ライトノベルの楽しい書き方

 大森研一監督作品「ライトノベルの楽しい書き方」を観ました。この日は完成披露試写会&舞台挨拶だったのですが、モ娘(狼)ラノベスレとTwitter経由で招待チケットをいただいたので(ありがたや)、公開より2ヶ月早く観ることができました。
 この作品の主演はBerryz工房須藤茉麻、そして佐藤永典
 以下ネタバレ感想です。結構批判的なので劇場での上映をある程度期待している方は注意してください。
 主演・須藤茉麻と書くにはちょっと抵抗があります。物語は常に佐藤永典演じる与八雲(あたえやくも)の視点を軸に描かれているからです。クラゲオタクの八雲は周囲のエキセントリックな人々との交流の末に振り回され引っ張りまわされながら一つの恋愛に出会います。
 その相手が須藤茉麻演じる流鏑馬剣(やぶさめつるぎ)。武家に生まれた一人娘として剣士・武術家として鍛えられた剣は周囲から忌避され怖れられている。そんな孤独の中でラブリィかつファンシィな女の子趣味を育み、遂にはライトノベル作家・姫宮美桜としてこっそりとデビューしていた。
 八雲は従姉妹の心夏(ここな)に脅されて姫宮センセイの自宅に新刊の原稿を取り立てに行くのだが、そこにいたのは流鏑馬剣。そんな流れで、八雲は剣の隠された顔を知ることとなる。
 新作のラブコメを書くにあたってスランプに陥っていた剣。それを観た心夏は「恋しちゃえばいいじゃん」と、剣と八雲を擬似恋愛関係に追い込む。二人はしぶしぶ承諾。1ヶ月限定の恋愛ごっこが始まる・・・
 これがあらすじです。
 観終わって気になったのは「剣が自分の容姿を誇っている」という部分。「八雲が私のような美人とつきあえるなんてありえない事だからな」みたいなセリフがあるんですが、そこの高慢さは剣というキャラクターに必要だったのか? という事。
 その高慢さによって傷つき、そこから奮起・再起して・・・みたいな伏線になっているわけでもない。アブノーマルさをさらに際立たせるという意味では効果的ではあるけど、剣の過去とパーソナリティ(そして須藤茉麻の性格)にそぐわない気がします。単純に、流鏑馬剣というキャラクターを愛してもらうためには排除すべき個性だったように思います。些細な事ですけど。
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 最も気がかりだったのは、「萌え」に対するスタンス。ライトノベル原作というだけあって「萌え」という単語が当たり前のようにバンバン出てくるわけですが、その萌えという概念に対する認識の甘さが感じられました。
 「最萌え」キャラとして竹達彩奈演じるベタな直球美少女・市古ゆうなが出てくるんですが、このキャラクターの描写がぬるい。容姿はともかくとして、性格的に弱弱しさだけが目立つつまらないキャラクター。声優さんが演っているだけあって可愛らしい声の作り方は流石なんですけど、観客にもそのキャラクターが持つ萌えの一端を表現すべきだったと思います。そうでないと剣にとっての恋のライバルになりそうな気配が感じられないからです。
 剣というキャラクターが表現する萌えに関しても物足りなさがあります。あなた方の表現しうる最上の萌えとはこんなものか? と言いたくなりました。
 1ヶ月間の擬似恋愛の末、剣は自分の胸の内に「もっとこの関係が続いて欲しい」という思いを見出します。八雲はそんな気を知らず、剣からの延長要請を聞き逃して素っ気無い態度。剣は「ツン」属性から意地を張ってしまい、予定通り契約解消となってしまう。
 この別れのシーンだってもう少し工夫すればもっと感動的なクライマックスに成りうるはず。八雲がもっと人間らしい感情を露呈し、それに面食らった剣が返す刀で八雲を傷つけてしまうような事を言って、クリティカルな破談を迎えるとか。
 八雲が素っ気無い態度になってしまうのであれば、それはそれでその態度にそれなりの理由を与えるべき。クラゲに関するとびきりの目玉情報が飛び込んできて浮ついていたから1ヶ月の契約期限をついつい忘れていた・・・とか。
 恋を知らない剣士と、クラゲオタク。そういう二人だからこそ不器用な別れを迎えたんだ、という背景がもっとしっかりと表現されているべきだった。脚本家と監督は別れのシーンにおける両者の感情をどこまで理解していたのか? そこが見えません。
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 別れの後で八雲がじわじわと剣への思いに気づいていくわけですが、そこに至る経緯ももう少し深く描くべき。
 アニ研部員が部員勧誘チラシに剣のデビュー作品の表紙絵を使っていて、それを観たチャラ男ケバ女軍団に茶化され「こんな表紙の小説書いてる奴(つまり剣)だってキモいに違いない」と言われている。それを見かけた八雲が割って入って怒りをあらわにするシーンがあり、それが自分の気持ちに気づくきっかけになっているのですが、そこには八雲の主観的な視点が無く、唐突に割り込んでくるわけです。
 剣を馬鹿にするのは許さない!という明確な心情をその場面に盛り込むためならカメラワークに踏み込みの甘さを感じます。
 その場面に偶然八雲がいて偶然剣も見かけているという、なんともご都合的な描き方も幼稚ですね。この映画は偶然を簡単に使いすぎなきらいがある。既に八雲への思いを自覚している剣が八雲の事を見直す必要はないのでこの場面に剣がいる必要はない。
 クライマックスは私的な感情を強く押し出した形で刊行された新刊を八雲が読み、そこに込められた剣の気持ちに打たれて流鏑馬宅へ猛ダッシュする。その小説に関しては市古ゆうなのセリフによって内容が語られるんですが、その中身もなんだか適当なんですよね。
 「クライマックスで突如、主人公の日記みたいな文体になる」という奇抜な設定は理解できますが、その日記部分はモロに剣の独白であって、「元気で可愛くて性格も良い」という小説そのものの主人公とはあまりにも乖離している。いくらなんでも商業作品として壊れすぎだし、そこに私情を持ち込む剣はあまり美しくない。そこはもっと丁寧に表現してくれないと。
 オーラスの告白シーンも・・・小手先のカメラワークで下手に主張すべきではなかったと思います。もっとどっしり、二人の気持ちを汲み取らないと。
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 主な不満は以上です。見所は沢山あるし、ずばりラブコメ!な描写も多く見られました。弁当食べるシーンとか突然のビンタとか八雲の妹の罵倒とかね。
 須藤茉麻さんは文句なしに美しい。制服で歩いてるだけでスタイルグンバツじゃん! と思いました。演技面では滑舌の悪さが若干気になりましたがトーンの変化も立ち振る舞いも上々でした。
 佐藤永典クンは振り回される側のキャラなのですが天然の面白さがあって好感が持てました。演技もしっかりしてました。舞台挨拶に出てきた実物佐藤君はアクの強い顔立ちが順調に成長してちょっとビックリするくらいのイケメンっぷりでした。数年後にブレイクしかねないよこりゃ。
 竹達彩奈さんは、上記にも書いた通りちょっと勿体無いですね。もっと活かしてあげれば声ヲタさんもときめきを得られたはずです。折角の実写映画なのに笑いも萌えも不十分な立場。ちなみにけいおん!ではどんなキャラなんですかね。
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 試写会で得た感想はこんなところです。舞台挨拶については特に書かないでいいかなー。お嬢様なファッションでおめかしした茉麻はちょいふっくらしていて時折豪快に笑っていました。コメントできっちり笑いも取ってたし、キャリアの長さはダテじゃないね。小さい劇場の4列目から茉麻を凝視できた事をもっと幸せに感じるべきかな。
 個人的にはラブコメというものに対する意識を再認識。王道を実践するのはそんなに簡単じゃないです。セオリーの積み重ねとちょっとした裏切りがあってこそ王道。ベタをなめてはいけない。