MAD MAX FURY ROAD

マッド・マックス

怒りのデス・ロード



MAD MAX FURY ROAD!



見てきたぜフォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!



公開初日の6月20日ユナイテッド・シネマとしまえんにてIMAX3D版を、6月22日にイオンシネマ板橋にて2D版を、8月3日に立川シネマツーで2D極上爆音上映版を見ました。ぜんぶ字幕。



http://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/









1人の映画作家の中から湧き出るレベルとは思えないような、確実に世界を揺るがすであろう衝動。誰も見たことがなかった、それでいて誰にも生み出し得なかった世界がここにある!!!



呆れるほどに膨大なイマジネーションとそこから構築された世界観の完成度、リスク度外視でデザインされたぶっ飛んだアクション描写、自分の命を全うせんとするキャラクターたちのバイタリティ、クライマックスが次々と襲いかかるセオリー無視のストーリー構成。



『マッド・マックス』という神話が2015年に再降臨!! 今年で70歳の大ベテランが世に解き放った異形の怪物に、俺達は魂を喰らい尽くされる!!



なんのために映画を見るかって、やっぱり最終的には「巨大なまでに膨れ上がった個人の情念が限りなくダイレクトに投影された作品に触れたいから」なんだと思わせてくれる、そんな、アクション映画史上に燦然と輝くクラシック、それがこの映画なのです。



こんな時代にこんな映画を作り上げてくれたジョージ・ミラー。あなたこそIMMORTAL(不死)な映画作家だ!



とりあえずこんな感じで更新します。内容に関してはこれからチマチマ書いて、そのたびにアップロードします。



この映画、男もしくは女にとって必見です!







冒頭にナレーションとして主人公マックスの言葉を聞かせるのですが、「文明が崩壊して石油資源を巡る殺し合いが起こった」というマッドマックス的なディストピア世界観を端的に説明し、これ以降は説明っぽいセリフを一切排除しています。



Wastelandと呼ばれる、ひたすら荒野が広がる世界に一人立つ男、マックス。足下に這いまわる双頭トカゲを踏みつけ、手づかみで口に放り込んでムシャムシャ。



何かに気付き、荷物をピックアップすると愛車インターセプターに乗り込んで走り去るマックス。数瞬遅れて画面に登場するいかついフォルムの暴走車数台。



十台を超える暴走車集団に追われるインターセプター。ロングショットでゆったりとした画のチェイスシーンが数秒描かれた後に、先頭を走っていたインターセプターが突然爆破で吹き飛びクラッシュ。



1度目ではよくわからなかったものの(地雷を踏んだのかと思った)、2回目の観賞ではインターセプターのクラッシュが槍爆弾によるものと分かりました。



主人公マックスは謎の暴徒たちに捕まり、鎖で吊り下げられて長い頭髪をバッサリ刈られます。さらには背中全面に入れ墨で「O型、ハイオク」などといったデータを彫られていきます。



なんなんだ?どういう意味なんだ?こいつら何者なんだ?



…と思い、少なからずマックスと同調していた観客ですが、マックスはそんな同調に構わず焼き印を押される直前に逃走!!



狭い建物の中を逃げ回り、天井にしがみつき、水の中に引きずり込まれたりしながら外に通じるドアを開けると、そこは地上数十メートルの高さ。



巨大な岩盤を活かした構造物の間にかけられたリフトのフック(説明が難しいので予告編で見てね)に飛び移るマックスですが、そこから何ができるわけでもなく再び捕まります!



この逃走描写の異常なハイテンポ感、その中に凝縮されたイメージの数々。すぐ捕まってしまうようなマックスの「無駄なあがき」さえも全力で描いてみせる、製作陣の姿勢に早くも呆気にとられるわけです。



そして主人公が開始5分で自由を奪われた傍観者に転ずるという意味での構成的な斬新さ。心を揺さぶられずにはいられない。



アヴァンタイトルからタイトル表示を経ると、そこで一旦マックスの視点は消失し、今作の世界観が改めて「説明」されていきます。



イモータン・ジョーと呼ばれる男と、それを崇めて従う者達が構成する小さな社会。一括で管理された水源を支配するジョー、その体制に不満を抱くこともなく「お恵み」を待ちわびる家畜的な人々。



そんなジョーの独裁を支えるのが全身白塗りで顔にスカル風のペイントを施したウォーボーイズなる兵隊たち。ジョーを神と信じて疑わず、シンボルとして乗用車のハンドルを大事にしている連中です。



カリスマとしての支配者と、被支配者層。そこには軋轢も人権蹂躙も存在しないように見えます。それはマッドマックス2や、マッドマックス サンダードームでも描かれてきた「現代とは違う価値観によって保たれている秩序」なわけですが、今作の凄さはそういった世界観のディテールの深み/描き込みがとてつもなく壮大なスケールであることと、それを表現する語り口が潔くて作品全体のテンポを乱していないこと。



ジョーの右腕である女の幹部フュリオサが、取り引きのため重装備のタンクローリー"War Rig(日本語版ウォータンク)"に乗って、ジョーとは別の集落の要所へ向かうのですが、途中で進路を変更。ジョーの命令に背くところからこの映画における物語らしい物語が始まります。



ジョーを補佐するfreakな息子がフュリオサの進路変更を発見し、それを知ったジョーがうろたえ、自分の5人の妻の失踪を知って激怒、総員態勢でフュリオサを追跡することになるのですが。



ここのジョー&ウォーボーイズ出撃シーンで、徹底的に練り込まれた世界観が次々に観客へ提示されていくわけですが、その勢いの凄さに我々は圧倒されるしかないのです。



乳房につながった搾乳器で乳牛のように母乳を吸引されているふくよかな女性たち、その前で満足げなジョーとその手下たち。そこに説明らしいセリフは皆無で、瓶に貯まった母乳を飲んで納得げな表情を浮かべるだけだったり。ここで母乳を飲んでいる一際背の高いマッチョ野郎はジョーの息子という設定なのですが、そういう背景は全く説明されません。でもそれでいいのです。



フュリオサが進路を外れたと知ったジョーは狼狽し、砦内を移動。そこでのうろたえっぷりからは大物らしい威厳は感じられず、カリスマの正体が普通の人間であることをファニーに表現しています。



この流れの中でも、母乳工場→植物栽培プラント→銀行の金庫のような巨大な扉で封印された部屋(妾を住まわせていた場所)と、キャラクターの背景としての描写だけで綿密な世界観の一端を見せつけています。



ジョーの出撃シーンの中で登場するのがNUX(発音はナックス。日本語字幕ではニュークスと表記)というキャラクター。彼は、高い位置に吊るされた鳥かご状のオリの中にいるマックスからダイレクトに輸血を受けている状態で、その輸血が無いとそのうち死んでしまう…らしい。



ニュークスは相棒がハンドルを手に出撃しようとするのを止めて「それは俺のだ!俺が運転する!」と主張。おまえはもう長く持たないから待ってろとなだめられるのですが、「こんなところで死ぬのは御免だ!どうせ死ぬならデスロードで死なせろ!」と食い下がります。



そして「輸血袋も一緒に連れていく! 車にくくりつければ文句ないだろ!」と言って相棒を納得させるのです。



字面で説明しても伝わらないですよね。映像で見てても理解できないんです。状況説明のためのセリフを極力カットしているから何がなんだか解らなくて当然なんですね。



ジョーが追跡を開始するまでの流れと同様に、NUXの芝居も「その世界におけるリアリティ」を徹底したがゆえの無駄のない言葉に終始しているのです。



どうやらNUXは病気らしい、輸血によって生き延びている(という意味ではヴァンパイアに近い)状態らしい、マックスはいつの間にか輸血袋(英語でbrood bag)扱いされて人権を無視されている、そういった情報が次々と観客の目に飛び込んでくるのです。



ゆえに初回は全てを理解しようとせずにテンポに身を任せて観賞するのがベターです。2回目には全てに合点が行く作りになっています。



観客の戸惑いは自由を奪われて発言も許されないマックスの戸惑いでもあるのです。この関係性が生み出す没入感を監督ジョージミラーはどこまで意図的に行っているのか…計りしれません。



フュリオサがジョーに反旗を翻した理由もこの時点では不明なのですが、長い長いカーチェイスがここから始まります。



まずは、フュリオサが運転するWar Rigとそれをサポートする数台のビークルが、ヤマアラシと評される「尖った金属を大量にくくりつけた車に乗っている連中」と交戦します。



ここでフュリオサの部下たちが使う武器こそが、アヴァンタイトルでも一瞬お目見えした槍爆弾です。細長い槍を敵車両に投げつけると、命中した途端に爆発! こんな武器、これまで見たことありますか? チルはありません。未来的な発想ではなく、超原始的な武器に爆発というアクセントを付与しただけ。それがこんなに新鮮な描写になるなんて。歯噛みした映画人は多いはず。



こういう武器についても「見りゃわかるだろ」とばかりに説明はありません。既に戦いが始まっているのに、慣れ親しんだ武器についてわざわざ説明する間抜けキャラはいないのです。槍爆弾の公式な名称はThundersticksだそうですよ。



Thundersticksのインパクトに驚いたままハイスピードの集団カーチェイスを呆然と眺めていると、煙の中からヤマアラシ軍団のボス(であろう人間)が乗っている(であろう)ヤマアラシ型にカスタムされたでかいトラックが登場!Thundersticksを食らってもビクともしない重厚感に早くも大興奮!



そのタイミングでイモータンジョーとその軍勢がWar Rigのすぐそばに迫ります。NUXの運転する車のフロントにくくりつけられたマックス。視界の邪魔になるという発想はNUXにありません。



ジョーの車両(馬鹿でかい)と並走しながらジョーに話しかけるNUXの姿は、アイドルから必死にレスをもらうヲタクを連想せざるを得ません。「今俺のこと見た!マジ見た!イモータンジョーが俺見た!」と大喜び。「輸血袋を見ただけだよ!」などとNUXを否定する相棒も微笑ましい。



血気盛んなNUXの車が先頭を切って乱戦に合流。自分を取り囲む死の可能性を実感したNUXは



「What a day! What a lovely day!」



の名台詞を口走ります。ウォーボーイズにとっては戦死こそが名誉。その先には魂の救済地としてのヴァルハラが待っている…と洗脳されているわけです。



フュリオサ、ジョーとその部下たち、ヤマアラシ。それぞれの思惑が交差する乱戦シーンに関してはアクションの密度が高すぎてディテールに触れることすら無意味に思えてくるわけですが、Thundersticksを両手に持って敵車両にダイブ&自爆する描写なんて、当たり前に描いてますけどカッコいいっすよ。



ヤマアラシ軍団のボス車がやられるところのアプローチは意外すぎて「えっ、それで終わるんだ?」と笑いました。押し引きと寄り引きの使い方がどこもかしこもフレッシュ。



ヤマアラシ軍団を振り切ったフュリオサは、巨大なスケールの砂嵐に突っ込んでジョーの軍勢を撒こうとするのですが、NUXをはじめとするウォーボーイズたちは名誉の死しか眼中になく、おかまいなしで砂嵐突入。



輸血袋としてのマックスは拘束を解かれた隙にNUXの相方を蹴落とし自由を得ます。しかし砂嵐の中で逃げ出すわけにもいかず、ひたすら車にしがみつくしかない。



NUXは仲間の車が嵐の中で飛散して爆発炎上する姿(この情景は本気で美しい)を見て感極まり、車内にガソリンを撒き散らして発煙筒で爆死しようとします。



それを見たマックスがルーフから発煙筒をつかみ、もみくちゃになりながらなんとか自爆を食い止めることに成功。車の後方に投げ出される発煙筒を描いたカットの美しさと、ようやく訪れる静けさをもって、怒濤の第一幕が終了したことを観客は理解するのです。



この瞬間に映画館に広がる「うわあ…まだこの映画前半だよな!?」と感じながらの疲労感がたまらないわけですよ。まさにいきなりクライマックス。



夜が明けて砂に埋もれた状態で目覚めたマックスですが、腕には血液を送るためのチューブと手枷と鎖がつながったままで、その先には車に乗ったまま気を失ったNUX。



この映画の優れた点はキャラクター間の関係性がとめどなく連なるアクションシーンの連続の中で絶えず変化し続けるところ。第一幕を終えて、マックスがいよいよ主体性を持つことになり、映画がさらに加速していきます。



マックスは手枷を外すために色々と頑張ってみるのですが、最終手段も失敗に終わり(笑える描写)、諦めてNUXを肩に担いで移動することに。その際に車のドアも一緒に引きずっていくところが男らしさに満ちていてシビれますね。



マックスが歩く先にいたのは停車したWar Rigとフュリオサ、5人の美女。第一幕の乱戦の中でイモータンジョーの妾(子産み女と称される存在)たちです。



マックスは銃でフュリオサたちを威嚇し、まずは腕につながれた鎖を外そうとするのですが、隙をついたフュリオサにタックルされてダウン。そこから格闘アクションへなだれ込みます。



この格闘アクションのデザイン/創造性がこれまた綿密で。鎖でつながれたマックスの腕、車のドア、砂漠という地形、War Rigから伸びたホース、5人の女たち、気絶から目覚めるNUXなど、様々なファクターをアクションに組み込んで、すさまじいテンポで見せつけてくるのです。



キャラクターに宿る強い意志と生命力が画面からあふれでてくるようでこれまた圧倒されます。



製作開始から10年を経て完成した異例の作品だから(シーンの完成度か高くなる)というだけでなく、ジョージミラーが天才的なセンスとデザイン性を発揮したからこその作品なんだということが明らか。見ていて楽しくなります。



小競り合いの末、フュリオサの逃避行にマックスが同行する形に。まだお互いを信頼するには程遠いものの、そこへ追っ手が迫ってくることによって共闘せざるを得なくなる。キャラクター間の距離感(ドラマの根元)が常に変化し続けていくシナリオ。



マックスは顔面にハメられた金属製の拘束具を外すため、鉄ヤスリで頭の後ろをガリガリと引っ掻きながらWar Rigの上を渡り歩き、戦うのですが、このガリガリ時間が異様に長いのがすごくリアルで、なおかつファニー。ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ



このじれったさがあるからこそ、すべての束縛から解放されたマックスの強さが引き立つ!…にしてもガリガリガリガリはギャグとしても秀逸でした。



死に損なったNUXはWar Rigにちゃっかり乗っていてフュリオサたちにちょっかいを出すのですが、反撃されてWar Rigから放り出されます。基本的には殺し合いなのでカーチェイスから放り出されたら死ぬんですけど、NUXは生存。そういう意味でのグロ描写ゴア描写はこの映画にほとんどありません。「どんな風に殺したか/どう死んでいったか」を描くより「どう生きたか」をしっかり描いているのがこの映画なのです。



フュリオサは他の部族が支配する関所のような「谷」を通過するため、War Rigに積んでいる燃料や水を渡そうとするのですが、そこにジョー軍団が迫ってきます。交渉はうやむやになってチェイス再開。フュリオサvsジョーvs谷軍団。



ここまで来るとマックスとフュリオサの連携もしっかりしてきて共依存的になっています。



爆破による崩落で道を塞がれ、それを乗り越えたジョー軍団にNUXが合流。逃走中の女が身に付けていたレース生地を手にしていたがゆえの抜擢なわけですが、ジョーはNUXに対して「おまえの魂はヴァルハラが迎えてくれる。さあ死んでこい」的な叱咤激励を飛ばし、拳銃を託すのです。



そしてそれと同時に、NUXの口元に銀色のスプレーを吹きかけます。



この銀色スプレー、この映画でも一番インパクトのあるアイテムなんですが、なんのためなのか、どんな効果があるのかはまったく説明されません。ドラッグほど目に見える効能はないのですが、銀のスプレーを浴びる(吸引?)ことは、どうやらウォーボーイズにとって大きな意味のある行為らしい。



物語を動かすような意味はないし、伏線ですらない。しかしこういったアイテムによって厚みを増す世界観は唯一無二の仕上がりになっていくわけですね。つっこみどころというより「愛しどころ」なんですよ。



自分が神と崇めるジョーからスプレーのご褒美をもらえたNUXは今にも昇天しかねない表情を浮かべたあとでWar Rigに飛びかかっていくのです。そんな単純な思考回路で生きているNUXが可愛すぎるし、そんな彼の若さに、同じくらい馬鹿だった過去の自分が重なりあうのです。



テンション最高潮のNUXはWar Rigに飛び乗った瞬間足をすべらせてあやうく転落しかけます。拳銃も落としてしまいます。



それを見たジョーたちは「アチャー」と渋い顔。



ここの流れ(緊張からの緩和)の面白さはカメラワーク的にもっと強調して膨らませていいと思うのですが、超あっさりで映画のスピード感を維持しているのも方法論としては間違ってません。



谷越え後のチェイスもハードコアなアクションの乱れうち。運転席にヤリ(モリ)が打ち込まれてWar Rigのハンドルが奪われるのなんか超斬新。ハンドルがない車を運転する映画なんて見た事ありませんよ!?



そしてその危機的状況を、フュリオサが自らの義手をハンドル代わりに使って切り抜ける。こういうアイディアの豊富さは他に類を見ない。次々と敵の攻撃を受け、まさに一進一退のスリルに満ちたチェイスシーン。



嫁のうちの一人であるスプレンディッドがWar Rigから落下しそうになり、ギリギリで助かった後に見せる口下手マックスの不器用なサムズアップ(b)はこの映画の中でも最高の描写のうちの1つなのですが、その直後にスプレンディッドは落下。押し引きが凄い。



目の前に落下してきたスプレンディッドをイモータンジョーは急ハンドルで回避しようとして大クラッシュ。ただの派手なクラッシュシーンの中にイモータンジョーのキャラクターを盛り込んでいるところが本当に凄い。ジョーの「優しさ」によってヒリヒリのバトルが終結するからカッコいいのです。ラスボスの悪さを強調しないところが秀逸。



既に映画2本分の超クライマックスが描かれたこの映画ですがまだまだ続きます。





潜入を志願したNUXですが飛び乗りに失敗、その後にはイモータンジョーが大クラッシュしてしまったために責任を感じて腑抜け状態に陥ります。(クラッシュを目撃しているカットがちゃんとある)



War Rigの後部座席で死んだように横たわっているところをジョー嫁軍団の1人に見つかるNUX。「ヴァルハラの門は3度も開いたのに俺は死ねなかった…」と凹むNUX。ジョーによってインセプションされた歪んだ宗教観によって、彼は生き続けている自分を憎んでいます。



しかし赤髪のケイパブルによって慰められ、自分が知らなかった価値観を提示されて再び立ち直るのです。こういった物語性を帯びたNUXというキャラクター、感情移入したくなるんですよ!



くだらない事に熱を上げて、それだけが自分の人生を捧げるべきものだと信じきって、でも様々な壁にぶち当たって、傷つき、それまでの価値観が崩壊する。そこから再起して新たな一歩を踏み出す。大人になっていく。



そんなキャラクターがハードコアすぎるアクション映画の中で完璧に描かれている事、これはやっぱりとんでもない偉業です。



夜になり、War Rigがぬかるみにハマって停車。なんとか再発進しようと苦労する場面。ここに関しては、後方から迫る追っ手との距離感の描き方がかなり雑。マックスが地雷をWar Rigのすぐ後ろにセットしてるのに、War Rigが走る描写がないまま追っ手が地雷で爆死するなど、正直わかりにくいです。3度観賞したからこそ気になる部分でした。



停車してちょっと走って、でも止まって、そんな流れを繰り返す中でNUXが運転席に座ってアクセルをふかします。ウォーボーイズは車のエキスパートなのでフュリオサたちにとってNUXは心強い味方なのです。



「あのでっぱりにウインチを括り付ければ走れるよ!」と、Tree(木)という単語さえも知らないという萌え表現&世界観(木というものがほとんど存在しない)の深みを感じさせるNUXの名台詞が飛び出すのもこの場面。



チェイスの凄さというより、後ろから迫る追っ手が銃を乱射し続けるイカレキャラで、追いつかれる前に発進しなきゃ!という、スリルを感じさせるシーンでもあります。この映画の中でも異例。



後方から迫るBullet Farmerに対して長距離用狙撃ライフルで対抗するマックス。撃てる弾丸は3発。2発を外したところでフュリオサにライフルを渡し、フュリオサのための補助台として肩を貸すという、主人公らしからぬ消極性を見せるんですね。



しかしそれによって逃走者チームの連帯感がしっかり強調されるんですよ! 強い女・フュリオサも改めて描かれるし。



さらにはこの場面の後、マックスが「ちょっと行ってくる。少し先で停めててくれ」と言ってWar Rigの後方へ歩いていく。しばらく経ってもやの向こうで爆発。Bullet Farmerをぶちのめしてきたと思われる描写。マックスの強さを表現するのに省略パターンをも駆使する、ジョージ・ミラーの手腕にシビれますね。



フュリオサは自分のルーツである「鉄馬の女」の元に帰還。当初の目的を果たすわけですが、そこにあったのは「再会」だけ。Green Place(緑の地)と呼ばれていたかつての故郷は、水の腐敗によって何も実らない場所に成り果てていた。フュリオサは一人慟哭する。



同じ部族に再会する瞬間には単なるハグでなく独特の動作で喜びを表し、フュリオサの母親の死に対しても独特の仕草で追悼の意を表明する。(フュリオサは追悼の仕草については記憶が曖昧でおっかなびっくり) こういう部分の作り込みも凄い。



ゴールだと信じていたものが蜃気楼だったと気付いてしまったフュリオサ。信じていたものの価値を見失ったという意味ではNUXもフュリオサも同じなんですよね。もちろん、第一作目で妻と子を失ったマックスも同様で、挫折や絶望を乗り越えていない人間は本当の自分に出会えないというようなジョージミラーの人生観が見えてきます。



フュリオサは、最果ての見えない「塩の湖」を越えることを選び、ここまで付いてきたマックスと別れることになるのですが、一人になったマックスが「少女の幻にタッチされて」、フュリオサと再合流。水も緑も豊富なシタデル(ジョーが収めていた地域)に戻る事を提案。



フュリオサはジョーの元から逃げることを選んだものの、本当に選ぶべき道はクーデターだったのかもしれない。でもそれじゃあマッドマックスという映画が成立しないので笑



フュリオサは来た道を引き返してシタデルの奪還を決意。新たな目標に掲げます。



「フュリオサも嫁もみーんな行っちゃった…」と、ションボリ落ち込んでるジョー、そこに戻ってきたフュリオサ達。



シタデルにも帰らないで待ちぼうけ状態のジョーっておかしいといえばおかしいんですけど、その緊張感の無さとハードコアなビジュアルのギャップが面白くて許せちゃうんですね。「だってそっちの方が映画として面白いじゃん」理論。



ここからいよいよ最後のチェイスシーンに突入。この映画の本当のクライマックスがここなんですけど、この場面を見るだけでも映画1本分以上の価値があると思います。



どのキャラクターがどこにいて、どういう意図を持って動くのかが綿密に設計されている。あるキャラクターの行動に対して敵はどういうリアクションをするのか。敵も味方も能動的に行動しているからすごく面白い。



ウォーボーイズの新ネタとして、4〜5メートルの長さを持つポールの先にしがみついてグイングインしならせながら高いところから攻撃するパターンを出してきます。高い位置からのThunderstick、さらには急降下して近付いての人さらい。



合理性よりもエンタメ性を優先する彼らの戦いっぷりは、彼らが戦ってきた相手がただの獲物だったからかな、なんて思ったり。(ヤマアラシ軍団とも戦ってきたか)



さすがにクライマックスの流れをすべて追うのは無理なんですけど、マックスがWar Rigから落ちそうになったのをフュリオサがキャッチし、そのマックスをNUXが蹴ってPeople Eaterの車まで弾き飛ばす場面は珠玉のクオリティ。



その前後も含めて連綿と続く一連の流れが見事にデザインされている。見せたいアクションと見せたいアクションをつなぐ点と点の連続ではなく、シークエンス全体が線として機能している。その中でキャラごとの個性や意思もちゃんと見せてくれるし、とにかく凄まじい密度。



フュリオサがジョーを倒す瞬間は、年齢制限を避けるためか、パパパッと切り替わるカット割りで描かれているので何が起きたのかよくわかりません。ジョーが装着している呼吸器にフュリオサが鎗状のものを突き刺し、その鎗をタイヤに巻き込んで呼吸器を引っぺがす。その瞬間ジョーは死んだっぽい。呼吸器をはがした瞬間に血が飛び散るのもよくわからない。



ラスボスであるジョーを倒す瞬間がこういう終わり方をする点に関しては個人的に擁護しきれない部分。もう少し丁寧に描くべきだし、たとえそれがマッドマックスシリーズにおけるお約束だったとしても、納得しきれない部分でした。



そしてクライマックスを〆るのはNUXのアクション。ここまでほとんど使われてこなかったスローモーションを、NUXの見せ場できっちり使ってくれます。無意味な死を望んでいた彼が見つけたレーゾンデートル! 泣けます。



フュリオサが瀕死になり、それを救うために一匹狼のマックスが輸血する。そこでマックスはフュリオサに対して初めて自分の名前を明かします。こういう不器用さを表現する事に関してトム・ハーディという役者は最適。自分らしいキャラクターに引き寄せてみせた彼の魅力こそがこの映画全体に影響を与えているのかも。



そんなわけでダラダラチマチマと書き続けてきたレビューもこの辺で終わりです。



歴史に残る超アクション映画。この映画について語ろうとするたび、自分の無力さを痛感させられます。どれだけ言葉を並べても語り尽くせない、凄まじい濃度の体験がここにある! 迷わず映画館でご覧ください。マジで!