葉桜の季節に君を想うということ

 歌野晶午・作「葉桜の季節に君を想うということ」を読みました。2003〜2004年あたりのミステリ系ランキングで1位になりまくった作品だそうです。
 中盤に至るまでに「はぁ〜、なんでこうなるかなぁ」というような疑問が何度も脳裏を走ります。
 まず、笑いのトーンが…厳しい。行動、セリフ、そこから見えてくるキャラクター。簡潔に言えばいけ好かない。トレンディ・ドラマをホウフツとさせるセンス。
 最後まで読むと、そのセンスには一応納得するべき理由があると思うのだけど、歌野作品に触れた事が無い自分にとっては「これが歌野スタイルなのかな」という印象を抱いてしまう。
 シーン構成も集中を削ぐ理由の1つ。描いておかなければいけない過去をどのように挿入するか。ここも一種のセンスが必要。
 オチを知らないので、過去シーンにどのような意味があるのか分からない。必要性が見えないまま唐突に挿入されたシーンが、ダラダラしたトーンと微妙なセンスで書かれているのに辟易してしまった。
 会話のセンスでいえば我孫子武丸スラップスティックミステリである「速水三兄弟シリーズ」に遠く及ばないし、そもそも刺激性でいえば突出している戸梶圭太を愛読するような自分の好奇心を繋ぎとめるのは困難すぎるのかもしれない。
 個人的な印象で小説を批評するのは褒められるべき行為ではないけど、読んだ時にどう感じたかという事実として書き残している。
 そんなわけで乗り切れないまま読み進めていき、作品に仕掛けられた大掛かりなトリックが姿を現すわけですが…なんというか、トリックの為に作品が存在しているような気がしてしまうんだよなぁ。
 好みに合わないミステリって結局そういう感想に至ってしまうのかな。チルさんの理解力が足りないというのも多分にあると思われます。
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 p.s.速水三兄弟のところを椎名三兄弟って書いてました。椎名はメビウ(略