ブラック・ダリア

 日曜日に監督:ブライアン・デ・パルマ“BLACK DAHLIA”を観てきました → オフィシャルサイト
 って3日前じゃん。もったいつけるほど感動したわけでもないし、超つまらねーというわけでもないです。
 珍しく役者に目を引かれた映画でした。主役のバッキー“Mr.Ice”ブライカートを演じるはジョシュ・ハートネット。この人といえば“パラサイト”のイメージしかありません。ライトヘビー級のボクサーだった男を演じるわけですが、イケメンっぷりが全開だったわけでもなく、雰囲気は決して悪くなかったです。
 “Mr.Fire”ことリー・ブランチャードの演者はかなりマッチョな雰囲気を持っていたので溶け込んでたと思います。
 ケイ役がスカーレット・ヨハンソンって人でしょうか。よくわかってません。余分なものの無い顔立ちと、過剰に女性的なスタイル。演技はよくわかりませんが、薄幸テイストがやや弱かったかもしれません。
 バッキーといい仲になるマデリン役はヒラリー・スワンク。名前は知ってまーす。“ダリア”&ケイと比較しちゃうとアク強いルックスで、ダリアに似ている女というポジションからちょっと遠いところが微妙なところ。映像って大変ですね。
 “BLACK DAHLIA”ことエリザベス・ショート役の人は顔ちっちゃくて目がグリングリンでバカっぽさを十分に醸し出してました。「下手な演技をしている演技」とかポルノ映画でもだえるのとか、難易度高いヤクドコロだったと思います。お察しします。
 他のキャラに触れるとヤバそうなのでスルー。
 原作小説を2日前に読んだばかりなので展開やら構成やらの違いが多少目についたのですが、それよりもデ・パルマのディレクテッドっぷりの方が違和感あったりして。スネーク・アイズしかりミッション・インポッシブルしかり、ほとんど同じスタイルで撮っていてこの映画に関しても「らしさ」を発揮している。
 しかしその個性は洗練しきれないという意味での「らしさ」であって、チルさんの鼻は「時代に取り残された」感を嗅ぎ取りました。
 1946年を舞台にした作品という事で演出自体をあえてオールドスタイルにしているフシはあるものの、それを考慮しても作品へのスタンスが緩いように思いました。
 具体的にいうと回想シーンの描き方。簡単な言い方をすれば2時間サスペンスのような、犯人の独白に回想映像乗っけるという手法。手法そのものが古いというより、この手法を用いなければ描けないような物語はそもそも映画化すべきでない、という気がします。Snake Eyesも似たような構成・画作り・テンポで“真相”を描いていたし、Mission Impossibleも似たようなもの。真新しさが感じられない。
 おまけに、それら二作品に合って今作に無い要素がクライマックスの濃密さ。Snake Eyesのように舞台も派手じゃないしMission Impossibleみたいな派手アクションも非現実的。原作のような堕ちていくノワールテイストは消失している。ミステリ的意外性をある程度の形にしたところで満足している、そんな印象さえ受けました。
 演出の前段階、脚本/ストーリー展開について。原作と異なる部分は少なくないのですが、原作の展開の中でも格別にノワールな瞬間を全く別のシーン構成で描いていたのにはかなり失望しました。当然その変更点には何らかの意図が存在すると思われるのですが、超〜浅い。透けて見えまくり。こんなショボい演出のためにアレが犠牲になったのか!と思うと呆れてしまう。
 うむむむ…書いているうちにショボさがどんどん目に付いてきて、真正面から批評するのがアホくさくなってきたぞ!
 真相へたどり着く経緯が簡略化されている点は多少許せるけど、そのせいあってか終盤における主人公の存在感がかなり薄くなってしまっている。小説の映画化にありがちな「葛藤を描ききれず」という部分も目に付いてしまうし、大抵の観客には主人公の立場が理解しきれないように思う。
 思い返しても素っ気無い構図のビジュアルばかりだし…うぅ、かなり残念だ。“違和感”どころじゃないわ。L.A.コンフィデンシャルのクオリティに遠く及ばない、そう思うよ!!! バイバーイ!