うつせみ感想

 ※作品の細部に触れています。
 主人公は留守の家にピッキングで侵入してそこで生活する男、という背景しか持っていない。ピッキングが何の苦労も必要なく必ず成功するという要素はリアリティの欠如を感じさせるおそれがあるものの、観終わった今となってはどうでもよい。
 主人公と出会う“ファムファタール”は、家に侵入して生活する男をしばらくの間、見つめる。最初の出会いは女に姿を見られてしまった男の逃避で終わる。出会いまでのタイムラグ、二人のリアクションが少しずつ普通からズレているところが映画の牽引力を生んでいる。
 女の元へ戻った男、侵入した事が家主に早々にバレる。退避せざるをえなくなった男は玄関先でバイクのエンジンをふかし、女に決断を迫る。この辺の心理描写はチルさんが感じている以上に巧妙かつ絶妙なのかもしれない。
 二人での逃避行が想像以上に早い段階でスタートし、この逃避行の終わりが物語の終わりなのかもしれない、と感じ始め、その浅い想像力によってチルさんの脳裏に若干の退屈さを生みかけたが、その発想は浅すぎた。
 ボクサー家主にバレた際は殴られるだけで終わったものの、その次に潜入がバレた瞬間、逮捕拘留という形で逃避行は終わる。やってる事を考えれば警察の存在が物語の中で登場しないわけがないはずなのに、この展開には驚かされた。
 窃盗はしておらず、殺人容疑も誤解である事が分かった男も、刑務所行きをまぬがれる事は出来ない。当然の成り行きだけどなぜか意外性を感じる。
 ここから先の展開に、チルさんは芯から震えました。刑務所における描写を含んだ映画の中でも殊更に斬新。えっ、脱獄?と思わせておいてのスルーっぷりや、映画という表現を根本的に考え直させられるかのような描写。独自性の濃いセンスで勝負する[えいがびと]かと思いきや哲学的な要素を盛り込んでみせるキム・ギドクという男。恐ろしいです。
 釈放されてからの描写を観ていて[えっ、もしかして?]なんて感じましたが、それが正解なのか否かはハッキリしません。その想像とは[主人公死んだ?]という想像です。
 かつて侵入した家を再び訪れ、そこにある生活にほんの少しだけ干渉していく主人公。最後はやはり、ファムファタールの元へ。再会を祝したキスの描写のキレ味は我が映画ライフの中でもトップクラス。よく考えてみるとパッケージの表紙がこのシーンの画なんですが、そのパッケージの意味を理解していませんでした。お恥ずかしい。
 結末を迎えるまでもなく完全に降参していたチルさんの目に飛び込んでくるラストカット。二人が乗った体重計、表示は0kg。うわ、思い出してまた涙が出てきた…
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 アンビリーバブーな映画。凄まじい。絶句しちゃう。とんでもない作品です。観といて良かった…この先1週間は[凄すぎるゆえの思い出し笑い]につきまとわれるかもしれない。ホント、凄いわ。