no country for old men

 昨日ひばりヶ丘で二郎行った後に漫画喫茶に寄ったところ、その店のPCで「No country for old men」を観る事ができました。でも漫画読んだりゲームやったりで映画を最後まで観られなかったので帰りにTSUTAYAでレンタル。
 しかし邦題「ノーカントリー」ってのはいかがなものか。
 まぁこの映画は色々と考えさせられる。
 どういう意図で演出されてるのか、セオリーってのはなんなのか、セオリーを守る事が大事な作品もあればセオリーを外れれば外れるほどグルーヴィになる作品もある。何を描写して何を描写しないのか、そのチョイスに意味はあるのか。。。
 簡単に言うと「なんだこの映画?」である。
 淡々と描かれる殺戮。ただ必死に生きようとする逃亡者と、ただひたすらに殺そうとする追跡者。
 アクションシーンは、いかにも小説ベースだなぁという印象を受けた。1つ1つのアクションに理由がある。生死を分けたポイントが明確。
 しかしそれにしては、逃亡者ルウェインの死が全く描かれていないので戸惑う。追跡者アントンの無慈悲な連続殺人はほとんど描写されているけど、ギャングによるルウェイン殺害はあえて描く必要が無かったという事だろうか。
 音楽が一切ない事を度外視しても、とにかく徹頭徹尾ドライな描写。誰もが必死に生きようとする。人外的殺人鬼アントンでさえ、自分が負ったダメージには適切な治療を施す。それを写すカメラにはなんの感慨も見られない。
 なんだこの映画。
 old menの一人である保安官は、逃亡者と追跡者を追い続けたが、最後までその存在に触れられないまま引退することを選ぶ。テーマ性を感じるとすれば唯一そこである。
 タイトル通り、「じいさんばあさんの出る幕は無い」ということか。老いた保安官が最後に大事件を解決、そんな夢物語は誰からも必要とされていないのか。
 保安官というモチーフがアメリカ映画としては逆に新鮮で、なおかつそんなモチーフを描いた映画としては斬新だったりするのかもしれない。諦観したかのように見えるトミー・リー・ジョーンズがルウェイン殺害現場にふみこむ際に振り絞った勇気。しかしそこには何も無い。。。
 それにしてもスリラーとしての緊張感は十分ですね。その要素だけでも引っ張れる。うーん。