ついでにmusicのお話をしようかな。とはいえ、この歳で既に片足を懐古主義に浸しているかもしれません。CDなんて全然買ってない・・・かも。電気×スチャダラパーのトワイライトは買ってみました。結構良かった。

音楽と向き合う時間がすごく少ない。外出時には大抵HDプレイヤーで聴いてますがちゃんと聴いてないような気もする。10年前のDJミックス系な音を聴くと確かにそこには心の震えが生まれるのだけど、[感動のコピペ]ともいうべきバーチャルな体験に過ぎないのかもしれません。って、そんな事思ってないけどさ。

あとはSan AndreasのRadio に[5W1H]の曲を入れたりして90年代アメリカンメジャーと21世紀ジャパニーズアングラのヒップホップタイムパラドクス(なにそれ)を楽しむという妙な音楽体験をしたりもする。音と音楽でしかないRadioの選曲の中に生まれる記憶と親近感。いとおかし。っていうのかこれ。

歳を取ると必然的に脳内に情報が蓄積されていくけど、新しいものに対するアンテナの感度が悪くなるのってそのせいなんじゃないか? という考え方に先日至りました。歳を取ると=鈍感になっていると、一度の観賞(試聴も含むかな)で大量の情報を与えてもらえないと反応しなくなる。

大量の情報とは何なのかというと[どこかで物凄く評価された作品だ]とかそういう客観的かつ付随的なデータを内臓した[印象]である。データ不足な[新しいもの]になかなか反応できなくなるのは脳内の記憶部に沈殿した情報によって感度が悪化・鈍化するから。

そしてその先には[あの頃聞いてたあの曲は最高だったなぁ][あの映画を見た時の感動はとてつもなかった]という懐古による評価基準の日常化。本当にその思想に染まってしまった時はかなり手遅れであって、特にクリエイトしていく側の人間にとっては致命傷になるでしょうなぁ。

なーんて、この前、思ったよ。