霧、見ました。



2015年5月4日、TOHOシネマズ新宿にて。





http://www.umikiri-movie.com/



ポン・ジュノが脚本とプロデュースを担当、監督は『殺人の追憶』(2003)でもポン・ジュノと共同脚本だったシム・ソンボ。初監督作品だそうです。



オンボロ漁船の乗組員6人が不景気によって廃業寸前となり、仕方なく海上での密航事業に手を出してみたらとんでもない方向に転がってしまう話、です。



別の見方をすれば、ポン・ジュノ作品×役者キム・ユンソクの初組み合わせ。様々な狂気を演技で表現してきた怪優が、ポン・ジュノの世界でどう輝くか…かなり期待してましたよ。そして期待通りでした!






あらすじ。



オープニングは漁をしている場面。些細な事から得られるささやかな喜びにしがみつく船員たちの描き方が的確。神をも恐れないキム・ユンソク(そんなイメージ)が、食事の直前に神頼みしてる様子や、白熱電球に触れてその温かみにニコニコしてる船員たちなど、端的な萌え描写。



そういった端折り気味の描写の中、一番の若輩者であるドンシクが網に足を取られて海に引きずり込まれそうになります。BGMが流れる中で描かれるために強烈な印象を残す描写ではないのですが、何気ないからこそ、漁師として商売を続ける可能性をつぶす致命傷になる展開が生きるわけです。



ドンシクを助けるため、カン船長はオイルのパイプを切断します。「船よりも船員の命を優先する」というスタンスが、物語の進行とともに真逆にシフトして崩壊していくのです。



このようにオープニングから伏線が張られまくりで、後半の展開にずっしりと重みを発生させています。



水揚げゼロで帰港せざるを得なくなった号。ここで描かれるのがどん詰まりで希望の見えない未来。



船を廃船すれば国から補償金が出るぞ、とそそのかす取引先の社長。カンにとって自分の船は命同然。どんなにボロボロで故障だらけでも手放すという選択は不可能。



カンは密航を斡旋するヨ社長の元を訪れ、別の形で「漁師として船乗りとしてのプライド」を捨て密航に手を出す決断をします。この場面で前金と共に受け取るのが金色の趣味悪い時計。当然伏線アイテムです。



序盤はカン船長の船への愛着と執着を丁寧に描いていきます。自宅に帰ってみると妻が浮気していているのですが、間男を見てもカンは冷めた目で見つめるだけ。



過去にキムユンソクがぶちギレる場面を何度も見てきた我々は、ここでも激怒して素敵なバイオレンスを見せてくれると期待するのですが、不発! キムユンソクのイメージを逆方向に利用したハズシとしても面白いのですが、この描写によって「現実的社会的な家族よりも船の維持と船員を食わせる事を優先する」という根っからの親分気質を表現しているんですね。うまい。



一方、主人公的存在のドンシクは実家にばあちゃんが待っていて、不漁だったにも関わらず「大漁だったよ!」と嘘をつきます。ばあちゃん描写に弱いチルとしてはこの背景をうまく使われたら号泣しちゃうなーと思ってたんですが、登場したのは序盤だけでした。



船はいよいよ密航のために海へ出ますが、それまでにも様々なサスペンス性のネタフリが描かれ、不穏な空気はどんどん増していきます。船員一人一人が個性に満ちているし、それぞれの個性がプレッシャーを与えられた瞬間どうなるんだろう…と、いう期待。



いよいよ密航仕事開始。海上で外国籍の船と落ち合い、30人を超える密入国者たちが船から船へ飛び移る。



そこでハン・イェリ演じるホンメが海へ落下。彼女を受け止めるために待機していたドンシクは躊躇する素振りも見せずに海中へダイブ(素敵)!



船員たちの連携でホンメとドンシクは無事に生還するも、ずぶ濡れ。



密入国者たちは甲板に座らされカップ麺をふるまわれます。着替えの許されないホンメを気遣ったドンシクは彼女を船内の機関室(温かい)へ連れていきます。



この機関室という隔絶された空間がこの映画にひねりと悲劇をもたらすわけです。



6人の船員で回せる船なので漁船としても小さい。その船の周辺には海。落ちればSudden Deathな環境・シチュエーションとしての船に改めてクローズアップした物語でもあります。



ホンメの落下によって現実味を増した死の恐怖、さらには船の素人として船員達の支配下に置かれる恐怖が密入国者たちを包み込んでいくわけです。



船から船への移動という難関をクリアした密入国者たちは船員に向けて不満の声を上げ始めます。「寒い」「カップ麺なんて食ってられるか」「おまえら密入国に関わるのは初めてか?」などなど。その態度はやがてカン船長の逆鱗に触れるわけですが、このブチギレ描写の切れ味が凄すぎ!!



イラつく描写を入れてじわじわ高まる怒りを表現することでカンに感情移入させるのではなく、カンの怒りを唐突に表現することで観客は恐怖に支配される密入国者の気分を味わうわけです。



映画館を出た直後に「船長がキレるきっかけをもう少し描いてほしかったな」と言ってるカップルがいましたが、唐突に見える事こそが脚本と監督の明確な演出意図なのです。伝わりきっていないのは監督の力量不足かもしれませんけどね。チルはこのブチギレ描写に歓喜! キム・ユンソクのイメージを上手に使ってますよ。



一方気になるドンシクとホンメの関係性。ドンシクがホンメに優しくするのは本当の意味で無垢であることを表現している面もありますが、ホンメの命を自分が救ったという自負によって無意識のうちに精神的優位に立っていることを微妙な演出で表現しているようにも見えます。



やさしさを押し付けようとするドンシクの不器用な態度にホンメは明らかな戸惑いを見せます。ホンメというキャラクターは、ドンシクと違って無垢な存在としての背景を強調させる演出はありません。そんな両者間のかすかなギャップが不穏な空気感をじわじわと強調していくのです。



ホンメはドンシクの目の前で無邪気にカップラーメンをすすったり(フード理論)、急速に良好な関係を構築していきます。それは決して恋愛関係とは別物であり、ただの親近感。シチュエーションを共有するがゆえの接近なのです。



他の密入国者が甲板で寒さを耐える中、一人だけ温かい機関室にいるホンメ。彼女の存在が物語に強烈なサスペンス性のキーとなるきっかけがあります。



チョンジン号に海上保安警察の査察が入ってる間、魚倉に押し込められていた密入国者たちが、倉内に漏れだしたフロンガスによって中毒死!予想を超える超展開なわけですが、これで船上というシチュエーションの緊迫の種類がガラッと変わるんですね。



密入国者のうち唯一の生存者であるホンメの存在」をドンシクがいかにして隠し通すか、という状況に変わるのです。



この鮮やかさ! シチュエーション・スリラーとしての斬新さ! そこに至るまでの緻密なストーリーテリング! やっぱりポン・ジュノ凄いですね。観客はホンメを守ろうと奮闘するドンシクに感情移入せざるを得ません。



密航という仕事が失敗したカン船長はこれを機に自分の中の目的と希望を見失い、暴走していきます。密入国者たちの死体を切り刻んで海に捨てろと船員たちに命令。ここでドンシクが死体損壊という罪を犯すきっかけ(ホンメの存在を隠そうとした)もしっかり描かれているから、物語上の主人公として完全に悪に染まっていないという扱いなんでしょう。



船員のうち1人は異様に女に飢えていて、「1人だけ若い女がいたはずだけど死体がないぞ?」とか言い始めます。焦るドンシクは嘘を重ねてホンメの存在を隠し通そうとします。嘘が増える分だけ反動が怖くなるわけですよ!



密入国者の死、それに伴う罪悪感によって、最年長船員ワノおじさんはPTSD状態になり、幻覚の密入国者たちと話し始めます。その存在、突飛な行動はカン船長にとって大きなストレスとなっていきます。



サスペンス性のパレードですよ!



同胞の死、切り刻まれ唾棄されていく人々の姿を見たホンメは恐怖におののきます。ここでの反動的恐怖を描くため、ドンシクへ信頼を寄せる様がやけにテンポ良かったのかな、なんて邪推してしまいました。



やがて『冷たい熱帯魚』を思い出させるような濃密な陰惨さが船上を支配していきます。



カン船長は機関室でワノを殺害。ここに至る流れも丁寧かつ理路整然としていてお見事。人殺しに走ったという結果だけ見ると「予想通りだな」と感じるかもしれませんが、そこに至る過程を描くロジック、人の凶行の背景を描こうとする真摯的な作家性には深く感動しました。



ワノの死、カンの暴挙を目の前で目撃することになったドンシクとホンメは、どこにも逃げ場のない最悪のシチュエーションをお互いに理解し、すべての理性が吹き飛んでいきます。その結果2人に残ったのは原始的な本能であり、それに伴う「性行為」という答えなのです。このシチュエーションに置かれたのが同性だったら…どうなっていたんでしょうね。



ホンメの存在バレるかバレないかというサスペンスの王道展開はその後も続いていくわけですが、バレる瞬間の描き方も斬新すぎてビックリ。



欲望を捨てられず共犯者になりきれない船員たち、彼らの心を束ねる手段を失ったカン船長。歯止めの効かなくなった男たちが激突するのは避けようがありません。



誰が誰をどんなタイミングでどのように殺すか。この辺のディティールもしっかり積み上げられていて最後までスキがない。ホンメの存在もうまく使ってクライマックスはどんどん高みへ昇っていきます。



ドンシクは船の心臓部であるエンジンを破壊。カンは自分の人生が決定的に崩壊した事を悟ります。派手めのアクションシークエンスを交えたラストバトルが始まります。カンの蹴りでドンシクが吹き飛ぶところなんてケレン味たっぷり!



最後はオープニングの伏線回収。カンの最期を演じたキム・ユンソクの熱演! 足に巻き付いたロープをほどけず、それを助ける仲間がいないがゆえ(まさしく自業自得)、船ととも海中へ沈んでいく姿に涙があふれました。



救命具につかまって船から脱出したドンシクとホンメ…彼らの末路は是非映画館でご確認ください。



というわけで『海霧』。今の自分が一番好きなタイプの脚本でした。デビュー作とは思えない監督の腕力にも驚きましたし、さすがはポン・ジュノ脚本だな!と。



ドンシク役のJYJパク・ユチョン。一見してカッコ良いとは思えないヘアメイクで出演しており、その心意気を引き出す韓国映画界は流石だなと思いました。予告編でカッコ良く映ることより、クライマックス以降に「うわ、こんなにカッコいいんだ」って思わせればそれで十分なんですよ。それによって作品のリアリティが大きく増してるんだからね。



ヒロインのハン・イェリは…やはり今韓国映画界で最も注目すべき女優なのは間違いないなと思いました。2015年ベストガール候補! セックスシーンもさることながら、寄せては返す不安の波を演じきる覚悟! 見事でした。



あ、1つ疑問に思ったのはフロンガスのきっかけを作ったのはもしかしてホンメ? あの何気ない萌え描写が大量死のトリガー? だとしたらすげえ悪意だな!!



そしてやっぱり、キム・ユンソクは熱量が半端ないです。フリとしての演技、フリを受けての演技。言うことなしですね。スリラー映画のアイコンとして今後も様々な作品に出ていただきたい。



以上、『海にかかる霧』、超オススメです!





セッション

Whiplash(セッション)、見ました。

2015年4月17日、TOHOシネマズ新宿にて。4月21日には東宝シネマズみゆき座で観賞。

http://session.gaga.ne.jp/

公開初日に見たから言えることですけど、これはすぐにでも映画館で見るべき大傑作です。今年1本くらい映画を見てやってもいいよと考えるなら、とりあえず『セッション』を見てください。

想像を超越する裏切りがあるし、その先に描かれているものは映画の枠を超えた領域。

「自分は何を目にしたんだろう?」 その答えに辿り着くため、この映画を見てからのチルは何度も何度もクライマックスの光景を回想し続けています。

まずこの映画の概要について。

脚本・監督を担当したのはデイミアン・チャゼル。製作当時28歳だった彼にとって、初の長編監督作品。インディペンデントを評する最高峰の映画祭サンダンス・フィルム・フェスティバル2014にてグランプリと観客賞を受賞。2015年アカデミー賞にも多数ノミネートされ、J.K.シモンズが助演男優賞に輝いた。

昨年公開された『フルートベール駅で』もサンダンス映画祭2013で2冠に輝いていて、個人的にはものすごく感動したので、当然『Whiplash』にも期待をふくらませていたんですが。

しかし『Whiplash』の評判はフルートベール駅でよりも遥かに大きく、「ラストシーンがスゴい&ヤバい」という表現も伝わってきてました。最後に何が待ってるんだろう?みたいな意識は出来るだけニュートラルにしてから見に行きました。

4月17日金曜日、この日は新宿歌舞伎町のコマ劇場跡地に出来たTOHOシネマズ新宿のオープン日でした。仕事を終えて埼玉から新宿へ。

http://www.toho.co.jp/shinjukutoho/

ドドーンとオープンした新宿東宝ビル。ゴジラもお気に入りみたいです。この日は強い雨が降ってましたが映画館ロビーは人でいっぱい。なんか嬉しかったですね。

Whiplash(セッション)はこの日だけで16回上映。ワイルド・スピード最新作に負けないくらい最大級の注目作品といえるでしょう。

さて、あらすじを追っていきます。まだご覧になっていない方も、途中までは読んでオッケーだと思います。

薄暗い教室でドラムを叩く青年・アンドリュー・ニーマン。その部屋にスキンヘッドの中年男性が入ってくる。(以下のセリフは不正確です。)

「私が誰か知っているか?」
「は、はい…」
「私が演奏者を探していることも?」
「はい」
「だったらなぜ叩くのを止めた?」
「す、すみません」(叩きはじめる)
「…演奏者を探している事に対する答えがゼンマイ式のサルのモノマネなのか?」

再びドラムを叩き始めるアンドリューだが、男は部屋を出ていく。呆然とするアンドリュー。ドアが再び開いて中年男が表れ、「ジャケット忘れた」と言って上着を手にするとすぐに出ていく。

この中年男が、アンドリューの師となる教師フレッチャー。演じているのはJ.K.シモンズ。予告編で見られた緊張に満ちた教室での対面シーンとは違う形で出会ったため、意外でした。

この場面で既にフレッチャーの性格がちゃんと表現されてるんですよね。ただ「イヤなおやじ」、「性格悪すぎ」そういう単純な言い方は不正確で。

この登場シーンからしフレッチャーはアンドリューという人間をコントロールしようとしているわけですよ。術中にはめる、手中におさめる。そんな意図がビンビン感じられる。そんな意図をビンビン感じさせる、チャゼル脚本とチャゼル演出の素晴らしさ。いやらしさに満ちたセリフ1つ1つがしっかり練りこまれてます。しつこくなくてキレのある悪意。

アンドリューは最初の授業を受けるため登校。登校初日というよりは転入したて。同じドラマーのライアン・コノリーとは仲が良さげ。

フレッチャーのレッスンの前に、別の黒人教師による授業風景が描かれるのですが、これによって「音楽学校における普通の授業」を事情を知らない素人である観客に伝えています。このシーンがないと一面的な描き方に終始してしまうし、偏見を植え付けかねない。さらにはフレッチャーのレッスンの異常さを際立たせているんですね。

授業中にフレッチャーが突如表れ、「May I?」と一言言うだけで黒人教師は教壇を譲ります。明らかなパワーバランス。

フレッチャーの前でいいところを見せようと張り切るアンドリューですが、彼の演奏はすぐに止められてしまう。1曲どころか1小節も叩かせてもらえないほどのシビアな要求に驚き、凹みます。ションボリするアンドリュー。フレッチャーは「ドラムス、来い」と呼びつけます。ライアンが呼ばれたと思いきや「いや、後ろの方だ」と指名されるアンドリュー。「B-16教室、明日の午前6時だ」と招集がかかります。

沸き起こる歓喜、止まらないニヤニヤ。「ほんの少し叩いただけでも分かる人には分かるんだ!」そんな感情が見えてくるかのようです。そんな彼に対して突き刺さる目に見えない嫉妬。プロを養成する場としての音楽学校におけるシビアな現実を描いています。

順調に滑り出したアンドリューは有頂天。映画館受付の女の子をデートに誘ってオッケーをもらいます。公私ともに充実!至極まともな学生生活なんですが、そんな光景を見ていると「おいおいデートなんて誘ってる場合かよ」と思ってしまうんですよね。この時点ですでに、フレッチャーの威圧感に観客としての自分が支配されているようで恐ろしい。

いよいよフレッチャー選抜バンドの練習に初参加するのですが。朝6時から始めるぞと言われていたのに寝坊。急いで教室に駆け込むものの、誰もいない。ドアの横の張り紙には朝一の練習は午前9時からであることが書かれています。

フレッチャーによる嫌がらせ第一弾です。

この辺りからこの作品がスリラー映画としての体裁に近づいていきます。アンドリューと、捕食者としてのフレッチャー、二者の距離感が観客の感情を支配していくのです。

9時になってフレッチャーバンドの練習開始。アンドリューは2番手ドラマーとしてメインドラマーのサポートに入ります。この辺りも十分なリアルさを感じるし、フレッチャーによる恐怖政治をやや客観的な立場から見せてくれます。段階を踏んでいる。

新入りアンドリューを紹介するフレッチャーの口ぶりは歓迎ムードであり、ジョークを交えて紹介してくれます。

その後に、吹奏楽器隊の中から音程がずれている人間を炙り出すシークエンスは、フレッチャーが持つ「恐怖を植え付ける才能」を見事に描いています。そこには「正しい方向へ導くためのロジック」は微塵も感じさせず、絶対君主の存在感だけが際立っているのです。客観的に見ていたつもりの観客も恐怖の坩堝に巻き込まれていきます。

休憩を取ることになり、廊下に出たアンドリューはフレッチャーから優しい言葉をかけられますが、この後の展開を知っているゆえ、もはやネタフリ=ムチを振るう前の飴玉にしか見えません。

フレッチャーは両親について何気ない口調で問いかけるのですが、これは一種の伏線であり、主人公アンドリューの背景を説明する限られた機会としても機能しています。構成として巧い。

フレッチャーの自分に対する態度を見たアンドリューは「自分は才能があるんだ、バンドの救世主となるべく呼ばれたんだ」とばかりに浮かれ気分で練習に初参加するのですが、その気分をフレッチャーは躊躇なく破壊します。

予告編でもフィーチャーされている罵声罵倒の嵐。これ以上ないハラスメント、そして暴力。JKシモンズの新境地をたっぷり、嫌になるほど見せつけられます。学校や勤め先で厳しい指導を受けたことがある観客の誰もが己の人生を重ね合わせる場面であり、そのどれよりもハードコアなフレッチャーの指導。

ビンタと罵声に涙を堪えきれなかったアンドリューは「悔しいです!(I'm upset!)」と連呼するよう強要され、グロッキー状態に。夢を持った青年の心があっけなく壊されていくのを観客は傍観するしかありません。

精神的にめった打ちにされたアンドリューでしたが、すぐに奮起して猛練習を開始。手には傷が出来、バンテージで止血しながらドラムを叩き続けます。音楽的には何一つ気持ち良さを感じられないような無意味な高速シンバル打ち。こういう描写を見て馬鹿だなとかマジレスしてる映画音痴もいるみたいですが、ここでは無意味な方向に突き動かされている若者を描いてるわけですよ。

その後で描かれるのが映画館の受付嬢とデート。ここで描かれるのは「大きな目標を持った主人公」と、「さして目的意識も持たずに生きているごく一般的な学生」のギャップです。この両者のギャップをモロに描いている様はあまりにも残酷。そしてもちろん2人の若者にとってはそれくらいのギャップは大した問題じゃないんです。それがまた悲しい。

フレッチャーのバンドがコンテストに参加。アンドリューはドラムの2番手として会場に随行しているのですが、悪運によってコンテストで1番手ドラムに抜擢されます。ここの経緯は詳しく書かずに「見てのお楽しみ」としておきたいところ。

アンドリューの起用も、もしかするとフレッチャーの意図によるものなのかもしれない? なんて思ったりします。アンドリューの人為的なミスによって一番手ドラマーは地位を奪われるのですが、遅かれ早かれアンドリューを重用するつもりだったんじゃないかと。

このコンテスト(結果は優勝)を機にアンドリューはメイン奏者へと昇格。

その後の「親戚が集まっての会食シーン」、これがおぞましくてリアルで本当に強烈な場面なんですよ。

アンドリューは(色々と苦労したにせよ)順調に実績を残してそれなりにプライドを持っている。しかし親戚が集まった場所ではアンドリューのやってる事の意味・価値を理解する人間が1人として存在しないのです。

2人の従兄弟たちはそれぞれ大学での学業だったりスポーツだったりで結果を残しているんですが、アンドリューから見るとそれらの結果は何の価値も見いだせないのです。大学のアメフトで93ヤードのパスを決めたと聞いても「でも所詮は3部リーグだろ?」と率直に見下してしまう。

逆にアンドリューが「僕はアメリカ1の音楽学校の最高ランクのバンドでドラム叩いてるぜ」と豪語したところで「でも音楽って聴く人の主観で採点されるものだろ?」と馬鹿にされる。自分を理解しようとしない親戚連中に対してアンドリューはだんだんと苛立っていくのです。

父親の兄と思われる叔父の存在が、すっごく絶妙な憎たらしさを具現化した存在として描かれていて!! アンドリューの自慢話が続きそうになると話題を変えるし、自分の息子がアンドリューに責められると「おまえ友達いるのか? うちの息子たちは友達たくさんいるぞ?」と、的外れな攻撃を繰り出してくるのです。

すんげーーーーーーーーーーイヤなオヤジ!!!(あるある!いるいる!)

アンドリューがなんとか反論しようとしたところでトドメを刺すのがアンドリュー自身の父親なところが本当に痛々しい。「それでおまえ、どこかからスカウトされたか?(スカウトされたわけでもないんだから調子に乗るなよ?)」とたしなめられ、アンドリューは完全に孤立。食卓を去ることに。

強烈なリアリティと、人間の心理を見事に描き切った名場面ですよ。

孤独感を再認識したアンドリュー、学校でもさらなる困難が待ち受けています。かつてクラスメイトとして交流していたライアン・コノリーがフレッチャーバンドの3人目のドラマーとして加入するのです。

このコノリーというキャラの描き方も悪意に満ちていて。こいつは基本的に馬鹿なんですよ。ヘラヘラ笑ってるし、フレッチャーの前で初めて叩くシーンではスティックを忘れてアンドリューに臆面もなく借りるし。

そんなコノリーのドラムプレイをあっけなく絶賛するフレッチャー。アンドリューは「こんなクソみたいな演奏で!?」と抗議の声をあげます。この時点でアンドリューは「友人をこき下ろす事になんの抵抗も感じていない」「フレッチャーに対しても口ごたえする」という、危ない人間性を露呈しています。でもコノリーはアンドリューの言い方にイラだったりしてないんですね。とにかく無能。

このコノリー参加シーンの途中でフレッチャーの携帯が鳴り、フレッチャーは退室。それを追いかけて抗議するアンドリューですが、深く沈んだ様子のフレッチャーに叱責され退散。ここは後の場面につながる描写です。

その直後にアンドリューは彼女のニコルと別れることを決断。ここでの言い分も「君と会う時間が作れそうにない。会う時間が減れば君はきっと僕に不満をぶつけるだろう。それに対して僕はストレスを感じるだろう。だからそうなる前に別れよう」という勝手極まりない内容。アンドリューも既に一線を超えてるんですね。

コノリーが参加する初練習。フレッチャーは控えめのトーンで生徒に語り出します。6年前に教え子だったサックス奏者ショーンが交通事故で亡くなった、と。「ショーンはギリギリで昇級を果たすくらいで決して優等生ではなかったが、私だけは彼の才能を認めていた。彼の演奏をもっと聴いていたかった…」なんて言いながら涙ぐみます。

(この辺から核心にせまるネタバレを含みます!!)

このフレッチャーの涙、映画を最後まで見た人にとってはこの場面のフレッチャーがいかにおぞましい存在なのかがよくわかるでしょう。

そしてこの涙の直後にフレッチャーが3人のドラマーに課す最凶レベルのしごき。フレッチャーはBPM400でのシンバル(ハイハット?)連打をキープするよう命じるのですが、誰ひとりとしてフレッチャーの要求に応えられず、そのまま何時間も経過。腕や手の痛みは限界を超え、汗と血が滴り落ちます。

この場面って、フレッチャーがストレスのはけ口を3人に見出しただけなんですよね。耳にしたくなかった情報がフレッチャーの耳に飛び込んでくる。それに対して冷静に対処できないまま、若い生徒たちが八つ当たりを食らう。フレッチャーの異常さが際立っている場面です。

3人はありとあらゆる人種差別用語を浴びせられ、ムチャな要求に耐え続けます。やがて5時間が経過したところでようやくアンドリューが合格ラインに達し、地獄から解放されます。しかしこの合格ラインというのもフレッチャーの胸三寸で決められた至極曖昧なもの。やっと解放されたものの、そこから他のバンドメンバーとの合同レッスン開始。地獄から地獄への移動。

明け方、魂が抜けたかのような状態のバンドメンバーに対して「明日の朝○時にコンテスト会場に現地集合だ」と言い放つフレッチャー。この描写を見ると「フレッチャーもめちゃめちゃタフだし、命かけてバンドと向き合ってる凄い人間なのかも」とか思っちゃいましたね。

地獄系特訓の後のコンテスト。

アンドリューは「乗ってるバスがパンクして」「レンタカーで車を借りて会場に急行するものの」「スティックをレンタカー屋に忘れて」しまいます。

そのまま会場に到着するとフレッチャーから「よく来てくれたな。しかしおまえの代役としてコノリーに叩かせることにした」と言われます。「そんなことは認めない!あなたにそんな権利はない!」と抗議するものの「私のバンドの事は私が決める! 自分のスティックも持ってないやつにドラムは叩かせない!」と拒否。

この場面が恐ろしいのはアンドリューの言い分に正当性がまったく感じられないところ。アンドリューに明白な落ち度を用意することで、スリルを提供する側だったフレッチャーの悪意を希薄に描いている。

自分のスティックを取りに戻るアンドリュー。レンタカー屋でスティックを発見し、そのまま会場へとんぼ返り。しかし途中で信号無視をしてトラックと激突。乗っていた車は横転し、走行不能に。

この辺の展開はとても残酷で、不可避な運命をアンドリューに背負わせているようでもあるのですが、実のところ「スティックを忘れる」「携帯電話で話しながら運転」という過失を犯している。

しかしここで描きたいのは展開ではないんです。こういう展開になったらビックリするでしょ?という意図のシーンではなくて、ドラムで自分を証明することしか頭にない主人公がステージに立つことを諦めざるを得なくなったら…という状況を用意して、アンドリューというキャラクターをさらに深く描こうとしている。

事故でただならぬダメージを負ったアンドリューですが、血を流しながら徒歩で会場に到達。血まみれの服装でドラムを叩き始めます。悪魔のごとき支配者だったフレッチャーもアンドリューの執念に戸惑いを隠せません。

しかしアンドリューのダメージは色濃く、スティックを落とし、リズムが狂い、やがて叩く事が出来なくなります。フレッチャーは彼に「You are done.(おまえは終わりだ)」と告げます。ドラムセットを蹴りあげてフレッチャーに殴りかかるアンドリュー。このリアクションを見ても、失敗することが許されない状況にいるという「幻想」に取り憑かれていたことが分かるのです。

アンドリューは音楽学校を退学。それと同時に、フレッチャーの教え子だったショーンが事故死ではなく鬱病に伴う自殺だった事が分かるのです。弁護士?はフレッチャーが度を超えた指導を行ったせいでショーンが犠牲になった事を証明するべくアンドリューに証言を求めるのですが、彼は証言を渋ります。恐怖の支配がまだ続いているからでしょう。

秋から始まった物語は夏を迎え、アンドリューはコーヒーショップでバイト中。コロンビア大学への入学手続きを進めたりする中、とあるジャズバーの入り口に看板を見つけます。

スペシャルゲスト テレンス・フレッチャ

アンドリューはバーに吸い込まれるように入店し、そこでピアノを演奏しているフレッチャーを見つけます。演奏が終わったところで店を出ようとするも、フレッチャーに呼び止められます。

退学以来の再会は穏やかな会話に終始。フレッチャーはシェイファー音楽学院をクビになった事を告げます。ショーンの同期の生徒か誰かが自分を告発したんだろう、と言いながらも毒気の抜けた優しげな表情を浮かべる。そして、理想を追い求めるがゆえに厳しい指導に徹したんだと告白。それを聞くアンドリューも優しく微笑む。

英語で最も危険な2語、それはGood Jobだ。

そんな言葉で褒められたことで1つの才能が世に出られなくなるかもしれない。私にしたらそれは究極の悲劇だ。

そんな名台詞を急にドロップするフレッチャー。説得力があるように見えます。

店を出た2人は別れを告げるものの、フレッチャーがアンドリューを呼び止めます。「JVCジャズコンテストに出場するバンドに参加してくれないか。あの頃やってた曲…WhiplashとCaravanを演奏するつもりなんだ」と言ってアンドリューを勧誘。

なるほど、こういう形で和解した2人が素晴らしい演奏を作り上げていくんだな…そんな安易な予想は数分後完全に覆されます。

久しぶりに叩くドラムセット、久しぶりに着こむ正装。今度こそ準備万端の状態で自分のドラムテクニックを披露できる。フレッチャーの勧誘を受諾したアンドリューは武者震いを打ち払いながらステージ上のドラムの前に着席します。

そこに近付いたフレッチャーは「私を見くびるなよ」「おまえが告発者だな」とささやいてから指揮者のポジションへ。ここで観客はフレッチャーの悪意、アンドリューに対する敵意が未だに消えていなかった事を知るのです。

アンドリューは混乱したままフレッチャーの様子を伺います。観客もアンドリューと同じくらい混乱します。ここに来てこの展開はなんなんだ!? フレッチャーはジャズのスタンダード曲ではなく新曲タイトルを告げるのです。

聞いたことすらない曲をいきなり叩くことを強いられるアンドリュー。なんとかアドリブでついていこうとするのですが、曲構成を読むことはできず、グッダグダの散々な演奏に終わり、まばらな拍手を浴びます。

これがフレッチャーの復讐だったのです! ドラマーとしての心を完全に破壊するために彼が選んだ悪魔的な計画。アンドリューはドラムセットから離れ、ステージ袖へ。そこには異変を感じ取った父親が待っていて、アンドリューを抱きしめます。観客はフレッチャーの執念/燃え尽きることのない悪意の前に沈黙するしかありません。

(ここからさらに衝撃的な展開が待ってます! 映画未見のあなたは読むのを止めて映画館に行きなさい!)


しかし!!!

アンドリューは目を見開くと再びステージへ戻っていき、ドラムセットに再び座ります。そんなアンドリューを無視し、フレッチャーは次の曲を始めようとオーディエンスに向けてアナウンス。「次はスローな曲でおなじみの・・・」

そんな言葉を遮って、ハイテンポなドラム演奏を勝手に始めるアンドリュー!

バンド構成員たち、そしてフレッチャーが唖然とする中で思いの丈を全てぶつけるかのようなドラミングを続ける。ウッドベース奏者に意図を問われたアンドリューは「I cue you! (俺が合図を出す!)」と言い放ち、ドラムを打ち続ける。

ベースマンはアンドリューに合わせる形で『Caravan』冒頭のベースラインを奏で始める。やがてバンドメンバー全員がCaravanに参加!スウィングを始めたバンドを誰が止めることができるだろう!指揮者に支配されないジャズ・バンド!

このCaravanが、高らかなホーンの音色と共に終わった…と思ったらまだドラムを叩き続けるアンドリュー! 完全に独りよがりなドラムソロ! 再び唖然とするバンドメンバーと、フレッチャー。

アンドリューに近付いたフレッチャーは「What are you doing !?」と問いかけるが、ここでも「I cue you!」と返答! そのまま延々とドラムソロを続けます。その長さおよそ5分!

アンドリューの常軌を逸したドラミングを目にしたフレッチャーは「おまえの目玉をくり抜いてやるからな!」などと言って威圧するのですが、アンドリューは目の前でシンバルをぶっ叩いてフレッチャーに返答するのです。「黙ってろ」と。

アンドリューが恐怖で支配できるような存在ではないと悟ったフレッチャーは次第にアンドリューのリズムに共鳴し、乗せられていきます。長年の教師生活ですっかり曇りきっていた彼の目は、アンドリューのむき出しの魂によって本来見るべきだったものが何なのかをやっと理解するのです。

ドラム奏者と指揮者という本来の関係に戻った2人。アンドリューの演奏は、平坦な道のりを進んでいたら絶対に辿り着けなかった異次元の領域に突入していきます。そしてフレッチャーは目を輝かせ、全身にリズムを吸収しながら目の前にいる才能と真正面から向き合います。

衝撃でシンバルが傾いたのを見て元の位置に戻すフレッチャー。演奏途中にジャケットを脱ぎ捨てるフレッチャー。こんな何気ない描写で、アンドリューの熱にフレッチャーが飲み込まれたのを映像的かつ音楽的に表現しているんです。これこそ映画の凄み!

3人のドラマーが猛特訓させられた超高速打ちがここで再び見られるのも泣けます。

テンポが徐々に落ちていき、それを見ながらフレッチャーが「落として…落として…落として…よし、ここから上げて…上げて…上げて…」と目と手振りでアンドリューに指示。それに答えるアンドリュー。2人は完全に同じ方向を向いています。

思う存分にドラムソロをぶちかましたアンドリューはリズムを止め、何かを悟ったかのようにフレッチャーを見つめます。その目を見つめるフレッチャー。アンドリュー。フレッチャー、何事かつぶやく。アンドリュー、笑顔。フレッチャー、バンドにcueを出す。

バンド全体が締めのフレーズを演奏し、アンドリューは最後の力をドラムに叩きつける。シンバルとハイハットを叩いたところで暗転。この映画は終わります。

こんなラストシーンを文字で表現してもすごく虚しいので、ここまで読んだ方でまだ見ていない人はすぐに映画館に走るなりレンタル屋に走るなりしていただきたいのですが、それにしてもデイミアン・チャゼルはラストシーンをどうやって脚本で表現したんでしょうか。

このラストシーンの凄さはまさしく筆舌に尽くしがたいというやつで。それでいて観客それぞれが、映画内で何が起きたのかを読み解く余地のあるものすごく深いシーンになっているんですよ。

今作がジャズを取り扱った映画とはいえ、このラストのコンサートシーンは「戦い」なんですよね。

しかし殴って殴ってノックアウトすればいい、銃弾をぶちこむなりビルの屋上から突き落とすなりすれば勝負が決するアクション映画とは違う、音楽映画なんです。

アンドリューがこの戦いに勝ったのは「俺はあんたにどれだけ妨害されてもくじけないぜ。ドラムを叩き続けるぜ」と意思表示した瞬間なんですよね。

そして敗者であるフレッチャーは白旗を上げる代わりに、アンドリューのリズムに飲み込まれて同調し共鳴したんだということを示した。

このアンドリューの意思表示で思い出したのが、『ダークナイト』のラストでバットマンの選択です。バットマンの崇高なる意志と選択に対してゲイリー・オールドマン演じるゴードンは畏敬の念を覚えます。

そして今作のフレッチャーが作中で示す終わりの見えない悪意は、これまた『ダークナイト』におけるジョーカーの所業のようでもあります。

バットマンの真っ直ぐすぎる魂でさえ書き換えることが出来なかったジョーカーの信念。

しかしアンドリューは絶対悪であるフレッチャーの心を浄化してみせたのです。ドラムを叩き続けるというひたすらにシンプルな方法で。

こんな形で決着する戦いを、私は今まで見たことがありません。そしてそんな結末が、ジャズを題材にした映画の中で描かれるなんてまったく予知していません。だからこのWhiplashという映画は凄いのです。

音楽とは一体何なのか? そんな問いかけもこの映画には含まれているように思うのです。心を消し去った先に真に価値のある音楽があるのか? どんな音楽も心が無ければ意味がない? 本当に? 人はどんな音にグルーヴを感じるのか?

そして、映画とは一体何なのか? 我々が映画に、フィクションに求めるものって一体なんなのか? なぜこの物語に心を揺さぶられたのか? そんな事まで思いを巡らせざるを得ない、ものすごいインパクトの作品でした。これを傑作・名作と言わずして何と言いましょうか。

どこまで言ってもこの映画を語りつくすことは出来そうにないのでこの辺で止めておきます。

アンドリューとフレッチャーの演技が壮絶なものであるのは言うまでもありません。ここまで出来る役者が世界に何人いるでしょう?

繰り返しますが、今年1本映画を見るならとりあえず『セッション』を見てください。ダークナイト以来の衝撃という意味では5〜6年に1本の大傑作。しかもどう見ても低予算な作品。日本だって作り得るサイズの映画なんです。こんな映画見せつけられたら、そりゃもう I'm upset!ですよ。

こんな映画に出会えて良かった! 脱帽です。

はじまりのうた

はじまりのうた、見ました。2015年2月23日、シネ・リーブル池袋にて。

http://hajimarinouta.com/

オープニング、狭いBARで弾き語りライブをしている男(スティーヴ)が「ここで僕の友人であるグレタに歌ってもらおうと思うんだ!」と言ってそばに座っていた美女をステージに引っ張り出す。

ものすごく消極的ながら、しぶしぶ歌い始めるグレタ。しかし会場からは雑談が絶えず、観客はロクに聴いていない。そんな中で一人、恍惚の表情を浮かべて歌に聴き入っている中年男がいた。

場面は変わって朝日の差し込むマンションの一室。ベッドで眠るのは堕落した生活を送っている中年男・ダン。電話で起こされた後で向かうのはハイスクール。背伸びファッションの娘・バイオレットを拾ってそのまま仕事場へ。

男の職場はレコードレーベル。会議真っ最中の部屋に登場して空気の読めない反対意見をわめく。呆れた表情のスタッフたち。ダンは会社の創設者だったが、数年間に渡る堕落っぷりにいよいよ愛想を尽かされ、クビを言い渡される。

ダンはそれなりにショックを受けて街を彷徨い、とあるBARに辿り着く。バーボンを飲んでいる途中で聴こえてきたのはグレタがギター1本で弾き語りする声だった。ダンは彼女の歌とギターのフレーズを聴いているうちに、曲に深みを与えるアレンジ音を自然とイメージ。理想の音に仕上げていきます。

そんな感じでオープニングシーンに戻って「ああ、この場面か」と感じる瞬間が訪れます。時系列を大胆にイジってるんですね。

グレタに名刺を渡すダン。ストレートに称賛し、スカウトします。グレタは作曲活動をしているもののプロ志向ではなく消極的。ダンは自分の気持ちをひたすらにぶつけてグレタの気持ちを動かそうとします。

ダンを演じているのはマーク・ラファロ。『フォックスキャッチャー』の演技で今年のアカデミー賞にもノミネートした名優です。彼が演じるダンはとにかくしゃべりが達者で、ユーモアがあり、熱意があり、カリスマ性があります。キャラクターとしてとても魅力的。脚本段階でのキャラ造形という点だけ見ればお見事。

グレタを演じるのはキーラ・ナイトレイ。あまり馴染みがない女優さんですが、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのヒロイン役みたいですよ。グレタはダンのペースに翻弄されながら、同時に自分の本心に向き合い、生き方を変えていく大人未満な女性です。

ダンの押しに根負けしたグレタは本格的にCDデビューすることを決意します。ニューヨークという街を出ていく直前に沸き起こる変化。彼女は不意に、ニューヨークへやってきた当日に撮影したビデオを見始めます。そこには最高のパートナーだったデイヴと共に希望に満ちた自分が映っていた…

ここからグレタの回想がスタートし、オープニングのBARに至るまでを通しで描いていきます。こういったシーン構成はなかなか感心しました。

自分の曲が映画の挿入歌に選ばれてブレイクしたシンガーソングライターのデイヴ。その恋人でありながら、作曲でもお互いに刺激し合ってきたグレタ。性急でなく、現実と対面して少しずつ傷つきながら今に至る過程がじっくり描かれていきます。

ニューヨークのレコード会社に到着して最初のミーティングにさり気なく登場したアジア系女性社員のミムってのがいるんですが、そのルックスと自己紹介の声のトーンだけで「あ、この女とデイヴくっつくな」と思ったんですが、その通りの展開になりました(笑) 熱っぽい視線を送るとかそういうんじゃなく、あくまでも存在感だけで予感させてくれたので、この監督すごいなーと後で思いました。

オープニングシーンに戻って、そこからスカウトに乗った後のグレタが描かれていくんですが。グレタに入れ込んでいるプロデューサー・ダンは「デモテープじゃなくていきなりアルバム作っちゃおうぜ!」と息巻くのです。バンドメンバーをかき集め、ニューヨークの色んな場所で一発録音! 無茶な勝負を挑みます。

チルが懸念に感じた問題はここからなんですけど。アルバム製作の過程があまりにもトントン拍子で進むのがどうも性急に見えてしまって。

特にバンドメンバーを集めるくだり。ダンが実績のある名プロデューサーってのは分かってるんですけど、名も無きシンガー・グレタのためになぜこれほどの有志が集まったのかを描く過程が、要所要所、大音量のBGMでけっこう誤魔化されてるんですよ。

音に乗ってハッピーな顔したミュージシャンたちが集うと、たちまち最高のグルーヴが生まれる! そんな感じで。そのストレスフリーな展開を見てると、逆に「もっと苦労してくれよー」とか思っちゃって。

どちらかといえばグレタよりもダンに感情移入して見ている36歳男子ですから、落ちぶれた男の再生物語という意味で「ダンに足りなかったのは『才能と出会うための運の良さ』だけだったの?」とか思っちゃって。もちろんグレタにしても「才能を見出してくれる人と出会えなかっただけの同情すべき存在なの?」とか。

負け犬がヒップホップに出会って再生を試みる『ハッスル&フロウ』という映画がありまして、あの映画の「苦労して苦労して、ようやくこの音源を作り上げたんだ!」という過程と比較すると、グレタとダンにはもっと乗り越えるべき障害を設定すべきだったと思うのです。

そういうフックがあったらもっと燃えるし感動的になった作品だと思うんですが、そこが個人的に物足らなかったところです。オチも含めて、ストーリー全体の構成は悪くないんですけど。

デイヴを演じているのがマルーン5のボーカリストらしいのですが、彼のキャラがなんだかんだ言ってクソ野郎になりきれず、浮気してグレタを捨ててるにも関わらず、終盤では反省してよりを戻そうとしてるし、この辺を見ると大物ミュージシャンを起用した苦労と欠点が明らかだなあなんて思いました。

でもデイヴの「君が作った曲がどんなにみんなが愛しているか知ってほしいんだ(だからライブに来てくれ)」というセリフにはキュンとしてしまいましたよ。

「素晴らしい音楽には苦労があるんです」「人は努力次第で再生できるんです」そういうメッセージ性を求めていた自分としては、肩透かしを食らいましたが、「音楽に浸れる」という意味では間違いなく期待に応えてくれる作品です! 是非映画館でご覧あれ。

フォックスキャッチャー

フォックスキャッチャー、見ました。2015年2月23日、シネ・リーブル池袋にて。



http://www.foxcatcher-movie.jp/ 




出演はチャニング・テイタム、スティーブ・カレル、マーク・ラファロ。監督は『カポーティ』『マネーボール』を手がけたベネット・ミラー



冒頭から追っていきます。



タイトルバックでは大富豪であるデュポン一族がキツネ狩り(foxcatcher)をしている映像。デュポン家に保管されていたフィルムか何かでしょう。やたら広大な敷地、広大な森林と平地。馬に乗っている少年のうちの1人はジョン・E・デュポンなのでしょうか。



続いてマッチョな白人男が一人でレスリングの練習をしている場面。革張りの人形に思い切りスープレックスを決めるチャニング・テイタム。見ようによってはセクシーです。



そのチャニング・テイタムが演じているマーク・ラファロ1984年のロサンゼルスオリンピックではレスリングで金メダルを獲得。しかしその栄光は微塵も感じられないような生活の様子が描かれていきます。小学生相手の講演会のギャラは20ドル。ジャンクフードを死んだ目でむさぼりながらハードなトレーニングを続ける日々。



マークの兄・デイヴは家庭を持っており、2人の子供がいる。マークに比べれば幾分充実しているように見える。マークの困窮に出口は見えない。



そこに現れるのがジョン・E・デュポン。マークとデイヴを自分の所有する土地に住まわせてトレーニングするよう提案します。ジョンは有り余る財力をアスリート(その中でも自分好みのレスラーたち)育成に活用しようと考えたのです。



マークは移住を決意します。拒絶して今の貧乏生活を続ける理由がないからです。充実した施設と、同レベルのパートナーと、多額の報酬。競技者として集中できる環境=チーム・フォックスキャッチャーの一員になる事を素直に受け入れるマーク。一方でデイヴは家族との生活を選択して移住を拒否。



ここからマーク、デイヴ、そしてジョンの静かなる三角関係が描かれていきます。逆に言うと物語としてはあまり進展が無いです。



ジョンの思想に少しずつ感応して共感していくマーク。ジョンと共にデイヴの自宅を訪問する場面、ジョンが姿を見せてもロクに挨拶しないデイヴの家族。ジョンは気にしてない様子なのですが、マークは「デュポン家のす、すごい人なんだぞ! 挨拶しろよ! ベッドに座ったままってどういうことだよ!」と怒ります。



こういった地味な心の変動をじっくり描いていく展開。正直言ってすごく面白かったです。ジョンの心がどう動いていくのか、いつの間にか自分がすごく集中して観ているのに気付かされるのです。



しかしその好奇心も、後半には失速しちゃいました。



マークはジョンにそそのかされてコカインだかヘロインだかに手を出し、レスリング選手としてのキャリアを実質的に終わらせます。



それと前後してジョンは「やっぱりデイヴを呼ぶ!」と言い出し、高待遇に惹かれたデイヴは家族と共に移住。蜜月の兄弟関係が復活し、ジョンの精神状態に揺さぶりをかけます。マークというおもちゃに飽きたジョンがもっと良いおもちゃを取り寄せたような感じ。



ところがデイヴはマークより数段頭が良く、家庭もしっかり作り上げた大人の男。うまくコントロールできずにストレスを抱えていくジョン。



マークもマークで、ジョンに対する敬意がどんどん失われていき、やがて完全に心が離れます。



その結果に納得が出来ないジョンはデイヴを唐突に射殺。映画は終わりです。



前半は心の動きが割と理解できるし、だからこそラブロマンスとして面白いんですけど、後半は展開にカオス感が増して(脳味噌が付いていけなくて)、割とどうでもよくなってしまいました。



ジョンの、大富豪がゆえに常識を大きく外れた行動の数々はそこそこ面白いんですけど、そうそう何度も笑えるってわけでもないし…



ノンフィクション映画として製作して、その結末が分かってる事を前提にして公開・上映しているのに、その結末に達したところで「はい、あとは字幕で説明します」って手法を取られるのは…映画としての感動が突き抜けないです。アメリカンスナイパーも似たようなものなんですけどね。



今作の監督ベネット・ミラーの作品は『カポーティ』も『マネーボール』も地味で静かで、その中に渦巻く感情を描いているように見えて結局は面白みに欠ける映画だと感じたのですが、今回のフォックスキャッチャーも同じカテゴリでした。



ノンフィクションの題材になるような人物を探して淡々としたトーンで撮り続けるんでしょう。自分には必要のないタイプの監督だなーという結論です。つまらないレビューですみません。


アメリカン・スナイパー

アメリカン・スナイパー、見ました。2015年2月21日、ユナイテッドシネマズとしまえんで。IMAX2D。



http://wwws.warnerbros.co.jp/americansniper/



実在したネイビーシールズ隊員クリス・カイルの生涯を描いたノンフィクション。



今作で主演したブラッドリー・クーパーが映画化の権利を買い取り、監督がスピルバーグからイーストウッドに変わった頃にクリス・カイルは亡くなりました。






あらすじ追います。



予告編でも見られた、イラク国内での狙撃場面からスタート。狙撃というよりもアメリカ軍の進出を狙撃位置からサポートする場面。ビール瓶ほどの大きさの対戦車榴弾を抱えた少年がアメリカ軍の戦車に近づいていくのをスナイパーライフルのスコープで狙い続けるクリス・カイル。



スコープの調整ダイヤルをイジる前後でカメラアングルや被写界深度に変化が無いのが「アレ?」と思いました。



引き金を引こうとする瞬間、彼の少年時代の鹿狩りシーンへ飛びます。父親からライフルでの狩猟を教わっているクリス少年。2場面のリンクっぷりはベタ。



クリスが少年から青年になり、海兵隊へ志願するまでの長い回想シーンはテンポ良くまとまっていて、それゆえに引っかかりがあまり無いです。鹿狩りシーンはもうちょっとタメが必要じゃね、とか思ったり。次の場面は弟がイジめられてるのを助けに入るカイル。子供と子供のケンカなのにバイオレンス描写がけっこうダイレクトで「おおっ」と思いました。



アメリカでは当たり前の、キリスト教原理主義家庭描写が入るわけですが、ケンカをした息子に対する父親の説教がなかなか素敵。しかし「戦地で敵を殺しまくった」というイメージ(結論)に向かって収束していくような描写にも見えて、ちょっと軽いかなと。



目的もなく、ロデオであぶく銭を稼ぐカウボーイ生活を送っていたというクリスは大使館爆破事件のニュース映像を見て軍人になることを決意。トントン拍子でネイビーシールズに入隊。



この前見た映画で「兵士訓練シーンがダメダメ」と書いたわけですが、さすがにこの映画の訓練シーンはしっかりしてました。腹筋してる新兵たちの顔面に水を浴びせながら罵声も浴びせる。人種差別発言当たり前。



続いて浜辺で座ってるだけの地味なシーンなんですが、水温13℃だとか。斬新といえば斬新ですけど地味っちゃー地味。



基礎体力訓練を終えたクリスが実戦的な訓練を始めるのですが、射撃訓練場面が1シーン描かれるだけ。スナイパーとしての素質が目覚めていく過程を描くのに集中しています。



このシーンで射撃が上達していく様と、将来の妻であるタヤとの恋愛模様が交互に描かれ、それがリンクしながら描かれていくのが上手かったですね。迷いを捨てた時、結婚を決意し、スナイパーとしても覚醒する。映画的だなーと思いました。



「男運のない人生が今の君を作りあげた。俺はそんな君が好きだよ」というセリフはなかなかの女殺しっぷり。



長い回想シーンが終わってオープニングの狙撃場面に戻ります。クリスが初めて殺したのは少年。次に殺したのは少年の母親。殺したのが敵らしい敵でないことに悩む姿はベタ。



次の殺しの瞬間はクリスの存在が影の存在として仲間のサポートに徹しているように描かれていてフレッシュでした。突入部隊がじりじり進んでいくところに降ってくる敵の死体。クリスが殺した敵兵でした、みたいな。



スナイパーに特化した戦争映画かと思ってたら「狙撃だけじゃ焦れったいぜ」と言い出して突入部隊に志願しちゃうカイル。こうなってくると普通の戦争アクション映画とあまり変わらなくなってきます。



従来の戦争映画と大きく違う点が1つあって、それはネイビーシールズの訓練に耐えたクリスが、戦場で任務中に嫁さんと電話してる描写。これはフィクションならではのアレンジなのでしょうか?



人を殺す姿勢を崩さないまま電話でのろけてるクリス、それを承知で意味のない会話をして喜んでる嫁。どっちも馬鹿なのかな?と思ってしまいます。実際の戦場はこんな悠長ではないと思うんですけど、ケレン味として追加した描写だとしたら緊張感をそぐだけの下らない演出だと思うし、現実に電話してたんだとしたらそれはそれで馬鹿馬鹿しい。



「あなたが仕事場で苦労してるのは分かってるけどそれでも私にかまって」という描写を見てると、イーストウッドは「女ってアホだよね」って言いたいのかな? って感じてしまいました。嫁の存在がクリスに心労を与えるただの障害でしかない。脚本として下手だと思います。



任務中に嫁と電話する場面がもう1度出てきて、2度目は電話中に奇襲を受けるんですね。通話中の電話がつながったまま、アメリカにいる嫁に現地の激しい銃声が届いて激しく狼狽するっていう描写が入るんですけど、アホづらで電話してる兵士という部分にリアリティを感じないからそこに盛り込まれた悲劇性にまったく共感できない



嫁さんを演じた女優に見せ場を作ろうとするあまり、しょうもないアレンジ入れたんじゃないかと推測するんですが、真実はよくわかりません。とにかく引きました。



いつの間にか"伝説"と呼ばれるようになったクリス・カイル。彼のライバルとも言うべき存在がムスタファという名のスナイパー。映画はクリスとムスタファのライバル物語の様相を呈していきます。



ここにも違和感が拭えないんですよね。



ただの狙撃手であるムスタファの排除がアメリカ軍の最優先事項のように描かれていて、クリスもそれだけに執着するような描き方をするわけです。



ムスタファによってチームメイトが殺される。復讐を誓う。再び対峙する。またも仕留められない。そして三度リベンジの機会がやってきた…!



クリスは4度の中東派遣を経験しているのですが、毎回のようにムスタファと出会っているんですよ。アメリカ軍の派遣先って決して集中的なものじゃなくて広範囲だと思うし、ムスタファだってクリスを付け狙ってたわけじゃないでしょう。



なのに自然と物語が2人のスナイパーのライバル物語になっていて、ノンフィクションとしてのリアリティと映画的な起伏を付与するためのアプローチとの間ですごく中途半端になってる!



その点『ゼロ・ダーク・サーティ』はかなりのリアル志向で、そこに加えられた若干の味付けが適度に効いてて絶妙だったと思います。



クライマックスは「敵地なのに拠点防衛する側に回るアメリカ軍」という構図が面白かったですね。



狙撃ポイントに付いたら予想外の場所からムスタファが超長距離狙撃を仕掛けてきて、それにクリスが対抗する…この流れ自体はすごく燃えるんですけど、狙撃には特にロジックも無いし風を読むような仕草もない。クリスが発射したらCGの弾丸がスローモーションになるという演出も正直ダサい



因縁のムスタファを排除した後はビルの屋上に追い込まれての激しい銃撃戦になるわけですが、まあここの描き方もフレッシュさは無かったですね。アメリカ軍が撃てば敵に当たるし、敵の弾はほとんどアメリカ軍に当たらない。ハリウッド映画ならではのテキトーな乱戦。



…ノンフィクションを元にしている割に、思った以上にケレン味を効かせた戦争アクション映画になっていたわけですけど、やっぱり主題としては「戦場で心が壊れてしまった人間」を描こうとしていて、どうしてもバランス感覚が悪い印象。



圧倒的戦果を周囲が称えるがゆえに、その祝福がクリス・カイルという人間を戦場から引き離してくれなかった。称賛がいつからか呪いに変わっていたと考えるとゾッとしますよ。



"呪われていた"クリスですが戦場で手足を失うこともなく無事アメリカに帰還し、退役。PTSDに苦しむ描写もあるのですが、それをなんとか克服。家族と過ごす時間を取り戻すことに成功します。



しかしクリスは自分と同じ退役軍人との交流中に射殺されます。この映画ではその瞬間は描いていません。



クリスが最後に自宅で過ごしている日常風景はあまりにも不穏で、玄関から出ていくクリスを見つめる妻の視線もしつこいくらいに強調されてます。この辺のディレクター感性もちょっと好きになれなかったですね。



クリスが家を出た瞬間に映画は終わり、字幕でクリスが殺害された事を説明。その後は現実のクリス・カイルの遺体が運ばれていく葬列、アメフトチーム・テキサスカウボーイズのスタジアムで行われた葬儀の映像などが繋げられます。



こういうのを見せられるとアメリカって国は何をやってんだろうな」と感じますね。敵国というべきかさえ分からない国に乗り込んで外国人を殺して、殺させた自国民の人間性を壊している。



現実問題として、アメリカ軍として海外派遣された退役軍人による殺人事件がものすごく多いそうで。そうまでして外国の地で得たい勝利とは何なのか? テロリストを全滅させたところでテロリスト予備軍は根絶させられないわけで。むなしい戦いですよね。



そんな中で生まれた"伝説"的な英雄に関する映画を見せられた外国人として自分は何を思うべきか。なかなか難しいところです。



クリスが殺された場面、描いても良かったんじゃないかと思います。「PTSDによる殺人事件の被害者になりました」っていう字幕よりよっぽどインパクトがあるし、意義もあると思うんだけどな。



監督したイーストウッドに対しても、160人を殺したクリス・カイルに対しても、映画化の権利を買ったブラッドリー・クーパーに対しても、製作者に対しても、称賛は送りたくないなというのが正直な気持ち。なぜだろう、「こんな映画作る意味あったの?」 ってくらい肯定的になれない自分がいます。この映画で3億ドル稼いじゃうハリウッドに、どうしても欺瞞を感じざるを得ないんですよ。



脚本的な流れもあまり好きじゃないし、イーストウッドならではのキレた演出みたいなものも感じなかったし、そもそもノンフィクションだからイーストウッドの意見・スタンスがどれほど反映されてるかも見えてこないし。



アメリカがやってる戦争に一切の意義を感じられないという意味ではイーストウッドのスタンスとまったく同じところに立った自分ですけど、それを証明するための映画としてはすごく中途半端な印象でした。監督が監督なら、もっと右翼的な映画になっていたかもしれないですけどね。クリス・カイルが今も健在だったらどんなオチを付けてたんでしょうか。



日本人でも大絶賛する人が多い作品ですけど、個人的には引っかかりが無かったです。すごく大義のある映画に見えるからこういうのって批判されにくいんだろうなあ。

ハナ〜奇跡の46日間

ハナ〜奇跡の46日間を見ました。DVDレンタルで。

韓国のスポーツノンフィクション映画です。1991年日本で行われた世界選手権に韓国と北朝鮮の卓球代表が合同で「チームコリア」として出場した実話を映画化。


ハ・ジウォン演じる韓国女子代表エースと、ペ・ドゥナ演じる北朝鮮女子代表エースが、バッチバチのライバル関係からかけがえのない親友となるまでの46日を描いています。


DVDの品質のせいかもですが、画面から伝わってくる印象が安っぽかったです。ドラマみたい。前半についてはカメラワーク的にも異常な情念を感じることはなく、肩の力を抜きながら見れました。


脚本自体はしっかりしてると思います。ノンフィクションというのを念頭に置いても、盛り上げていくための土台作りが丁寧。意外性とか要らないんだよ!w


かといって、こういうシナリオを王道という言葉で片付けるのも雑じゃないかなーと思うのです。こういうのを当たり前のように書ける人間がそうそう転がってるとも思えないし、日本には存在すらしていないんじゃないでしょうか。


ペ・ドゥナが演じているのは北朝鮮代表なのでチャラい空気皆無! ストイックでクールなたたずまいを徹底しているのですが、対するハ・ジウォンもなかなかの真面目ちゃん。ライバルらしいライバルです。


ハ・ジウォンさんのwikipediaを見たところ、彼女の出演した映画は一本も見てませんでした。お恥ずかしい! 「この女優さん追いかけてみよう!」と思うほどの感動は得られなかったのですが、しかしそれでも彼女を絶賛したい理由がありまして、それは


野暮ったいメイクと髪型


なのです。1991年当時の女性の雰囲気を再現しようとする。そんなの映画では当たり前なんですけど、それが出来ない中途半端な作品がいかに多いことか!!


現代の感性と相容れないような太い眉、ダサい髪。それを見た観客の中には瞬間的に違和感が生じます。


そんな些細な感情に考慮してなのか、現代人が過去にタイムスリップしたかのようなメイクでしれっと映画出演してカッコがついてると思ってるすっとぼけ役者ども!


本当の感動はその違和感を乗り越えた先にあるんだよ! それを演技力によって喚起するのが俳優業の意義なの!


この映画は、そういった俳優の存在意義に対する認識を改めて再確認させてくれましたね。ペ・ドゥナはそんなに眉毛ボーンじゃなかったけど。


そんなライバル2人の他、両国の女子チームにいる若手選手だったり、男子チームの面々だったり、監督コーチなどなど。しっかりキャラの立った登場人物がクライマックスに向けて感動を構築していきます。


最初はちぐはぐで対立しまくりだった両国代表たちが次第に打ち解けて1つの民族としてのアイデンティティを取り戻す。朝鮮民族にとってはこの上なくアガるシチュエーションでしょう。


韓国女子チームのお調子者が北朝鮮男子チームのイケメンに一目惚れして猛攻を仕掛けるくだりなどにコメディ要素の強さも感じさせるのですが、ハ・ジウォンペ・ドゥナのライバル関係はストイックに熱く描いています。統一チームの中でダブルスを組む流れもしっかりじっくり。


遠征初の外出許可日にハメを外した選手たちは北朝鮮のお目付け役の怒りに触れて合同チーム解散の危機に。やっと1つになれた兄弟・姉妹が離れ離れになってしまう。ベタすぎるけど熱い展開!なんせ事実ですから!


北朝鮮組を失った韓国代表は日本チームとの試合にも苦戦。なんとか勝利するも怪我人が出てピーンチ!


勝戦へ向かうバスに乗る寸前、ハ・ジウォンが動いた! 豪雨を全身に浴びながら、ホテルの部屋で待機しているペ・ドゥナ北朝鮮組に向かって叫ぶ! 「監督!チームコリアを率いてください! リ・プニ(ペ・ドゥナの役名)! 私はあなたと一緒に戦いたいの!(以下略)」


それを聞いたチームの総監督(北朝鮮側)は党本部の命令に背き、北朝鮮選手たちに「何をしてる 決勝戦に行くぞ!」と号令! ホテル前で正座していた韓国チームの元に駆け寄る北朝鮮選手たち! 抱き合って歓喜するチームコリア!


こんなの見せられたら大号泣ですよ。


雨の中の正座とか誇張=ケレン味も足されてるんでしょうけど、それによって「それでもクールなペ・ドゥナのキャラクター」という意味のある描写になってるんですよね。


女子代表決勝戦は卓球大国中国との対戦。オープニングで韓国エースのハ・ジウォンが中国エースに負けてるのもフリとして効いてます。


正直この映画の卓球シーンはアクションとしてもドラマとしてもやっつけ感があって若干弛緩しているのですが、決勝戦団体戦はしっかり描いてます。勝敗を分けるロジックこそ曖昧ですが、撮り方はしっかり情感こもっててナイス。芝居も素晴らしい。


結果だけ書くとチームコリアが中国を破って優勝します。まあそこは史実なんでイジりようが無いんですが。タメの付け方も見事で、スポーツドラマとしてのクライマックスにちゃんと緊張を生んでます。


勝利を決めた瞬間にライバルだった2人が見せる演技の壮絶さにビックリして。役者魂なる曖昧なものの存在をしっかりと感じさせてくれる凄い演技でした。この場面は全ての出演者、エキストラが大喜び。感動を空虚なものにしないための気配りもちゃんと出来てます。


主演の他には、北朝鮮チームの若手選手を演じてるハン・イェリさんに心打たれましたね。コリアンらしい顔だちで、目は一重だし美人とは言いがたい。でも、そんな彼女が見せる女優魂は美しいの一言!


勝戦の第四試合で1セットを取った際に彼女が言う「プニ同士とジョンファ同士が中国を破るのを見たいんです」というセリフは反則レベルの熱さ! 負けられないプレッシャーの中で見事に勝利して先輩に全てを託した瞬間の大喜び芝居も最高ですよ。


熱戦を制して中国を破ったチームコリアがそれぞれの国へ帰る場面。当たり前のように大号泣しながら見てたんですけど、クールさを取り戻していたかに見えたペ・ドゥナが、ハ・ジウォンの行動を見て一気に顔をクシャクシャにする瞬間に身震いしました。一瞬の演技に垣間見えるペ・ドゥナの綿密な演技プラン。演出だとすればこの監督すごすぎ。


決めるところをしっかり決めるところが韓国映画を信頼できるゆえんだし、そこに役者個人の強い意志が加わってとても感動的なドラマになっています。世界を股にかけて活躍するペ・ドゥナという女優の凄みを感じるのにもピッタリな直球ノンフィクション。オススメでーす!!!