猿の惑星・新世紀


猿の惑星・新世紀を見ました。2014/10/01のファーストデイに、ユナイテッドシネマズとしまえんにて。



http://www.foxmovies-jp.com/saruwaku-r/about.html



前置き長くなるので結論から言うと映画史に残るすごい作品ですよこれ。

この日の労働が終わった頃「あ、今日ツイタチじゃん」と思って見る映画を検索。最近は財布が軽いから、逆に、映画を安く見るチャンスは逃したくないんですよ。




うちから徒歩圏内にあるシネコンが豊島園と板橋の二ヵ所(徒歩といっても小1時間かかる)。上映作品はほとんどかぶってるんですが、板橋でやってた『イントゥ・ザ・ストーム』が日本語吹替版でなく字幕版だったらそちらを観ていたかも。




豊島園に行って猿の惑星を見ることに決めたものの、リブート版のシリーズ第一作『猿の惑星創世記』をまだ観ていない。それでも見る気になったのは映画秘宝11月号の影響でーす。




帰宅してから先日日本テレビで放送された(のを録画した)『創世記』を見てから、豊島園へ移動しました。テレビでやったのは日本語吹替だったのですが、仕方ない。




創世記の印象としては「CG意外と雑だな」「アクション派手だな」「シーザーの芝居凄いなぁ」という感じで、吹替だからいまいち集中して見られなかったという部分もありますが、ちょっとまとまりに欠ける気がしました。序章、前段としてはしっかり作られてます。




今回は監督も代わって、『クローバーフィールド』『モールス』で監督を務めたマットリーヴスになりました。脚本は別の人みたいですが。





まずは前作猿の惑星・創世記』のあらすじからおさらい。 



アルツハイマー治療薬の生体実験によって突然変異を起こした母親チンパンジーから生まれたシーザー。治療薬を生み出した研究者ウィルによって育てられ、人間以上の知能と知性を持ちながら成長。手話による意思疎通が可能なまでに。



秘密裏に育てられたシーザーは好奇心を抑えられず、ご近所さんとのトラブルが発生。チンパンジーほか類人猿=エイプが収容されている施設に収容されてしまう。シーザーは知恵を駆使して施設の猿心を掌握。さらには施設を抜け出し、ウィルの自宅から治療薬を盗み出す。



シーザーが施設中に治療薬を散布すると全てのエイプが突然変異。知能を持ったエイプ集団はシーザーの指揮の下、施設を脱出。治療薬開発でチンパンジーを食い物にしてきたジェネシス社を襲撃。実験台となっているエイプを解放する。



動物園にいたエイプも加わって歯止めの効かなくなったエイプ軍団はゴールデンゲートブリッジの封鎖も突破し、シーザーがウィルと共に時間を過ごしたセコイアの森に消えた…



こんな感じです。クライマックスのアクションはCGグイグイの派手派手モードで、ちょっと乗れなかったかなあ。



そして今作猿の惑星・新世紀』。冒頭はニュース映像のザッピング系コラージュで猿インフルエンザの大流行によって全世界の人口が激減していることを伝えています。



次にセコイアの森の奥で完璧に統制されたエイプ達が鹿を狩る場面。ダイナミックな映像を堪能できるつかみシーンといっていいでしょう。すげえ! みたいな興奮は得られないのですが、エイプたちがホモ・サピエンスと同等の歴史を作ろうとしていますよ、という表現。



前作からの時間経過を表現するのに「人間は滅びたのだろうか…」「10度の冬を迎え、最後の2度では人間を見かけないからな」という動物的な時間感覚で表現。ここから30分ほど、人間の姿をまったく映さずにエイプの文化圏とその暮らしぶりだけを描写しつづけます。



エイプは手話による意思疎通でコミュニケーションしているので、セリフのない場面が延々と続きます。これって映画として画期的じゃないですか? しかもエイプは皆CGによって描かれているキャラクターで、俳優の姿がまったく映らない時間が続く。



もちろんそこに違和感を覚えることもないし、退屈もしない。常に緊張感を漂わせるために情報が丁寧に伝えられているし、それを伝える媒体としてのエイプ達は俳優の芝居をちゃんと投影されて命が吹き込まれている。



このエイプの芝居が本当に凄いんですよ!!!



エイプ達の細かな動作、表情のひとつひとつから一瞬たりとも目が離せない! ちょっと認識が甘かったら「CGの演技もずいぶん進歩したものだなあ」って感じてたと思うんですが、現代の映画においては俳優が全身にセンサーを装着して芝居し、それがCGのキャラクターの動作・表情に反映されるんですね。



この技術をパフォーマンス・キャプチャーというそうですが、この『猿の惑星新世紀』を見るとこの技術が急速に進化していることがよくわかるのです。前作が2011年だから当時よりもさらに精度の高い情報をCGに投影できる。



前作に続いてシーザーを演じているのがパフォーマンス・キャプチャーでキャラクターを演じさせたら右に出るものがいない名優アンディ・サーキスで、『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムやリメイク版の『キングコング』でキングコングを熱演した人です。




今作でシーザーが見せる喜怒哀楽、その他もろもろの感情表現を見ればアンディ・サーキス全身全霊で芝居していることは一目瞭然。人間がチンパンジー(と呼ぶには体躯がデカすぎるけど)を演じるためには、文字通り全身に気を張り巡らせてエイプらしい挙動をしながら、人間味を感じさせる表情を作り、そして手話による対話を見せる。これらを同時にやり遂げるなんて、とんでもない偉業ですよ。



そんなエイプ達の芝居は、見逃せる瞬間が皆無。画面に神経を集中し続けたという意味では今年ナンバーワンの映画ですね。



ストーリー展開もものすごく丁寧で、且つモタつかない。独自の文化圏を形成してきたエイプが、致死性ウイルスの氾濫の中で僅かに生き残った人間と遭遇し、統一された意思を見失っていく。



エイプ側、人間側、双方で生まれる意見の相違、乱れる感情。エイプ文化を守りたいがゆえに人間との衝突を避けるシーザー。過去のトラウマから人間を憎悪し、根絶やしにしようとするコバ。描くべきテーマから逃げず、派手さに逃げない真摯な姿勢が現れた脚本だと思います。



様々な要因が積み重なってエイプと人間の個人の行動に作用していく。それが物語に伝播し、さらに濃密な感情をキャラクターに抱かせる。結果、本当の意味でのクライマックスが生まれる。



この映画、いい仕事してます。



ジャンルとしては間違いなくSFにくくられる作品ですが、現代社会が乗り越えられない根深い問題とも向き合っているように感じられます。特に、銃器に心を揺さぶられる人間の愚かさについて新たな切り口で描いていたりとか。



エイプと人間、エイプとエイプ、人間と人間。それぞれの軋轢からは普遍的なテーマ性もたっぷり感じられて、それが芝居の重みを強固なものにしています。取り返しのつかない行為の根源にあるのが小さな嫉妬心だったりするところとか。



人々はなぜこのような過ちを犯してしまうのか…という根源的な問いかけっぷりを見ていると、もはやこの作品はダークナイトにも似た傑作に思えてくるのです。



しかもそれを表現するのがパフォーマンス・キャプチャーによって描かれたCGキャラクター。これぞ画期的で、映画史に残るべき作品だと確信するに至ったのです。



エイプならではの文明が萌芽しようとしているところに放り込まれた人間、という構図で見ると一種のタイムスリップものとも言えるかもしれません。人間がボッコボコにやられますけどね。もちろん優れたディストピアSFでもあるし、アクションのスケールも相当なもの。



よくあるテンポにまとまらず、一か八かなギャンブル構成で勝負に出たこの作品、かなりのオススメです。パフォーマンス・キャプチャーの凄みを堪能するだけでも見る価値あり! 是非映画館で御覧ください。