スカイ・クロラ

 昨日スカイ・クロラのDVDをレンタルしようと思ったら。A店12本中12本がレンタル、B店2本中2本がレンタル、という状態でした。意外と人気あるんですね。
 今日行ったらA店に3本置いてあったので借りてきました。
 んで見てますが、割と忠実な「映像化」だなーと感じます。空中戦シーンは流石にハイクオリティですが、地上シーンはもうちょっと演出があっても良いと思います。小説家のアタマで考えた会話ばかりで、映像屋ならではの描写が無いように思います。
 チルさんならもうちょっと小細工盛り込む自信がありますね。世界観を壊さない程度に。
 ロードショウで観た当時はティーチャと草薙の関係について読み取れなかったですが、映画版でもちゃんと描かれてるんですね。
 しかし草薙が抱くティーチャへの思いとジンロウへの思いが一作品の中で混在するのは改めて観てみると窮屈で分かりづらいかな。消化しきれていない。
 全体的に小説が描きたかった部分の表面だけをなぞっているような印象は否めませんね。小説は函南の主観で描かれているから函南の想像や推測も交えていて読者にも分かりやすくなってるけど、映画ではモノローグも無い。
 そこのギャップはもっと本気で埋めようとしなきゃいけないと思う。説明過多という罪と説明不足という罪、その重さに大した差はない。
 函南と草薙のキスシーンでも…キルドレならではの悲しみが強く迫ってこない。そこに至る経緯なり、その場でのセリフなりにもう少し味付けがないと。
 脚本製作に着手した時点でシリーズ5冊のうち2冊しか完成していなかったらしいので無理もない、のかな? 5冊読んだ立場で批判するのはフェアじゃない?
 まぁそれにしても函南の声を当てている加瀬亮は凄いです。その声から加瀬亮らしさは全く匂わない。逆に土岐野を演じている谷原章介の声はなぜか玉木宏の声にしか聞こえない。
 函南の最後のセリフ「I Kill my father」にどんな意味があるのか。これはこの作品に仕掛けられた罠なわけですが、意味ありげだけど真意は無いというオチはとても嫌いなので勘弁してほしい。
 事実上の父親であるという可能性は排除していいでしょう。函南というキャラクターが「セミ・クローンとしてのキルドレ」であることはかなり具体的に描写されているわけだし。
 ティーチャが「天才パイロットの遺伝子の提供者」という意味においての父親であるとすれば、その背景を匂わせる伏線をもっと濃い目に描くべきだし、遺伝子の提供元と提供先との戦闘能力に完全な不等号が付けられるのもちょっと理解しがたい。
 自分には父親と呼べる存在がいないという事実に気付いた函南が、運命の変転を阻む存在としてのティーチャに、運命を重度に左右する父親という属性を付与することで士気を鼓舞した。
 こんなところでしょうか。
 どうにか出世して脚本家・伊藤ちひろ氏に直接問いただしてみようと思います。スカイ・クロラ、やはり面白い映画です。