フルートベール駅で

 2013-03-26、新宿武蔵野館にて『フルートベール駅で』を見ました。
http://fruitvale-movie.com/
 世界最大のインディーズ映画フェスティバルであるサンダンス映画祭にてグランプリと観客賞を同時に受賞したこの映画は、2009年にアメリカで起きた事件を元に描かれたノンフィクション作品です。
 ニューイヤーを迎えたばかりのFruitvale Stationで電車の乗客による乱闘が発生。鉄道警察による鎮圧のさなか、一人の黒人青年が拳銃で撃たれた。その青年は後ろ手に手錠をかけられてうつ伏せに寝かされ、抵抗できない状態で鉄道警察の一人から背中に銃撃を受けた。
 その様子は列車に乗っていた乗客たちの携帯電話で撮影されており、たちまちYouTubeで拡散。黒人差別や権力による横暴が世に曝され、全米を巻き込む抗議デモに発展した。
 監督・脚本は若干27才のライアン・クーグラー。自ら書き上げた脚本で初の長編映画監督デビューのチャンスを得て、圧倒的な才能を発揮。一気に注目を浴びる存在になった。
 …という以上の情報を元に、期待感マキシマムで見に行ったわけですが。有楽町で『ダラス・バイヤーズクラブ』を見た時に初めて予告編を見て「あ、これは絶対に見なきゃダメだ」と思って前売り券を買ったんですよね。果たして結果はいかに。
 簡潔に言うと、物語の終盤で涙が止まらなかったです。素晴らしい映画に出会えました。
 2008年の12月31日0時から映画はスタートし、一部回想が入るものの、オスカー・グラントという一人の青年が生きた「最後の日」をじっくりと描いていきます。
 たかだか33時間あまりの短い時間を描いているのに、そこにはオスカーが抱える様々な苦悩が凝縮されています。その詰め込み方は決して無理がなく、あまりにも自然なので淡々としているように見えます。
 オスカーはメキシコ系の恋人との間に子供がいる。結婚はしていない。彼には前科があり、服役によって母親や妻、子供を悲しませた過去を引きずっている。スーパーマーケットのバイトは2週間前に解雇されたが、妻にその事を告げられないでいる。収入源はマリファナを売ることだけ。
 それでもオスカーはやり直したいと考えている。更生して良い夫、良い父親になろうとしている。
 ナレーションも無い真っ向勝負の演出で、これほどの情報を高い純度で表現しきっているのは物凄い技術力だと思います。なかなかできることではありません。Ryan Coogler、こいつ凄いっすよ!
 オスカー・グラントが死ぬ前日(ある意味当日)に何をしていたかを描いた映画のように見えて、彼の置かれた環境や状況を表現し、さらにはリアルな人間性/パーソナリティを描いていることに成功しているのです。
 そこから見えてくるのはオスカー・グラント個人が抱える問題だけでなく、現代社会に根付く貧困問題、その背景にある人種差別、さらには犯罪者の更生の前に立ちはだかるアメリカ社会の不寛容さが表現されています。こういう社会性にも向き合っているからこそ高い評価を受けているのでしょう。
 そして! この作品は「オスカー・グラントがなぜ死ななければならなかったのか」という正解のない問題に対する監督の答えがちゃんと表現されているのです!!
 この試みには驚きました。そこまで覚悟を持って作られた映画だとは思ってなかったです。オスカーが死ぬまでの33時間をリアルに描いただけの物語ではありません。
 私が読み取った死の要因を一言で言うなら「恐怖」です。
 オスカー・グラントは過去の服役を非常に後悔しています。だからこそまともな仕事に就いて更生することに必死で、家族の信頼を再び失うことを何よりも恐れています。更生するために葛藤を乗り越え、生まれ変わろうと必死な姿が全編に渡って描かれています。
 それゆえに乱闘騒ぎで警察官に拘束された際も「大丈夫だ、みんな家に帰れるからな!」と仲間に対して唱えています。その時の彼は恐慌に襲われ動揺を隠せていません。まるで自分に言い聞かせてるかのようです。
 一方で、無抵抗のオスカーに拳銃を発射した警察官の中にも恐怖があったのだろうと思われます。
 いつまでも払拭されない黒人への差別意識は乱闘を制圧しようとする時の鉄道警察の言動に表れていて(この時のセリフは実際に撮影された携帯動画を再現している)、そういう社会で生活する黒人の中にある恒常的な不満、それが小さなきっかけを経て凶暴性を伴って発露に至ることで警察官の中に恐怖が生まれたのだろうと想像できます。
 警察官の恐怖につながった遠因がカメラ機能付き携帯の普及。警察の視点で見れば暴徒の鎮圧という任務を遂行しているのに、その様子を何人もの人間が携帯で撮影している。オスカーは目の前に立っている警察から威圧されながらも恋人と電話で話していたし、暴行の証拠とばかりに警察官の姿を撮影している。こんな時代だからこそ生まれた悲劇だったのかもしれません。
 カメラに自分の姿を晒す恐怖、自分の仕事の正当性が揺らぐ恐怖。なかなか大人しくない黒人たち。それらが重なりあって拳銃のトリガーを引くに至ったのではないか? クライマックスの描き方は、そんな風に感じられるものでした。
 つまりは警察官を無慈悲な悪者にするのではなく、発射の瞬間の背景を描くことで、警察官の中にある小さな正当性にも光を当てているのです。
 オスカーの死の背景には他にも、彼が抱える貧困や、彼の母親の愛情がからんできます。大晦日に出かける際も、「電車で行けば気にせずにお酒飲めるじゃない」と母親が助言してるんです。その裏には息子の事を信頼しきっていないがゆえの母性が感じられるんですね。
 その一言によってオスカーは死ぬ運命を辿ることになったし、母親は息子を死なせたという罪悪感を一生背負うことになってしまうわけです。
 彼の死を単純な殺人事件であると捉えるのは間違ってないか? 社会が抱える諸問題が顕在化した不幸な事故としての一面もあるのではないか? と、社会に再考を促すような構成の映画にしている。表現者としての勇気と観察者としての冷静な視点を持った監督だと思います。
 こういった高いレベルの映画表現に圧倒され、終盤では涙が止まってくれませんでした。
 俳優陣の芝居も素晴らしかったです。オスカー・グラントを演じたのはクロニクルでも気の良い若者を好演していたマイケル・B・ジョーダン。非業なる死を遂げたオスカーの無念が、マイケルの熱演によって少しは晴れたような気さえします。
 そしてオスカーの母親を演じたオクタヴィア・スペンサー!! 息子オスカーと真正面から向き合い、母親としての最善を尽くそうとするその姿には、今年見た映画の中でも最大級の感動を与えられました。
 最愛の息子が撃たれて病院に搬送されたことを知っても、決して動揺せずに冷静で居続け、息子の妻や友人たちを励まし続け、神への祈りを捧げ続けるのです。生きている間に対面することも許されず、臨終を告げられても殺人として扱われるケースなために遺体に触れることも出来ない。神が与えたにしてはシビアすぎる現実。
 この「息子に触れることが出来ない」という悲しみには前半で描かれた回想シーンが伏線になっていて。
 服役していたオスカーに母親として面会に来た際、更生と自立を息子から引き出すために彼が懇願した別れ際のハグを拒絶したがゆえにオスカーを大いに悲しませた過去があるんですよね。その時のオスカーの慟哭が観客の脳裏に自然とフラッシュバックするんですよ!! この憎いアレンジには涙ドッバドバ出ました。
 あらゆる情報がオスカーの死という結果の伏線になっているし、そこから見える風刺性もクッキリとしていて完成度が高すぎるんです!
 他の俳優陣では『スモーキン・エース』『バタフライ・エフェクト』に出ていたケヴィン・デュランドがカッコ良かったですね! 鉄道警察としていかつさ抜群の存在感を発揮していました。今作を経て愛着を抱く役者の1人になりました。
 オスカーの娘タチアナ役のアリアナ・ニール、めちゃめちゃ可愛いです。こんなに小さな子役も信頼してちゃんと芝居を要求してる監督が凄いですね。オスカーと歯磨きするシーンは最高です。
 この映画のラストカットは実在のタチアナが、2013年1月1日にフルートベール駅で行われた追悼集会に出席している姿を映して終わるのです。彼女の表情は画面からは読めません。
 なんとなく見てしまうと、淡々としているように映る作品です。「最後にもらい泣きしたけど、全体としては普通だな…」そういう感想もYahoo!映画に多数投稿されるかもしれません。しかし、今の自分が見ると深いレベルでの技術と意思を感じる素晴らしい映画でした。
 というわけで『Fruitvale Station』は、圧倒的な演出力とストーリーテリング能力をまざまざと見せつけられた凄まじい作品でした。本当に見て良かった!! お近くの映画館で見られる方は是非ご覧ください!!!