mother

 ポン・ジュノ監督作品「mother」を観てきました。邦題は母なる証明
 前作グエムルから3年ぶり新作という触れ込みですが、東京をモチーフにしたオムニバス撮ってるし実際のブランクはそれほどでもないですね。
 殺人の追憶なりチェイサーなりは現実の事件、それもとびきりショッキングな連続殺人を基にした半ノンフィクションですが、ここにきてポン・ジュノがどのような殺人をフィクションの中で描くのかをしっかり見届けたくなりました。
 オープニングは主役の母が広大な草原を歩き続けているシーン。息子の無罪を示す証拠をやっとの思いで発見した場面? そんな印象でした。
 この際に流れたBGMが一瞬ハエの羽音に聞こえたので死体でも見つけたのかなと思いましたが、結果的には見当違い。どちらにしろ物語中盤以降にこのシーンへ繋がってくるのだろうなーと身構えざるを得ませんでした。
 序盤の20〜30分は目立った高揚感もなく、たま〜にカメラアングルが憎たらしい程度。この辺は殺人の追憶でも似たようなテンポだったので余計に期待が膨らむ。
 最終的には序盤〜中盤にかけて丁寧に伏線を張りまくっていた事が解る。しかし丁寧でありながらも、もう少し派手さや切れ味が欲しかったかもしれない。あの地味さこそが村的な地域性をリアルに描写した結果だろうとも思うけど。
 中盤以降はリアリティとミステリ的展開のせめぎ合い。リアリティと一口に言っても[母親][現代][被害者][村社会]という雑多な要素が介在してくる。それらを処理した上でフィクションを描く事は決して容易ではないだろう。
 しかしその苦労は作品の持つ躍動感に還元しにくい部分でもある。そこを犠牲にしてでも描きたいモチーフだったという事だろう。
 観ている途中で一瞬だけ「勧善懲悪的なハッピーエンドで終わってほしいな」と感じた。主要キャラの配置をおおよそ把握したところでその希望が叶うだろうと半ば確信した。
 しかし叶わなかった。
 伏線というのは2度フリがあってこそ成立する、それがこの映画で得た教訓です。1度示唆しただけで伏線を気取るのはチルさん的に反則。
 バカ、そして針。悲しい伏線。
 今回の作品は仄かにキム・ギドクらしさを感じた。ウォン・ビンが出演していなかったら相当小規模の映画になっていた脚本だと思うし、そこにギドク作品に近い作家としての決意が見て取れる。グエムルを叩いたギドクも、この映画のテーマ性は認めるんじゃないだろうか。
 別の見方をすればパク・チャヌク風味さえ感じた。人間がいつだって愚かな獣になり得るという認識。韓国人映画作家に共通するもの悲しさと、世間を見るシビアな視点にはいつも唸らされる。
 それにしてもこの作品の邦題は雄弁すぎる。オチさえも予感させかねない蛇足感。
 ラストカットはSABUのアンラッキーモンキーみたいだったなぁ