乙一「GOTH」

 乙一のGOTHを久々に読んだ。もう少し客観的になれるかなと思ったのだけど、無理。やっぱりこの作品は素晴らしい。ネタバレ含むから隠そう。

GOTH―リストカット事件

GOTH―リストカット事件

 文庫版もリリースされてます。
 世界観、キャラクター、絶妙なコンセプティングに脱帽してしまう。
 ある種の叙述トリックが小説全体をドラマチックに演出しているのだが、「視点」を強く意識しているフシがある乙一にとって、その効果自体にはさほど興味が無いのかもしれない。
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 第一話「暗黒系」は視点を利用したトリッキィな構成は存在していない。主人公と、ゴスなヒロイン森野の距離感。主人公のパーソナリティとそこから見える世界のカラーリング。そういった要素を伝える意味合いの濃いストーリーである。
 連続殺人犯が落とした手帳を拾う森野。それを見せられた主人公とともに、まだ発見されていない被害者の遺体を発見する。森野の人生が死に向かって歩き出す。
 導入部は多少強引なきらいがあるものの、後半に説得力を持たせる努力をしてカバーできている。
 独創的な探偵小説のような展開で、主人公は森野を窮地から救い出す。犯人は行方をくらませ、森野は自分がなぜ監禁されたのかを理解しないままである。
 全てを理解している主人公は指先に触れた死の甘美さに少しだけ震え、日常へと回帰していく。そのポジショニングが斬新であり、GOTHというタイトルを光らせていると思う。
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 第二話「リストカット事件」。ゴス文化に近い位置にある「リスカ」を大胆に取り入れていたストーリー。
 人の手首を切り落とす異常者が世間をにぎわせていた。主人公は偶然その人物の影を踏んだ事に気付き、ある行動を起こす。
 森野と主人公と殺人犯のトライアングルが描く奇妙な結末という意味では第一話に近い意味合いがある。主人公の、森野に対する‘執着’の源が露呈する。
 叙述トリック的要素が取り入れられているが、それほどダイナミックに活用されているわけではない。
 犯人の自宅に侵入した主人公。細心の注意を払ったはずが、ある形跡を残してしまっていた。犯人はそれに気付き、侵入者への報復を誓う…
 報復のターゲットになってしまうのは森野。主人公は白く美しい森野の手首が切り落とされる事を願い、様々なトラップを仕掛け犯人をミスリードしたのだ。
 そのトラップに気付かず怒りを燃やしている犯人の視点で書かれた部分を読んだ読者は主人公の身を案じる事になる。
 「その生徒」という表現においては主人公と森野の区別が付かない。ほどなくして「その生徒」が森野である事が明かされるのだけど、報復の意思をハッキリ表示するまでは読者にスリルを与えている。
 その演出に関しては鮮やかというほどでも無いのだが、乙一クンは「小説だもの。これくらいのサービスをして当然だろ」と思ってるような印象があるから恐ろしい。
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 第三話「犬」。やや唐突に森野の萌え要素が浮かび上がってきて面白い。[嫌な臭いのする4本足の動物]に怯える様子はおかしい。
 犬の誘拐事件が頻発する。主人公はその異常性に興味を持ち、動く。
 終盤に至るまで語り手として登場していた[私]は、[ユカ]の命令に従って恐怖に震える犬を痛めつけ、最終的に噛み殺す。[私]は母親の連れてきた男による[ユカ]への暴力に怒り、[ユカ]の中に生まれるどす黒い情念を解放するため、犬を殺す。
 それらの描写から[私]=ゴールデンレトリバー、[ユカ]=少女というイメージを抱くのは当然といえば当然。
 でもエピローグ部分を読むと、[私]の視点で描かれていたシーンが、実際は少女視点で描かれていた、という結論に至る。その事実に気付いたチルさんは鳥肌が立ってしまった。
 トリックを明かしている要素は複数ある。
 1つめは、少女が、結果的に自分を助けてくれた主人公に宛てた手紙の中で、犬の名前がユカであるという事を明記している点。少女が少女自身の名前を犬に託すとは考えにくい。
 2つめは、一人で徘徊しているところを保護された少女の口元が血で染まっていた点。この血はつまり母親の男を殺害するために噛み付いた際の返り血であることは確実。
 これらのサインが意味するところは・・・乙一やってくれるぜ!
 (p.s.)主人公視点で書かれた部分に「少女が男の喉に噛み付くのを見た」とハッキリ書かれている部分を見落としていました。やはり[殺し]を行っていたのは人間の少女だったわけですな。
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 第四話「記憶」。ヒロイン森野夜が秘めてきた過去。死んでしまった双子の妹・夕に関する話の中に主人公は疑問を見つけ出す。
 叙述トリック要素は無し。あとがきにもあるように、森野のキャラクターを掘り下げるのが主なテーマで、展開としては地味。
 死んだフリをして他人を驚かすのが好きだった森野姉妹。首を吊っているフリをして遊んでいると命綱が切れてしまった。死に片足をつっこんだ夕、必死に支える夜。幼児の力は限界を超え、夕は本当に死んでしまった。
 真実に行き着いた主人公、誰にも話せなかった事実を打ち明ける森野。主人公は死の臭いが消えない現場に残された紐を持ち帰る。森野はそれを首に巻きつけると涙を流した。
 終盤のイメージの鮮烈さは凄まじいものがある。映像化も不可能ではないストーリーである。そんな作品を生み出した乙一クンにジェラシィ。
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 第五話「土」。ちなみに全六話ですよ。スリリングな展開に満ちたスキの無い絶品。スリラーってのはこういうストーリーを言うんじゃないのかい、堤さん。
 顔見知りの幼児を自宅の庭へ生き埋めにした過去を持つ男。3年の時を経て再び目を覚ます欲望。長い黒髪の少女を見た時、衝動が彼を動かした。
 男は気絶させた少女を手製の棺に入れて庭へ埋める。少女の持っていた手帳には森野夜という名前が書かれていた。
 全編が生き埋めに取り憑かれた男の視点で書かれている。持ち歩いている手帳が無くなった事に気付いた男は拉致の現場へ戻るが、そこで出会うのは本編の主人公。
 主人公は友人の森野との連絡が取れないと話し始める。主人公の一挙手一投足が男の心を激しくゆさぶる。犯行を見抜かれているのではないかという疑心。確信。畏怖。そして、殺意。
 携帯で話をしていた主人公が男に言う。「昨夜からいなくなっていた森野さんが、つい先ほど、家に戻ってきたそうです」男は混乱に飲み込まれる。。。
 生き埋めにされた少女は森野ではないのだけど、巧妙な文章と構成によって読者には分からないようになっている。それによってスリルが維持され、森野の安否を含めた展開に釘付けになる。
 結末は悲劇的だが、非常に美しい。鮮やかすぎる。最後の最後に[どうなったのか]がハッキリする。凄いよこれは。
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 第六話「声」。最終話にふさわしいダイナミックさがある。様々な死に触れてきた主人公がとうとう己の手を殺意に染めてしまったのか。
 姉を惨殺された夏海。空虚な生活を送っていたところ、ある少年が接触してくる。姉の声が録音されているというテープを渡され、姉との「再会」を果たす。
 ここで用いられている叙述トリックは、作者が、ある少年に殺人犯の容疑を着せるために存在している。殺人を犯したのはGOTH本編の[主人公]なのか? 読者は疑念を抱く。
 プロローグで「人間には、殺す人間と、殺される人間がいるね」と森野に対して語る主人公は、自分を前者であるとも語っている。最初のミスリードである。
 夏海の視点で語られる本編に登場する少年=殺人者は、主人公に非常によく似たイメージであり、森野と行動を共にしているシーンもある。
 物語の中では姉が抱えていた苦悩に触れる夏海の心情を中心に描かれていて、殺人者の思惑通りに事が進む感じがドラマ性に欠ける感もあるが、少しずつ与えられる情報によって読者の中で主人公が殺人者である疑念がふくらんでいく。一話から五話までに築かれたイメージを利用したミスリードである点がダイナミック。
 夏海の前に現れる主人公は、殺人者としてではなく「明るい人懐っこい後輩」として登場している。森野の前だけは自然体になれる主人公が、別のモードの人格になって初登場する。一人称は僕でなく俺になっている。
 展開としては平坦だけどギミックは面白い。事件の結末は多少スリリングだけど、むしろエピローグの方がドラマチック。姉を失った森野と夏海が少しだけ交流を持つ。
 主人公は夏海を救ったのと同時に森野も救っていたのだが、森野にその自覚は無い。一話二話にも似た構図で、この二人の生み出す距離感は斬新かつ絶妙だ。
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 全六話のチルさん解釈を書き連ねました。チルさんにとって乙一は、同い年なのに凄いなぁとやきもきする思いを別にしても、やはり非常に大きな存在なのは確かだ。代表作「GOTH」皆さんも読んでみてください。