バベル

 30日PM9時に携帯から書いたはずなのに消えた。
 レイトショー(¥1200)で今から鑑賞。ピットさんの主演作を観るのは、私が自発的に観に行った最初の映画スリーパーズ以来って事になるのだろうか。
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 観終わった。とんでもない映画をかまされてしまったようだ。映画の歴史塗り替えられたでしょ? こりゃ。
 イニャリトゥこそバケモノだ。メキシコは凄まじい映画作家を生み出した。
 以下に感想書きますが、できるだけ展開バレしないように気を付けました。下記を読んでから作品を観ても旨みを堪能していただけると思う…のです。
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 狡猾で巧みなシーン構成によって際立つ描写の旨み・深み。そのテクニックを忘れさせるほどシャープで重みのある描写。それでいて安易な形にまとまらないキャラクター造形。複数のテーマを扱いながらもそれぞれをしっかり描き切る圧倒的な作家性。
 文句のつけようが無いんですけど……
 残念だなぁと思う箇所も皆無。完成度が高いとかいうレベルじゃなく、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥという映画作家が「バベル」で完成した。そう思います。だって…凄すぎるよこの映画。これ以上進化できないんじゃないの?
 バベルには4種類のキャラクター群が登場します。

  • 旅行でモロッコにやってきた夫婦。
  • ロッコの山岳地帯でヤギを飼って生活する一家。
  • 旅行している夫婦の子供二人と、その世話をしている家政婦。
  • 日本に住む聾唖の女子高生と、その周辺。

 4箇所で4種類のドラマが展開する。偶然と必然が交差し、4種類のドラマが重なっていく。この「重なり」の度合いはそれほど明確ではない。4本のドラマがガッツリ!ドップリ!ピッタリ!合流して「お見事!」みたいな感動は無い。
 ドラマそのものを俯瞰して重なり方を評価すると↑のようになるが、重なり方の妙味は4本のドラマをどういう順序で「どれくらいずつ」見せていくか、つまり、編集を含めたシーン構成によって爆発的に膨れ上がっている。
 21gramsにおいては、シーンからシーンの移行のタイミングにいまひとつルールを見出せなかったが、バベルのシーン移行タイミングとそこに込められた意味合いは物凄い切れ味がある。
 全く別の場所全く別の状況で共通しているイメージや相似性を感じさせるイメージが連なっていたり、逆に2種類のイメージがハッキリとしたギャップ・落差を内包していたり。シーン移行にどんな意味があるのか、その部分を意識するとこの映画は刺激満載なのです。
 その刺激が強調しているのはテーマ性に満ちた濃厚なシチュエーションであり、テーマそのものでもある。技術を開拓し実現した喜びに溺れることもなく、映画人として全世界の人間に問いかけていく姿勢は素晴らしい。どんなテーマを描いているかを具体的に書くのは止めておきます。それにしても、テーマのうちの1つがチルさんの次回作とカブり気味なのは、危機感を覚えるべきか、喜ぶべきか。
 聾唖者の少女がクラブへ行くシーンは最もジーンと来ました。というか泣けました。音楽畑出身のイニャリトゥだからこそなのか音楽のセンスも凄い。クラブミュージックの使い方には嫉妬しまくりました。そしてその感動の直後に「カタン」とドラマが動く。はぁ…凄すぎ。
 最も感動した演技を挙げようとすると…家政婦おばちゃんかモロッコ兄弟の弟か、でもピットさんのアレも良かったなぁ…その子供もレベル高い演技してたし、菊地さんは言うまでもなく超熱演で…
 決まらない! よくここまで演出しきれるよ。どうなってんの? 呆れるほど凄い。21gramsの演技もみんな凄かったからなぁ。あー怖い怖い。
 ご覧の通り、脱帽です。早くこの映画を消化しないといけない。しばらくはこの映画の影響を引きずって生活することになるんだろうなぁ。でも、映画の感動ってそういうものだよな。
 創作とは挑発である。これ私の持論です。世界中にシュートを仕掛け、挑発し続けるモンスター映画作家、アレハンドロ・ゴンサーレス・イニャリトゥに完敗だ!!!
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 文内トラックバックを試験的に打ってみる。バベル感想onはてダ。
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