ゴジラ

2014/07/25、ユナイテッドシネマズとしまえんにてGodzilla ゴジラ(IMAX3D版)を見ました。


http://www.godzilla-movie.jp/







早速あらすじから。




15年前の日本を舞台にしたプリクエル(前日譚)から映画はスタート。(なぜか)日本で原子力発電所を管理している夫婦のエンジニア。原因不明の震動によって施設は見事に崩壊し、妻は夫の目の前で隔離シャッターの向こうに閉ざされて死亡。


時は移って現代。物語の主軸はプリクエルにおける夫婦の一人息子(アーロンテイラージョンソン)に。アメリカ軍に所属する彼は長い任務を終え、妻と子供が待つアメリカへようやく帰ることに。


束の間の休息の後、父親が日本で勾留されたという連絡を受けて日本に向かう主人公。父親は事故以来取りつかれたかのように原発事故の原因究明を目指していた。


かつて自分が活用していたデータをどうしても見なければいけない!と、事故以来立ち入り禁止地区となっていた町へ再び戻ろうとする父親。それに付き添うことにした主人公。


廃墟と化した町だったが、メルトダウンを起こしたはずなのに放射性物質は飛んでいない。二人はかつての自宅へ帰還して15年前のデータを確保するが直後に武装した兵士に取り囲まれて身柄を押さえられる。


無人のはずの町で二人が見たものは、巨大なスケールの卵だった。


…という序章から、以降はサバイバルアクションスリラーのような展開になります。行く先々で巨大怪獣に遭遇する主人公。そんな主人公には構わずにズンズン突き進むゴジラさん。


ゴジラという主役を待ち焦がれる観客に対していきなり別の怪獣を見せ付けたり、ゴジラの暴れっぷりがいよいよ見れるぞ!という瞬間にテレビ中継による間接的な描写に変えたりと、展開の旨味がたっぷり感じられます。


ゴジラはあくまでもメインイベンターとして君臨し、溜めに溜めた期待値を爆発させるように堂々たる風格を発揮してくれます。


しかし視点を変えると、言葉を持たず、同情に値するほどの威圧感を持って生まれてしまったゴジラを見ているうちに「ゴジラってコミュ障の引きこもりなんじゃね?」と思えてきました。引きこもりが本気出した映画。


今作におけるゴジラとは、存在を認めた瞬間に発狂を促すようなクトゥルフ神話の神々のように圧倒的な存在で、初代ゴジラの水爆実験が生んだ悲劇的な存在というイデオロギーは背負わされていないのです。


しかしその存在の大きさを示すためにも、一通りの近代兵器をゴジラかましてほしかった感はあります。


とはいえ、脚本上の小細工なんて必要ないぜ、とばかりにゴジラの暴れっぷりはスーパースター然としています。一流のプロレスラーらしい受けの美学も垣間見せ、コワッパにもそれなりに見せ場を与えておいての、本気。


ゴジラと対峙する二体の怪獣をノックアウトする決め技は、どちらも鮮やかかつ爽快で、王者的。


空を飛びながら突撃してきたのをカウンターで尻尾スイングでビルにバチコーン!と叩き付ける描写は、あまりにもシンプルで唐突だっただけにゴジラのポテンシャルを存分に感じさせてくれました。


そしてもう一体は、主人公を追い詰めて絶体絶命の状況を演出しつつの、バックをとって口に火炎放射を流し込むディープスロート系お仕置き。あっという間に絶命して首をもがれる噛ませ犬ムートー。


相手を消耗させるまでもなく、とっておきの一撃で勝負を決するゴジラの姿はKing of Monstersの称号にふさわしいキレがありました。もちろんそこに至るまでに肉弾戦もありますけどね。


ゴジラの存在感を誇示するという目的は十分に果たしてくれた2014ゴジラですが、やや物足りないのは「ビギンズ」や「ビギニング」のような構成だったからだと思います。ライバルにふさわしい圧倒的なヒールに立ち向かうゴジラが見たいてす。


余計な台詞を必要としない、古きよき日本男子的なキャラクターを確立することに成功したので、次回作においてはそんな引きこもりゴジラがジレンマを覚えて観客の感情移入を促すような展開になってほしいなと思いました。


人間界の些細なドラマも描かれてますが、過剰だとは思わなかったです。あんなもんでしょ。朝日新聞紙上で「ゴジラじゃなくてムートーの映画だ!」なんて言ってる頓珍漢な映画監督もいましたけど、そのズレたセンスにはもはや苦笑するしかない。


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