DJANGO UNCHAINED

 クエンティン・タランティーノジャンゴ 繋がれざる者』を観ました。『Django Unchained』。映画館で1度見たきりでしたが、いよいよリリース。TSUTAYABlu-rayをレンタルしてきました。
 初めて見た時は刺激的なシーンと緊張感の連続で冷静になれませんでしたが、2度目となると色んな要素がクッキリと見えてきて、面白くて仕方なかったですね!
 以下ネタバレ全開なので注意です。
 序盤はジェイミー・フォックス演じる主人公ジャンゴの戸惑いと観客の戸惑いがリンクしてて作品に引っ張り込まれます。
 奴隷であるジャンゴは町へ移動中にドイツ人賞金稼ぎのシュルツ(クリストフ・ヴァルツ)に出会い、唐突に解放されます。シュルツの目的を把握しきれないまま自由の身になったジャンゴ。彼には妻・ブルームヒルダがいましたが、2人が別々の相手に売られたことによって強制的に別れさせられました。ジャンゴは妻と再会するためにシュルツに協力することになる。
 次の町に到着し、シュルツから賞金稼ぎの仕組みを説明されるものの、その仕組みを即座にひっくり返すようなサプライズを放り込むところが巧い。法の執行者であるはずの保安官をいきなり射殺するシュルツ。ジャンゴもビックリ。その町の保安官は偽名を使って町に居着いた賞金首だったわけです。急に速度を上げるジェットコースター的な展開の中で、当時のアメリカ社会を簡潔に表現している。
 シュルツの目的とジャンゴの目的が観客に伝わったところで、今度は2人のキャラクターを掘り下げていきます。ここでタランティーノが選んだアプローチは、当時の黒人弾圧社会におけるリアルな黒人キャラクターの提示なんですね。
 シュルツのパートナーでありながらも従者らしい服装を選ぶよう言われるジャンゴ。奴隷生活でファッションセンスが身につくはずもありません。選んだ帽子は間抜けだし、選んだブルーのシャツは派手すぎて注目を浴びまくり。ここでジャンゴのダサさを強調することによって観客に「萌え」を植え付けます。タランティーノに萌えの感覚があるとは言いませんが、奴は狙ってます。後半になるとジャンゴはしっかりカッコ良いファッションになります。
 タランティーノはもうひとつジャンゴに萌えを与えます。それは教養の無さ。あえて「おバカキャラ」とでも言いましょうか。
 ジャンゴが賞金首を狙撃するのに躊躇していると、シュルツはジャンゴに賞金首の手配書を音読させる。賞金稼ぎとして生きていくのに伴う罪の意識、それをシュルツが取り除こうとするシーンのように見えますが、実は「読み書きに不慣れ」であるという黒人の不遇な環境を描くためのシーンであり、そこに萌えを付与しているのです。4桁の数字を読む際に「thousand」という単語さえ知らないジャンゴ。これは決して黒人蔑視を描いているのではなくて萌え描写。
 アメリカ映画界では奴隷制度自体を描くことすら避けてきたわけで、タランティーノは勇気を持って奴隷制度下におけるスタンダードな黒人を描き、そこに感情移入させることに成功しているのです。これは意欲と技術が高いレベルで融合した試みです。この映画の悪役キャンディが言うような「1万人に1人」の突然変異的なスーパースターな黒人キャラを描くのではなく、真逆の方法で主人公の魅力を引き出している。
 ジャンゴが人種の壁を超えて親近感を抱けるキャラクターであると伝えるのと平行して「ジャンゴが主人公たりえる理由」が描かれていきます。
 まずはメンタル面。賞金首であるブリスコ3兄弟の容姿を記憶しているジャンゴは黒人奴隷の女性が3兄弟にムチ打ちされようとする場面に登場し、粋なセリフ(自分が虐待されていた頃に浴びせられた言葉を意趣返し)とともに拳銃を駆使して救出。ちなみにこの場面でも「[断定]という言葉の意味が理解できない」という萌えを挟み込んできます。英語のセリフ的には[明確である]という意味での[positive]が理解できてないという描写です。語彙は乏しいけど頭の回転は早い。
 続いてガンマンとしての才能。ブリスコ3兄弟を雇って黒人奴隷を嬲っていたビッグダディがシュルツへの復讐と報奨金の強奪を狙って夜襲を仕掛けてくるのですが、豪快に反撃して盗賊は敗走。ビッグダディも馬に乗って逃げ出しますが、それをジャンゴがライフルで長距離から狙撃。シュルツも驚きの射撃センス。ブリスコ兄弟を見分けるための「目」となるべく奴隷生活から抜けだしたジャンゴが、シュルツと肩を並べる賞金稼ぎになるためガンマンとしての修練を始めるきっかけを描いているのです。
 こうして冬が過ぎ、春を迎えていよいよ妻が売られた農場へ乗り込みます。そこを経営するのがレオナルド・ディカプリオ演ずるカルディ・キャンディ。自分をムッシュと呼ばせたり奴隷にダルタニアンと名付けるフランスかぶれキャラです。ここにも伏線が含まれています。
 妻奪還のためにキャンディに近づく2人ですが、奴隷を素手で殺し合わせる競技[マンディンゴ]のための選手を買い付けに来たという嘘を付きます。ドイツ人のシュルツも元黒人のジャンゴも奴隷制度には反対なのですが、冷酷な奴隷商人を演じようとします。虐待と苦役を強いる奴隷制度さえも残酷なのに、殺し合いを強いるマンディンゴ制度についても踏み込むタランティーノ
 シュルツとジャンゴ、キャンディの腹の探り合いが始まります。商談と見せかけての情報収集。アカデミー賞クラスの俳優たちが芝居でバチバチやりあうわけです。銃撃戦よりも緊迫感があります。さらには[誰よりも黒人を蔑視する黒人]としてサミュエルLジャクソン演じるセバスチャンが登場。緊迫感はさらに増していきます。
 ここからの展開はなかなか予測できないでしょう。「銃撃戦はまだか?」と待ち構える観客の期待を飛び越えていきます。
 マンディンゴ用の奴隷ではなくジャンゴの妻を取り戻す事こそが目的だった事を見抜かれたジャンゴ&シュルツ。急にブチ切れてテーブルに手を叩きつける演技を見せたディカプリオは手から実際に流血したそうですが、このハプニングさえもキャラクターのいやらしさを強調するために利用しています。必見。
 銃を突きつけられ、ブルームヒルデを12,000ドルで買うよう強いられます。女性の奴隷としてはぼったくり価格なのでしょうが、具体的な金額を強調することによって当時の奴隷制度への批判が込められているように感じます。
 シュルツの策は失敗に終わったのですが、さらにそこからシュルツとキャンディの皮肉に満ちた空中戦が始まります。キャンディのフランスかぶれが浅はかな知識の上に成り立っているものであることを指摘するシュルツ。苛立ったキャンディはアメリカ式の挨拶[シェイクハンド]をして別れようと言い出し、シュルツがそれをヨーロッパ人として拒絶すると、キャンディは部下に命令してブルームヒルデへ銃を向けさせます。
 いよいよ我慢の限界に達したシュルツは握手するフリをしながら袖に隠し持っていた小型拳銃でキャンディを射殺! シュルツは「すまない。我慢できなかった」とジャンゴに言い残し、即座にキャンディの部下に殺されます。究極的に張り詰めていた緊張が切れる瞬間。この映画で唯一の銃撃戦がスタートします。
 ウエスタン映画なのに敵と銃を撃ちあう形の銃撃戦はたったの1度です。それでいて緊張感をキープし続けるのはタランティーノならではの濃密なキャラクター描写があってこそ。タランティーノが銃撃戦の気持ち良さを追求しようとすればいくらでも出来るでしょう。
 ただ、この銃撃戦が大迫力。銃弾を食らった人間の肉体は決定的に破壊され、現場には血しぶきと罵声と肉片と木片が大量に飛び交います。唯一の銃撃戦をいかに大事にしたかが十分に伝わってきます。
 そして、ジャンゴはこの銃撃戦に敗れて降参することになります! ヒーローにも無理なものは無理。妻を取り返せず、再び奴隷の身分へ。映画が始まって2時間15分経ったところでフリダシに戻るわけです。こんなシナリオ誰が書けるでしょう?
 そこからジャンゴは、ジャンゴらしい機転を利かせて自由の身になります。この脱出劇もまた唐突すぎて驚くこと間違いなし。シュルツの助けを借りて解放された、死人のような表情をしていた頃のジャンゴとはまったくの別人なわけです。キャラクターの変化・成長を描いています。
 ここの機転の利かせ方もある伏線がかかっています。絶体絶命のジャンゴに幸運をもたらしたものとは一体なんなのか? あえて伏せておきます。実際のところ初めて見た時この伏線には気付かず、「ちょっと強引な展開だな」なんて思っていました。タランティーノがこのシーンで爆死するのは、単に派手な画を盛り込んだだけではなく、その裏に緻密な計算があるのです。
 再び自由の身となったジャンゴは妻の奪還とシュルツの弔い合戦へ。徹底的にクールで無慈悲なジャンゴが登場です。拷問の際に睾丸を切り落とそうとしていた男の股間に銃弾を撃ちこみ、脚が悪いフリをしていたセバスチャンのヒザを撃つ。そしてセバスチャンにとどめを刺す際のセリフが超クールなんですよ!
 「76年の間に何人の奴隷を見てきた? 7000? 8000? 9000? 9999?」このイカしたセリフは、前半のジャンゴがthousandという言葉さえも知らなかった事が伏線になってるわけですね。そして「キャンディは馬鹿げた事ばかり言っていた。だが奴は1つだけ正しかった。俺は10,000(10 thousands)に1人のniggerだ」と言い放ち、セバスチャンのもう一方のヒザを撃ち抜きます。
 中盤にキャンディが「黒人も意外と頭の良いやついるんだよね。1万人に1人くらいは。今後は黒人も伸びてくるんじゃないかな?」と、黒人に理解を示しているように見えて差別主義丸出しの噴飯発言をするシーンがあるのですが、それを含めて2つのシーンが伏線になった名台詞・パンチラインとなっているわけです。この発想凄すぎるでしょう!
 そんなわけで、ぼーっと見てると「タランティーノがウエスタンやりたかっただけ」みたいな浅い見方をされがちなこの映画も、きっちり見ていけば奴隷制度に踏み込んだチャレンジ精神、会話劇中心に緊張感を高めていく手腕、鮮やかな伏線回収といった、圧倒的な作家性が息づく名作であることが分かるのです。
 2回見てようやく伏線の数々に気付いた自分も情けないですが、やっぱりクエンティン・タランティーノは僕らの世代のスーパースターであり、そのスター性を今作でも十二分に発揮してくれているのでした。アッパレ! 近いうちにBlu-ray買おう。