old boy

 ネカフェでの殺人描写を見ていて脱帽。「役者のテンション、画面のトーン、切なく荘厳な音楽、エレガント属性な殺人者」。たとえば日本映画界に、これだけの要素がすべて詰まった作品は生まれ得るだろうか? 1つか2つの要素が欠けたものなら成立するかもしれないが、全てが揃うのはまず無理のような気がする。
 映画はプロフェッショナルによって生み出される。異臭をかぎ分ける嗅覚、それに異議を唱えるプライドが必要だ。ダサいもの、古いセンスを見逃してはいけない。
 しかし下手に発達した嗅覚は新しい表現やセンスに対して違和感を覚え、否定することもある。あらゆる挑戦を蛇足であると捉えるような嗅覚は間違っている。
 表現者は常に先を見つけなければいけない。何か面白い事ができるはずだ。何か新しい表現があるはずだ。1年以上観ていなかったold boyに、そういったフロンティアスピリッツが凝縮されていると痛感した。
 優れた漫画原作にパク・チャヌクのマニアックな執念が重なるとこういう怪物映画が生まれてしまうのだろうか。凝縮されたサスペンス性をしっかり表現することと映像表現としての斬新さをキープすることが高いレベルで両立しており、トランス的恍惚を作り上げていく。
 あとは原点回帰的な発見だけど、学校で記憶を取り戻していく描写を見ると脚本段階で出来ることって限界があるんだなぁと。脚本に込められるのはテーマ性までか。ディレクターとしての遊びが無いからといって怖がって前に進めない自分だけど、もう少し馬鹿になってもいいのかな。
 馬鹿でも秀才でもいいから書けと。