と私

 今日も三沢氏の死について延々と考え続ける一日だった。
 三沢氏との別れを済ませるため、まずは自分の中の最も古いプロレスの記憶から振り返ってみた。その記憶とは中1の頃に友人の影響で初めて録画した全日本プロレス中継における一戦だった。
 初めて録画した放送を当時の自分は何度も何度も繰り返し鑑賞した。今思えば、初めてAVを入手した時よりもっと凄い衝撃を受けた。間違いなく。
 その放送の中の一戦が川田利明菊地毅vsダグ・ファーナス、ダニー・クロファット(カンナム・エキスプレス)のタッグマッチだ。この試合はかなり鮮明に覚えている。
 序盤における場外戦で川田がクロファットにタイガードライバーを食らう。マットのないところでの一撃だったかは定かではないけど、川田はその一撃で脳震盪的な深いダメージを負い、グッタリ状態。
 試合の権利があったのは菊地。川田がグロッキー状態から回復するまでの間、カンナムは小兵・菊地を延々といたぶり続けた。長い間孤立奮闘する菊地。ゼロ戦キックを軸にして必死に戦うものの力の差は歴然。カンナムは余裕を見せながらやりたい放題。
 やがて川田が復帰して菊地とタッチ。猛然とラッシュしてカンナムから余裕を奪うも、最終的にはカンナムが菊地からピンフォールで勝利だったと思う。
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 自分がプロレスに熱狂した原点がこの試合にある。一方的にやられていたベビーフェース(タッグ)が試合の節目を境に猛然と反撃する。川田がカンナムに
対して放つ蹴りの一発一発が観客の爽快感を生む。
 試合結果に大した意味はない。リングの上にドラマがある。そのドラマを体現してみせる猛者達が現実に存在している。今も昔も、それがプロレスだ。
 超世代軍がブームになりかけていた時期なので、同じ日の放送では三沢・小橋組が誰かと対戦していたんだろうと思う。その試合については思い出せそうにない。
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 そんな最も古いプロレスの記憶はさておき、三沢氏が体現した名勝負はいくらでも覚えている。
 若手の急先鋒として三冠王者という高い壁に挑み続けた三沢に感情移入できないわけがなかった。全日本の頂点であるジャンボ鶴田、そしてスタン・ハンセン。両者に体格では明らかに劣っていた三沢はひたすら努力を積み重ねた。
 30歳の三沢が初めて三冠王者になったという圧倒的事実に14歳の自分は飲み込まれていた。
 なるほど、あの時の三沢と今の自分は同年齢なんだ。