ジョーカー・ゲーム

ジョーカー・ゲームを見ました。



http://www.jokergame-movie.com/






早速あらすじを追います。



陸軍士官学校」で訓練する兵士たち。その内容は匍匐前進。叱りつける上官。兵士の1人が遅れを取っていると上官が罵声を浴びせる。その兵士をかばう別の兵士。



「こいつは熱があるんです!」



上官は激昂し、発熱兵士を蹴りつける。その姿を見た正義感兵士は上官の前に立ちはだかる。「貴様」というワードが気になる口論の後、正義感は上官を突き飛ばす。



上官はトラックに後頭部をぶつけて即死。正義感兵士(主演・亀梨和也)は軍法会議にかけられ死刑を言い渡される…



処刑場に連れられ「何か言い残すことはあるか?」と問われる亀梨さん。「覚悟はできている。目隠しを取ってくれ」と正義感。銃殺される瞬間、派手な軍服を着た男が現れ、亀梨さんをスパイ育成組織『D機関』にスカウトする…



こういうオープニングを見せられて「なかなかいいじゃん」と思う人間もいれば、「なんだこの導入? クソだな!」と思う人もいるわけです。私は後者です。



兵士の訓練シーンとして、匍匐前進してる様でツラさや理不尽さを表現するって発想が貧困すぎ。何のフレッシュさも無いですよね。滅多にこういうジャンルの映画を見ない亀梨ファンにとってはそういう貧困さって目立たないのかもしれないけど、製作者は映画を知らない人たちじゃないでしょ? 観客をハナからなめてるんですよ。



「熱がある」(だから優しくしてください) …はぁ? 馬鹿じゃないの? そのセリフで何を表現したいの? ディテールへのこだわりが中学生の描くマンガレベル。



訓練途中のペーペーに組み付かれて突き飛ばされただけでうっかり死ぬ上官。亀梨さんが特別に怪力ってわけでもないでしょ? 脚本家は何が描きたいの? 何を表現したいの? 下手すぎる。雑の極み。



序盤のストーリーがそういう流れになるのを許すとしても撮り方が下手糞で、夜間で豪雨というシチュエーションも手伝って主人公が殺人(傷害致死)を犯しましたよ、という流れも分かりづらい。誤って殺してしまった瞬間の「ハッ」とするようなショック感がまったくない。アイドル映画だから出来るだけソフトに描いてるんですかね。



処刑シーンでアップになる亀梨さんは薄く細く整った眉毛がやたらと強調されてるから、普通の映画好きから見ると「リアリティどうでもいいんだね」と思わざるを得ない。ナチュラル太眉な亀梨さんを見たファンが「うわっ」と思うのを避ける方が優先順位的に上なんですね。



私もそこそこ大人なんで、そういう事情を飲み込めないわけじゃないんですけど。期待値のハードルは確実に下がりますよね。「アクション映画に主演する覚悟はできてるけど眉毛に関しては別の話です」という姿勢の大手事務所所属タレント様に期待しろって言われても引いちゃう。



このタイミングでおさらいしたいのが、製作陣の顔ぶれ。



監督は小規模作品で適度に評価を積み重ねてきた入江悠。代表作は2009年『SR サイタマノラッパー』ですかね。サイタマノラッパーは個人的にハマりませんでしたけど、ディレクターとしての資質は一定の評価を与えたい作品でした。



そんな入江監督が初の大作映画に起用されたと聞いて期待して見に行ったんですよ。原作はミステリーとしての評価も高い小説だし、無難かそれ以上に仕上げてくれるだろうと思っていたんです。しかし私は事前にもっと予習しておくべきでした



ジョーカー・ゲームの脚本家は渡辺雄介。この人の名前をもっと日本人は知っておくべきなのです。



彼の書いた映画脚本は、漫画原作の『20世紀少年』漫画原作の『GANTZ』アニメ原作の『ガッチャマン韓国映画のリメイク『MONSTERZ』…他にも無くはないですが、元ネタがある作品ばかり。そしてその全てが酷評されています。どれひとつ見たことはありませんが、酷評っぷりは伝わってます。



そんな彼が手がけた今作が、いい脚本になってる可能性は限りなく低いのです。邦画もちゃんと適度に観ている人なら彼の名前だけでこの地雷を回避できた事でしょう。



それ以前にこの映画、配給こそ東宝とはいえ製作は日本テレビなんですよ。私が日テレ映画に被害を被ったのは『カイジ』だけですけど、あれもひどかった。テレビ脚本と映画脚本はまったく別なんです。



この辺の背景を考慮せず、『2月1日に見るべき映画はこれだっ!』なんて記事をアップしてしまったのは本当に申し訳ないです。うちのblogに影響されて見に行った人は一人もいないとは思うんですが、20世紀少年ガッチャマンの脚本家が書いた映画になんで金を払わないといけないんだよ!って話。



オープニング・タイトル後のストーリーもさっぱりでしたね。



そもそも「死刑を取り消してやるからスパイになれ」と上司に命じられて生きがいを見出す主人公って魅力ありますか? もっと泥臭い背景とか屈辱的な過去とかを描いてくれないとアイドルが主演してるツルツル野郎に感情移入できないですよ。



主人公の資質である「抜群の記憶力」を試す描写も、信じられないくらい記憶力が良い男という描き方が単調。D機関にやって来た瞬間から既にその才能を開花させてるし、そこには過去もないし成長もない。ロジックもない。



記憶力の良い主人公って意味では香港映画『天使の眼、野獣の街』やそのリメイク『監視者たち』で丁寧かつドラマチックな描き方に魅せられてきたので、それと比較しちゃうと今作はイメージが貧困すぎ。先輩に圧倒的な能力を見せつけられて自信を揺らがせる、そこから奮起することで先輩を驚かせるほどの成長を見せる、とかさあ…



D機関での訓練シーンはオープニングほどのグダグダ感はなくて。銃の分解や早着替えや、あとなんだっけ、をワンカット風長回し風で描いてます。数少ない見どころの1つです。流れとかフリとか関係なしに「カッコいいことやって」と言われたら盛れる監督なんでしょうね。そういった粉飾シーンの繰り返しで興奮できるのは主演アイドルのファン以外にいないと思いますけど。



D機関シーンの最後、小出恵介演じるトンパチキャラと主人公がケンカするんですが、無意味に主人公を挑発する訓練生たち、それに対してふつーにキレる主人公という流れもダサい。主人公にポーカーでの勝負を仕掛けておいて、プライドを賭けろとか言いながら主人公の手札を後ろから覗いてサインを送り合う訓練生たち。



自分以外の人間に手札を見せながらポーカーをプレイする馬鹿=主人公にどうやって同情すればいいんでしょうね? 手札はテーブルに伏せながらカードの端をチラッと見るのが本気で勝負するポーカーの常識。脚本家と監督はポーカーのシーンが含まれる映画を見たことないのかしら?



こんなお粗末な描写に「卑怯なやつらめ!」と感じることが出来るのは馬鹿だけですよ。つまり今作は馬鹿に向けた映画なんですよ。監督様はこういうディテールを詰める必要がないと判断してるんだから。



小出さんは主人公に銃を向けて発射し、D機関をクビになります。そんなキャラに使ってるのが主役になりきれない半端イケメン俳優だから後で再登場するのも意外性ゼロでーす。



訓練所を去る小出に亀梨が別れの言葉をかけるんですが、それに対する回答が「そのやさしさがいつかアダとなるぞ…」なんですけど、こういうセリフひとつ取ってもひねりがなくて幼稚。いつかどこかで見た聞いたセリフをそのまんまペーストする中学生イズムを感じるんですよね。



主人公はいよいよ最初の密命を受けるのですが、「新型爆弾の設計図をインドネシアアメリカ大使館から盗み出せ」というお仕事。



いまさら「新型爆弾」とか言われてもね…



爆弾そのものの行方を描くドラマなら起爆するしないというドラマになりますけど、原爆の設計図がどうなるかなんて興味持てないし、それによって映画内の国のパワーバランスが変わるとも思えないし。そんな覚悟も技量もあるわけないし。



アメリカ大使館への潜入のために主人公が取ったアプローチは、「大使のチェス友達になる」です。大使はチェス大好きなんですが、強い相手に出会えず不満だったんですね。そこに現れた日本人のチェス能力に満足し、大使館に招き入れるほど気に入っちゃうんです。



…なにこれ? ウソでしょ? 知的ゲームであるチェスというモチーフがからめば中学生もビックリな痴的発想を相殺できるとでも思ってるんですかね?



しかもこのアメリカ大使、新型爆弾設計図を手中に収めたことで任期を満了する前に帰国するそうな。だから、この大使がアメリカに帰る前に設計図を盗めって。



設計図だけアメリカに送れば?



二千歩譲ってそういう緊張状態にある大使が、チェス強いだけのアジア人を大使館にほいほい招き入れるか?



矛盾がどうこうっていうより、アメリカ大使というキャラの背景(緊張)とキャラ造形(弛緩しきってる)が乖離しているのが大問題。意識低いんですよ。そんなんで緊張感を高められるわけがない。脚本の段階で客をなめてるんですよ。おまえの脳味噌は中学生かもしれないけど観客は中学生だけじゃないの!



うまく取り行った主人公は大使館に侵入する準備を進めるんですけど、日本陸軍の部隊がアメリカ大使館に突入して設計図を強奪しようとするからさあ大変。「大使館に突入」? そうです。目を疑った方もいるかもしれませんが、マジでそんな展開なんです。私は映画館で口あんぐりでした。



突入は主人公と共に密命を受けていた仲間によって防がれるんですけど、大使館正面からまっすぐ突き進んでいた武装兵を、最後尾から静かに一人ずつ殺して全滅させる描写がアホまるだし。D機関すごーーーーーーーーーーーい! そんな描写で盛り上がると思ってる入江悠監督もすごーーーーーーーーーーーーーい!!



無駄の極致である武装兵突入はさておき、主人公による大使館侵入描写も緊張感ゼロ!! いよいよ入江悠という監督の能力に失格の烙印を押すのにためらいが無くなります。



大使館にいるたった1人の見張りはフラーっと持ち場を離れてくれるし、見つかる見つからないというスリル皆無のまま主人公は館内の書斎にたどり着きます。



ハリウッドに比べれば安い製作費なんでしょうけど、こういうシーンでなんのアイディアもなくぬぼーっと撮ってるディレクターにどうやって期待したらいいんですかね? どこぞに潜入して盗み出す映画なんて過去に星の数ほどあるでしょ。そういう映画史に食い込むべく努力しようという気概が皆無! 映画なめんな!!



んでこの大使館には素性のしれないアジア女がメイドとして働いてるんですがそれが深田恭子主人公が潜入しようとしてるその夜に大使はメイド深田をレイプしようとしてます



…くだらなすぎて句読点入れるのも面倒ですよ。主人公の介入でレイプは防がれるわけですが、主人公がヒロインにほれる流れもグダグダだし理由は単に「やりたい」って要素しか感じられないし。やみくもにちぎった粘土を壁に投げつけるのと同じくらいのテキトーな脚本に唖然。



とにかく、この最初のスパイミッションのスカスカ感には本当にビックリしました。



最初の侵入で設計図は入手できなかったのですが、2度目の泥棒ミッションは大使の退任パーティの最中に行われます。直前のセリフ「だったら設計図はどこにあるんだ?」「…チェス。」じゃねえよ。だっせえ。



パーティで大使がスピーチをしている途中でスッと会場を抜けだして書斎に向かう主人公。目立つ!目立つよ!あんためちゃめちゃ目立ってるよ!



廊下に人感センサーを設置してから書斎を漁る主人公なんですが、センサーは役に立たず職員に見つかってしまいます。言い訳の聞かない状態で見つかってるくせに「忘れ物しちゃって…」とかショボい言い訳してる姿もカッコ悪いし、職員をスリーパーホールドで気絶させるのもカッコ悪い。



続いて登場したジョン・マルコヴィッチもどきの長髪悪役野郎と主人公が格闘するのですが、このアクションもわかりにくい。コンセプトが無いからどう見せたいかという意図もない。スピード感があればオッケー、と。偽マルコヴィッチもスパイなんですけど、敵キャラだからスパイらしさゼロでわかりやすい悪役顔。じゃないと観客は分からないと思ってるんでしょうね。



スパイらしいシーン第2弾もこの通りグダグダ。見れば見るほどスパイアクション映画をなめた姿勢が鼻についてウンザリでしたよ。



設計図を入手したところでヒロインと主人公が急接近。必然性のないキスシーン・ラブシーンの後でヒロインが本性を現し、主人公から設計図を盗みます。SEXには至らずキスで終わったにも関わらずぼーっとしている主人公。ヒロインが去ってから5秒後に設計図がないことに気付き、追いかけます。



ヒロインを追う主人公、その主人公を追うイギリスのスパイたちが東南アジアらしい雑多な町中をチェイスするシーン、そこそこ面白いんです。そこそこフレッシュなんです。でもやっぱり、そこに至る前段階がダメすぎる。



キスしてやる気まんまんの男を寸止め状態のまま別れたら、普通「なんでだよーやらせてよー」って感情が持ち上がるでしょう。SEXして放心状態の男から設計図を盗むのは容易だろうけど、そういう展開は亀梨×深田のカップルじゃ描けないんでしょうね。そのくせ馬鹿を喜ばせるためのエロシーンは入れようとする。くだらねえ。



シーツにくるまった男女がうごめいてるだけで勃起するのはエロ想像力が旺盛な中学生だけです!!



チェイスシーンで主人公が逃げながら物理的に不可能と思われる早着替えを見せる描写があります。ありえない事をやってみせたところで「見たことない映像だ」と言われてもバカバカしいだけなんですけど、瞬間的に着替えても追っ手の速さはまったく変わらないから着替える意味ないんですよ。



こういう場面でも「圧倒的な記憶力を駆使して近道して深田に追い付く」なり「うまく追跡者をまく」って描き方してくれれば主人公のキャラも強調されるじゃないですか。でもそうやってブラッシュアップさせようという発想は皆無で。アイドルがアクション頑張りましたっていう映像の方が重要視されてるんですよ。あーくだらない。



結果的にヒロインはイギリススパイ部隊につかまり、主人公は仲間と合流するのですが、「やっぱり深田ちゃんを見捨てられない!」と駆け寄った瞬間に仲間が乗ってた車が大爆発。爆風で吹っ飛んだ主人公もイギリスにつかまります。



爆破でオチるのは悪くないんですけど、この場面で死んだ2人の仲間がクライマックス後に「実は生きてたんだよーん」「耐火シートのおかげで助かったのさ」みたいなことを言いながら再登場した時は自分の脳細胞が1万個ほど死んだ音が聴こえましたね!



なんでそういうくだらない蛇足で自分の映画を汚すのか。続編やりたいなら似たようなキャラクター作ればいいじゃん! 新キャラをどうやって生み出すのか腕の見せどころじゃん! そういう発想が無いところを見ると「こいつら」にクリエイティビティを期待するのは無駄だなと思いますね。



イギリススパイ組織(MI-6ってことか)に捕らえられたヒロインと主人公は拷問を受けます。この拷問もつまんねえの。亀梨さんが上半身ハダカになってるだけで喜ぶ観客を想定してるから、それ以上「ひどいこと」をしようとしないんです。「もしこんなことをされたらきっと吐いてしまうだろうな」と観客に想像させてこその拷問描写でしょ? 単なる記号としての拷問だからなんのスリルもない。



深田恭子「シャツを着たままでムチ打ち」という前代未聞の親切オイタを受けていて、ムチを受けている時の芝居も単調。そういうところで本気を見せるのが本当の女優じゃないの? もう30歳超えてるんだから下着姿をさらすくらいの覚悟見せてくれよ。こんなん姿勢じゃホリプロから真の女優は出てこないですね。ガッカリでした。



MI-6トップの幹部っぽいやつは車椅子に乗ってるんですけど、自分で歩けないやつが外国来て何をやってるんですかね? んでそいつがパイプで喫煙してるんですけど煙がまったく見えないから吸ってるように見えない。リハーサルですか? くだらねえ。



主人公は「二重スパイになるから助けてくれ!」と懇願し、MI-6はそれを認めます。認めちゃうの! そのまま牢獄に移されて粗末な食事を出されるんですけど、その瞬間「敵兵がスキだらけ」という幸運のおかげで脱出することができます。脱出のきっかけもグダグダだし、緊張感なし。



建物を逃げる主人公。廊下に貼ってある地図を破り取って逃走するのですが、その地図は罠として貼ってあったニセモノであり、主人公は袋小路に追い込まれてしまいます。



ここで「主人公は記憶力が良い」という伏線が完全に死にます。見たか見てないかというくらいの一瞬で見取り図の1つや2つはしっかり記憶するのが主人公が主人公たりえるゆえんじゃなかったの? こういう「ハズシ」によって強調されるのは製作陣の意識の低さだけ。クライマックスで主人公の間抜けさを強調してどうするの?



袋小路にある部屋に追い込まれた主人公、その部屋のドアを開ける敵兵。己に銃を突きつけている主人公をじっと見つめる敵兵。「(この部屋には)いません!」と言ってドアを閉める。



この敵兵はD機関が潜入させていたスパイ、その名も「スリーパー」! いざという時にD機関の仲間を救う、切り札的な存在である!



サスペンス性を含んだ脚本を書く上で反則とされる後出しじゃんけんパターンを説明するのにこれほどピッタリなご都合主義展開はありません。「実はスリーパーがいたんだよーん」とタネ明かしするこの場面は、この映画で一番くだらない瞬間です。



自由の身になった主人公は脱出を思いとどまり、拷問されていたヒロインの救出のため引き返します。この「逃げるか」「助けるか」のジレンマもショボいですね。ヒロインにはだまされっぱなしのクセにそれでも助ける理由は「やりたいから」でしょ? くだらない。殺し合いしてたギャングのボスが変態ホモ野郎にレイプされるのを助けた『パルプ・フィクション』のブッチのジレンマを見習えっつーの!



東南アジアにある立派なアジト(ありえねえよ)になぜか存在する火薬庫から火薬を盗み、撒きながら建物内を逃走して行く主人公。そのまま最上階に到達するとそこは時計台の頂上。追っ手に追い詰められた主人公がジッポーライターを建物内に投げ込むと、カランコロンカランコロンと転げ落ちて火薬ロードの先端に到達。見事に着火。



しかし火薬ロードは途中で途切れていたため爆発が起きない! どうする!



…そこに舞い降りてきたのが深田恭子の写真。中盤で撮影していた何気ないアイテムが、火薬ロードの途切れた部分にフワリと着地し、発火。そのまま導火線のように炎は走っていき、火薬庫大爆発。敵のボスも炎上。



火災になった建物の頂上で立ち往生する主人公とヒロインは、D機関の仲間(小出恵介)の運転するトラックの荷台にダイブして脱出成功! めでたしめでたし。



偶然×偶然によって引き起こされた逆転劇じゃ主人公のキャラクターは引き立たないし、写真というアイテムが奇跡的な確率で作用するのを伏線の回収とは言いたくないし、火薬で大爆発なんてスパイとして絶対選択すべきじゃない行動だし。クライマックスとしてこれほどテキトーな結末を見せられるとは思いませんでした。



その後は大団円。除隊した仲間も戻ってきた。死んだはずの仲間も生きてた。爆弾設計図入手した。言うことなし!主人公にとっては上々の成果です。



見てるこっちは何も得られず、色んなものを失った2時間でしたけどね。



「爆発あったけど生きてた仲間」も清々しいくらいの「後出しじゃんけん」だし、そのゆるい雰囲気のまま「次回作にも期待してくれよなっ!」みたいな終わり方をスクリーンで見せられた瞬間に私がメモに残したのがこちらの文字列です。










不満だらけの映画だったのに「短いなあ。もう終わり? ウソだろ?」と思ったんですよ。ハイテンポで振り回される感じは、一種のジェットコースタームービーと言っても良いかもですが、ジェットコースターに物語的な起伏を求める人はいないので、そんな形容詞を付けられて喜んでるようじゃこの映画の製作陣は終わってるなあと思います。



渡辺雄介脚本の、どうあがいても消せない臭みと中学生レベルの構成力を初めて体感し、身も心も凍ってしまいました。これほどの駄作をコンスタントに生み出している人間が大作映画に携わり続けられる日本映画界、恐るべしですね! 邦画の闇の深さはまだまだ見通すことができません。



監督・入江悠にもあきれ果てました。映画秘宝インタビューで「『裏切りのサーカス』『ベルリンファイル』みたいなスパイ映画はインディーズでも撮れる。だから今回は『ミッション・インポッシブル』を目指しました」とか語ってたんですよ!? ベルリンファイルと今作は月とスッポン。成熟した映画ファンの観賞にも耐えうる上質でスリリングなアクション映画に対し、日本がぶちあげた今作は子供だましのアイドル接待映画でした。



今作を見て確信しましたよ。堤幸彦の後継者が現れたな、と。堤のクソ映画『サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜』を見た時に匹敵する怒りが沸き起こりましたからね。



主演の亀梨和也さんについては悪い感情持ちませんでしたよ。頑張ってた! 主人公としてのスケール感やカッコ良さを引き出すのは脚本家や監督の仕事であり、亀梨さんは素直に演じてたと思います。



脚本を重視するレビューを心がけている私としては、この作品ほど憎悪に値する映画はありません。渡辺雄介はドラマだけやってろ! 謙虚に脚本の基礎から学び直してこい! 無駄金使わせるな!



以上でーす。


KANO 1931 海の向こうの甲子園

KANO 1931海の向こうの甲子園を見ました。2015年1月26日。角川シネマズ有楽町にて。



http://kano1931.com/intro.html 






 日本の映画祭でもすでに上映されていて「めちゃめちゃ泣ける」という評判が伝わっていた台湾映画。日本軍vs台湾先住民族の抗争を描いた大作映画『セデック・バレ』の監督が脚本と製作総指揮を担当。『セデック・バレ』に出演していたキャストのうちの1人が今作で監督としてデビューしたそうです。



 台湾の高校生チームが全国高校野球大会で甲子園を訪れ、快進撃を見せた…という史実に基づく映画です。野球で感動。似たような映画が同時期に日本公開されてますけど。さてどうなんでしょ。







 大傑作!!

 涙をぬぐうのが疎ましい系の感動大作でした! 場内からはすすり泣きの音が止まない!

 しかし悲劇的側面を押し出したウェット一辺倒なありがち映画じゃなくて、スポーツドラマとして非常に高次元でまとまった真っ当な映画です。

 それではあらすじを。

 ポツダム宣言まで日本の統治下に置かれていた台湾。

 オープニングは終戦間近の台湾。機関車に乗っている日本兵が「嘉義についたら起こしてくれ…それまで眠る…」とつぶやく。

 1931年、満員の観客が埋め尽くす甲子園球場。全出場校が揃う開会式に遅刻するチームの姿があった。監督らしき人物が一喝すると、彼らはグラウンドに一礼して整列する。

 時間は地方の小さな町である嘉義を歩いていた日本人教師・近藤は野球の練習を純粋に楽しんでいる少年=嘉義農林学校の生徒たちを見かける。外野を大きく飛び越えたボールが近藤の元へ…「あぶない!」

 とっさに素手でダイレクトキャッチする近藤。そのボールを返すと、少年は近藤の佇まいに怪訝とした表情を浮かべるが、すぐさま物凄い強肩で内野へ放り投げてみせる。

 嘉義農林学校野球部には監督がいないため、遊び感覚の部員がほとんど。近藤は松山商業を率いて甲子園出場経験を持っており、嘉農の指導を頼まれているものの、なかなか決断に至らず。というより、決断の場面を省略することで嘉農野球部の前に突然現れた謎の男、というキャラを引き立てています。

 近藤は出会い頭に「監督になった近藤兵太郎だ。よろしくたのむ」「まずは町内一周ランニング!遅刻者がいる?なら二周してこい!」といきなり檄を飛ばす。

 基本的に近藤と生徒たちの間に衝突はほとんどなく、素直で真摯な教え子たちの姿に率直な感動を覚えます。近藤の指導も理不尽さはなく、野球少年にとって理想的な師であることが分かります。

 スポンジのように技術を吸収し、成長していく少年たちの様を描いていくのですが、試合ではそう簡単に勝てません。

 近藤の監督就任後に初めて行われた練習試合でもまるっきり勝ち目がなく、大人と子供のような実力差を見せつけられるのですが、この試合で1つのアウトを取る度に歓喜する姿、ヒットを1本打って歓喜する姿に、なぜか心を揺さぶられるのです。

 相手バッターを打ち取れたら嬉しい。出塁できたら嬉しい。相手から三振を奪えたら嬉しい。ホームインして得点できたら嬉しい。そういった、野球というスポーツにある原点的な喜びにちゃんと焦点を当てたシーンになってるんですね。この時点で既に泣けました。ヒット打って喜んでいたら走りすぎて挟殺。でもチーム初打点を上げた彼をみんなで祝福。ツボをついてくるぅ!

 この初戦の後で近藤の過去についての描写がインサートされます。結果が出せなかった時に激昂し生徒に当たり散らすなど、指導者として未熟だった頃の近藤が、野球人として未熟な嘉農の部員たちと重なるんですね。近藤のキャラクターもしっかり掘り下げているところが偉い。

 嘉農野球部員が、同じ町内にある他校の生徒(野球部)とケンカになるシークエンスの後で、「ケンカはグラウンドの上でやれ!」と近藤が叱りつけてその高校と試合をする展開になるのですが、相手チームを安易なヒール役にせず、どちらも必死に勝利を目指す高校球児として描いているのに感心。

 そしてこの試合にも嘉農は負け、3年生バッテリーにとっての最後の試合にも勝利を飾ることが出来ないのです。「ここで負けるのか!」という驚きと、「3年生が現役最後の試合に賭ける思い」をちゃんと描いているところに感服。

 野球シーンの撮り方も的確で、ただのダブルプレーでさえ感動的に見えます。捕球したボールを投げるフォームが全員しっかりしてるんですよね。役者というより野球経験者で固めたキャストらしいので、動作にウソくささが無い。

 嘉農野球部が本格始動してから2年目、いよいよチームの快進撃が始まります。

 エースピッチャーは豪快なトルネード投法のイケメン・呉明捷が襲名。通称アキラを演じるのは現役の野球選手として21歳以下の台湾代表に選ばれ、国際大会でベストナインを取ったツァオ・ヨウニン君なのですが、とにかく顔がカッコ良いので役者にしか見えません!

 そんな彼が見せる芝居が素晴らしく、野球のフォームもカッコ良く、さらには殆ど日本語のセリフもうまい。説得力がありすぎる名演技だったと思います。今や国民的スターになっちゃったみたいですよ。

 エースのアキラを中心とした嘉農野球部ですが、他にもしっかり濃いキャラがいっぱい。先頭バッターの平野は選球眼に優れた俊足。主砲の蘇は登場シーンから天性の長距離バッターとして描かれています。こういう積み重ねがあるからこそスポーツドラマが感動的になるんですよね。

 それ以降の試合シーンも、野球ファンならニンマリしてしまう瞬間がてんこ盛り!満塁のピンチでセットアップを捨ててワインドアップで投げるとか、台湾地区予選の決勝でディレイドスチールのサインを出して成功するとか、野球への思い入れがちゃんと感じられるんですよ。本当に素晴らしいです。

 嘉農は甲子園の切符を手に入れ、嘉義の町が大フィーバーになるのですが、そこからの展開はここで語らないでおきます。

 最後の最後まで気の利いたカメラワークでドラマを盛り上げていて、撮影監督の熱意がとんでもないです。スポーツを題材にしているからというレベルじゃなく、映画人としてとっても素晴らしい。戦時中の台湾に大きな感動を与えた嘉農野球部と、彼らを率いた近藤兵太郎という人物に最大限の敬意を払った映画です。

 追い込まれたピッチャーが牽制球するしかない心理とか、痛打を食らった相手ピッチャーがベースカバーできないくらいに呆然とする描写とか、嘉農の相手をしっかり描くことによって嘉農の選手を光らせるなどのテクニックも凄い。

 とにかく野球好きなら絶対に見なきゃいけない映画だと思うし、集団スポーツを描いた映画としても、戦時に起こった奇跡のような物語に触れるという意味でも、見る価値が絶対にある作品だと思います。

「俺たちはいつになったら泣いていいんですか?」

 こんなに熱いセリフを外国の映画人に書かれてしまうのは悔しいけど、でもすがすがしいほどに良い映画です。1月に見た映画ではKANOがダントツに良かったです。超オススメ!!!

 KANOの快進撃という感動的な出来事があった1931年の翌年に、セデック・バレの元になった霧社事件が起こったそうですよ。どちらも日本にとって簡単に忘れてはいけない事実。映画でその一端に触れるのも良いのでは?

激戦 ハート・オブ・ファイト

激戦 ハート・オブ・ファイトを見ました。2015年1月26日、ユナイテッドシネマズ豊洲にて。



http://gekisen-movie.jp/







 香港きっての熱情派であり、クライムアクションに長けた監督ダンテ・ラム総合格闘技をモチーフに選んだオリジナルの新作ということで興味津々。チルは元々プロレスファンでしたし、1990年代のNHB/バーリトゥード黎明期には格闘技通信の文字情報に狂喜していたクチなんです。







 いきなり結論から言いますと「詰めが甘いなー」です。思い切り泣かせてもらうつもりだったのに!



 あらすじ。



 スーチーは大手企業の創設者の息子。金には困らないが、散財するわけでもなく、目的もなしに中国の地方を旅している。北京に戻って同級生と再会し高級キャバクラで飲んでいると、父親が多額の負債を出して失踪したというニュースが飛び込み、呆然とする。



 ファイはタクシー運転手。酒とギャンブルに明け暮れるダメ人間。借金の返済が出来ずにヤクザから追い込みをかけられている。友人のトレーニングジムで働かせてもらえることになり、住み込みで奇妙な母子と暮らすことに。



 この母子は長男を風呂場の事故で亡くしていて、それ以来母親のクワンはメンタルを病んでしまっている。その母親を必死に支えるのが娘のシウタン(小学校高学年)。当然ながらとても可愛い。



 シウタンは母親を刺激しないためファイに様々なルールを課すものの、ファイはまともに取り合おうとしない。駄目な大人に対してプンプン怒るシウタン超可愛い



 ファイはかつてプロボクサーとして香港チャンピオンに上り詰めた男だが、現在はおばちゃん相手にボクササイズを教えるところまで落ちぶれてしまった。



 スーチー(可愛い名前だけど男)は凋落して酒浸りとなった父親の尻拭いを続ける日々。そんな彼の目に飛び込む「MMA大会出場者募集」というテレビCM。目標がそこにあると感じたスーチーは早速ジムに入会。夜中、誰もいなくなったジムでサンドバッグを叩いていた男――それがファイだった。



 2人は師弟関係を結び、総合格闘技の世界で栄光を勝ち取ろうと奮起する…



 序盤のあらすじはこんな感じ。まず舞台/状況を用意するに当たっての気配りが物足りない。リアリティというか。特に主人公2人が同じジムに世話になる経緯もひねりがなくて超あっさりだったりするのがモッタイナイ気がします。香港映画らしい大雑把さとも言えるけど。



 あとはキャラクター造形。かつて栄光をつかんだ男、裕福な家庭に生まれたが一片の栄誉も得たことがない男という設定は悪くないんですけど。



 ファイがボクシング界の一線を引いたきっかけが八百長に加担することによる逮捕。やむなき理由がゆえに八百長に手を染めたという背景をもっとハッキリさせておくべきだし、「当時の俺は金が必要だった、だがそれでも八百長するべきじゃなかった」みたいな葛藤を描くことでもっとドラマチックになったはず。



 スーチーの背景ももうひとつ深みがない。育ててくれた父親に感謝するのは当たり前とはいえ、いかにこの父親が愛情を注いでくれたのかを、ちょっとしたエピソード混じりに語ることで感動が増すはず。目的のない若者がやりたいこと見つけただけじゃ…



 失意の母親クワンの使い方も、悲劇のパーツ的で人間味が薄い。キャラとして魅力が薄いですよ。シウタンも、クライマックスでうまく動かせばもっと感動できたはずだし。



 期待してたがゆえに、「ダンテラムの総合格闘技映画がこの程度で収まっていいのか!」って思ってしまうんですよね。



 総合格闘技を扱ったアクション映画としての流れも、そこそこ頑張ってるとは思うんですけど不満点が目につきます。



 今作の格闘技イベントの仕組みは



勝ち抜き戦であること

勝者は次の大会に出場するか決められる

抽選で次の対戦相手を決める

2ラウンドで決着が付かない場合は挑戦者が勝ち抜き

10戦勝ち抜けば賞金270万ドル




 という、お笑いスター誕生みたいなシステム。例えが古い? イロモネアっぽいシステム。



 「デビュー戦で王者に挑む」という構図を作りたいがために、非現実的な大会レギュレーションをデザインしたのは、まあ許すとしても、



 スーチーのデビュー戦が2ラウンド終了による判定勝ちで終わるところがいただけない! 耐えるだけ逃げるだけの選手はMMAでは悪! プロとして持つべきでない意識です。勝ち方が進歩していくプロセスを描くために初戦を無様にする必要性は分かるけど、それならドロー=挑戦者の勝利という変なルールを盛り込まずに、優勢に試合を進めたけど決めきれない(ゆえに悔しい)判定勝ちで良かった



 試合以前のトレーニング場面はなかなか面白いです。ロッキー的な、「すごく重いもの」を使った原始的なウェートトレーニングとか。技術的なレッスンも描いてる。寝技の攻防の中でキスする狙いすぎな描写もあります。腹筋してる姿をサイドからグルリンと撮るショットは新鮮。



 あと、ファイが見せる背筋運動! グイッと背中を反らせるどころか太ももまで起立させる、あんな動き見たことないっす。ニック・チョンすげえ身体。



 試合シーンで他に気になったのは「スーチーのテコンドー経験者っていう設定が完全無意味になる」「クローズアップ多すぎ、カット割りすぎ、編集うるさすぎ」「スーチーを見つめる父親のカットの挿入がしつこすぎ」といったところです。



 そこに目をつぶれば概ねグッジョブ。寝技でのポジショニングの移り変わりもそこそこリアルだし、関節技のバリエーションもいくつか見られて良いですね。アキレス腱固めとかオモプラッタとかやってます。



 試合の中のドラマを生むために使われている伏線が、脱臼しても気合いで治せちゃうファイのベテランテクニック。スーチーの鼻の骨を元通りにするのに使っただけでなく、クライマックスでもさらに回収してて巧かった。



 若者のスーチーがKO負けし、首を負傷。その仇を討つのが師匠のロートルおじさん・ファイ。この展開はスポーツドラマとしてメタ的でなかなか斬新だと思います。一念発起する流れもベタじゃなくて悪くない。



 しかしファイの試合直前、シウタンからのメッセージをシウタン(ようじょ)の実父が伝聞として伝えるのが残念ポイント。そこはベタに、シウタンの声聞かせてくれよ! シウタンからの電話なり直筆手紙に朗読音声かぶせて伝えるなりでいいのよ! おっさんの声を聞いて奮起するおっさんなんて画として貧相! こういうディテールがゆるいというか甘いので、クライマックスがクライマックスになりきれてないと思うのです。惜しい。



 2試合を勝ち抜いたスーチーは3戦目、相手のスープレックス(投げ技)で首から落下してKO負けを喫し入院することになるのですが、このスープレックスがファイの試合でもキーになっていて、食らったらマズイ!という緊張感につながっています。こういう明確なアプローチはとても良いですね。



 王者の勢いに押されて苦戦するファイがいかに逆転して勝利をつかむか、そのポイントもしっかり伏線が効いていて好印象。フィクションらしいケレン味があって、でもウソっぽすぎない。良かったです。



 ラストはシウタンとファイが再会してしっかりと抱擁。ちゃんと感動的です。もっとディテールにこだわってくれる映画だったら、アジョシみたいなタメがあってからの抱擁だったら、この場面で涙がノンストップ大放流状態になったと思うのですが、「ほろり」程度に収まってしまいました。ええ、結局泣いてるんですけどね。



 同タイプの映画なら『ファイター』や『レスラー』がすごく印象的だったし、鮮烈でした。今作はそういった傑作には及んでいないと思いますが、香港らしい仕上がりの良作だったと思います。格闘技好きなら是非映画館で見てほしい作品でーす。

ビッグ・アイズ

ビッグ・アイズを見ました。2015年1月23日、ユナイテッドシネマズとしまえんにて。



http://bigeyes.gaga.ne.jp/









 出演はエイミー・アダムスクリストフ・ヴァルツ。監督はティム・バートン。1950〜1960年代アメリカの実話に基づいた映画です。



 ユナイテッドシネマズは金曜日1000円デー。上映作品を調べて「題材と監督にはさほど惹かれないけどクリストフ・ヴァルツの芝居を堪能できるかしらね」と思い、行ってみました。「某町山さんもラジオ番組で紹介してたし、そんなに悪い映画じゃないだろ」なんて。







 あらすじ。



 夫の横暴に耐えかねたマーガレット(エイミー・アダムス)は娘を連れて家を飛び出す。誰も頼ることが出来ない状態でサンフランシスコを新天地に選ぶ。



 女性が職に就く事が珍しかった時代、マーガレットもご多分にもれず労働経験がなかったが、娘を養うために就活。唯一の特技である絵画・イラストの技術でなんとか就職することが出来た。



 休日は路上で似顔絵のアルバイトをするマーガレットだったが、せっかく描き上げても値切られてしまい、ごくわずかな金額しか得られない。



 そうしていると隣で描いていた男の画家が近づいてきて「安売りしちゃダメだ。君の作品にはもっと価値がある」と褒めそやす。男は「見ててごらん、あの女の子に君の絵を売ってみせよう」と言ってセールストークを展開。しかしその女の子は席を外していたマーガレットの娘だった。「この絵はぜーんぶ私がモデルなのよ」



 これがマーガレットとウォルター(クリストフ・ヴァルツ)の運命的な出会いでした。



 この出会いのシーンでマーガレットの口下手で控えめな人物像、対するウォルターの巧みな話術と強気な性格という対称的な描き方を自然に強調しています。うまいですね。それにしてもクリストフ・ヴァルツの顔面には隠し切れない中年っぽさがあって、主人公がたちまち恋に落ちる相手としてはどうなの、と思いました。



 やがて2人は結婚するのですが、元夫との関係を精算して娘の親権を渡すよう命じる裁判所からの通告が届き、



マ「私に娘を養育する権利はないって…」

ウ「だったら僕と結婚しよう」

マ「えっ!」

ウ「断る理由を考えないで。Yesと言う理由は100万以上あるはずだろ?」



 という「弱みを見せた途端にプロポーズして押し切る」という流れは、脚色としてうまいなと思いました。結婚した理由に1つのロジックを組み込んでる。「怪優・クリストフ・ヴァルツここまでクサいセリフを吐かせるのか!って意味で笑えました。



 顔馴染みの画廊に自分達の絵を持ち込むウォルターだが、つまらない風景画(byウォルター)だけでなく大きな目が特徴的なマーガレットの絵も理解してもらえず。



 ちなみに画廊店主を演じてるのは『スコットピルグリムvs邪悪な元カレ軍団』のラスボス・ギデオン役ジェイソン・シュワルツマン。ゲイっぽいルックスなのは共通してる。



 ウォルターは続けざまに地元の有力者がオープンさせたバー/クラブに営業をかけ、夫婦の絵を展示する許可を得る。



 作中のウォルターが見せるセールスマンとしての資質を見ていると、彼がいなかったらマーガレットの絵が脚光を浴びることも無かったんじゃないか?と感じるんですよね。ある意味ではとても優秀な人物なのは間違いないんですね。マーガレットの対極にいるクチだけ能無し野郎、みたいな造形ではないのです。そこが面白い。



 あることをきっかけにマーガレットの描くBIG EYESなイラストが注目され、トントン拍子で大人気になります。



 その中で「この素晴らしい絵は誰が描いたの?」と問われたウォルターが「私が描いたのさ!」と、決定的なウソをつくシーンがやってくるのですが、その大ウソもマーガレットの目の前で堂々と告げられるのです。



 この映画は「妻に黙って自分の作品だと公言し続けた夫」みたいな話(そこに発生するバレるかバレないかサスペンス物語)ではなくて、「大きなウソを共有させて後戻り出来ない状況に妻を追い込むことで共犯関係を強いた夫」という奇妙で信じがたいノンフィクションなんですよ。



 そこのサスペンス性をコメディ映画としてうまく取り入れていたらもっとスリリングな物語になっていたように思うのですが、その辺はいまいち気が回らないティム・バートン



 こういう雰囲気を作るがうまい監督として思い浮かぶのがポン・ジュノだったりします。今作は脇役の造形や展開の押し引き中途半端な印象が残りました。



 マーガレットが心血を注いだ作品をあくまでも商材としてしか見ていないウォルターの無神経さはアーティストの視点から見ると正に噴飯ものなのですが、それでいて、妻の作品の価値を陥れようとする他者に対しては本気で怒りをぶつけるウォルターの姿勢を見ていると「ボタンの掛け違いさえなければビジネスパートナーとして理想的な関係を構築できたんじゃないか?」なんて感じなくもないのです。



 そういう意味ではなかなか面白いバランスで描かれていると思います。最後まで見ると「前言撤回!単なる銭ゲバだわこの男!」って結論に至るんですけどね。



 当時はポップアートという概念がまだ成立していなかった時代であり、自分が苦労して完成させた絵がポスターやチラシとして安価で投げ売りされているのを見たマーガレットはどんな感情を抱いていたのか。興味深いです。



 ウォルターは新聞記者と共謀して自分の作品の価値を高めるマッチポンプ(ステマ)行為にも積極的。その浅ましい姿を描くこの映画には、改めて現代のアート界ショービジネス界に対する警鐘を鳴らしているようにも思えます。



 ウォルターはマーガレットに様々な言葉を投げかけ、なだめすかしながら作品を描き続けることを命じるのですが、マーガレットの中の不満もドンドン直接的に表面化するようになっていきます。



 マーガレットは当時の自分の心理を「洗脳されていた」と振り返っているのですが、2人の関係は一方的な主従関係に終始しているわけではなくて、「絵が描ける妻」と「描けない夫」という関係にならざるを得ない瞬間があるのです。そうなった時のウォルター役クリストフ・ヴァルツの芝居はやっぱり可笑しい! パワーバランスの入れ替わりもこの映画の見所だと思います。



ウ「水曜日には万博で作品披露、木曜には○○、そんなに浮かない顔することないじゃないか」

マ「金曜日には離婚するわ…」



 この会話は笑いました。高圧的な態度に終始せず、なんとか妻をコントロールしようとした(それが出来ると過信していた)ウォルターがゆえに生まれたドラマ性とも言えます。



 やがて2人の関係は修復不可能な地点を通過。マーガレットはオープニングと同様、娘と共に家を飛び出す。彼女は栄光・栄誉を捨て、ウォルターとの新婚旅行で訪れたハワイに飛び立ちます。



 娘と共に静かな生活を手に入れたマーガレットだったが、それから1年後ウォルターに居場所を知られてしまう。マーガレットは縁を切りたいと申し出るがウォルターは「キミが描いた絵の権利をすべて譲れ」と恥知らずな返答。



 いよいよ愛想が尽きたマーガレットは地元ハワイのラジオ番組に出演し、「BIG EYESの作者は全て私であり、ウォルターは偽りの作者である」と告白。



 そこからはお待ちかねの「ウォルターざまあみろ!」展開に突入していきます。



 いくつかの伏線をここで回収して爽快感につなげているのですが、クライマックスの裁判におけるウォルターの滑稽っぷりはもう少し強調できたんじゃないかと思います。新聞社を味方につけていたウォルターがハシゴを外されて弁護人がいなくなるところとか面白いんですけど、もうひとつ伸びない。



 オープニングの家出、二度目の家出でマーガレットが見せた「後部座席にいる娘の手を握る」という動作が裁判の場でもう一度登場して回収されるのは「おぉ、いいじゃん」とは思いました。こういうナイスな脚色もチラホラ見られるんですけどね。



 裁判が終わってからはウォルターの末路について描写されることはなく、エンドロール前の字幕で説明されるに留まっていたのも残念。クリストフ・ヴァルツという世界最高レベルに評価されている俳優の使い方としては勿体無いですね。これじゃあアカデミー賞ノミネートは無理だろうと。



 一方マーガレットを演じたエイミー・アダムスも、もうひとつ。クライマックスの裁判でも魅力を引き出しきれていないし、全体的に演技を掘り下げられる余地がなかったです。



 結論としては、ティム・バートンはこういうシンプルなコメディ映画に向いてないんじゃないかなーと。彼の思い入れが無かったら成立しなかった企画でしょうけど、ディレクターとしてうまく立ち回れるタイプのシナリオでは無かったように思います。



 それでも「このアレンジにはこういう意図があったんだな」と感じられる部分は少なくなかったので、適度に面白かったと言えます。以上!

ジャッジ 裁かれる判事

ジャッジ 裁かれる判事を見ました。2015年1月17日、イオンシネマ板橋にて。



http://wwws.warnerbros.co.jp/thejudge/





 「今年は週1回ペースで映画見たいなあ」と思っていたので、仕事帰りにイオンシネマ板橋の上映作品をチェック。ロバート・ダウニーJr.の法廷サスペンス? 面白そうじゃないですか。割と即決で映画館へ。







 あらすじ。



 大都会シカゴでがっぽり稼いでいるやり手弁護士であるハンク(ロバート・ダウニーJr.)は、裁判開始直後にかかってきた電話で母親の訃報を聞き、20年間離れていた実家へ向かうことに。



 葬儀のために方方から集まってきた親戚の中で孤立するハンク。息子の姿を見た父親ジョセフ(ロバート・デュバル)も、長男や三男と違うそっけない対応に終始。母親の死さえも親子の絆を回復させる要因たりえない。



 久しぶりの地元を満喫するハンクは学生時代に付き合っていたサマンサ(ヴェラ・ファーミガ)と再会。当時と変わらず同じダイナーで働いている元カノに驚くハンク。



 葬儀の夜が明け、決定的な喧嘩の末にシカゴへ戻ろうと飛行機に乗ったハンクだったが、離陸直前にかかってきた電話で引き返すことに。父ジョセフが殺人の容疑で連行されたと言う。



 地元で裁判の判事を42年間務めてきたジョセフは自らの意思で殺人を行ったのか? 仲違いしたまま20年ぶりに再会した親子が弁護する側とされる側という関係でお互いを見つめ合うことに…



 こんな感じです。



 まー、非常によく出来た脚本でした。軸が沢山あるというか。ドラマ性の根源が沢山盛り込まれてます。ボリュームという意味で比肩する作品はそうそう見つからないですよ。



 大きな枠としては裁判の行方が気になる法廷サスペンスなのですが、被疑者と弁護士が父と息子という関係であることによって生まれるドラマ性がとても重厚なのです。



 故郷を発った都会人が洗練された大人のつもりで帰郷したものの、自分自身こそが最も未成熟な存在であることに気付かされるという展開はさほど斬新な切り口ではないものの、それを父親を弁護する過程の中で気付かされていくという展開はすごくフレッシュ。



 父親の存在を乗り越えて初めて大人になる男というイニシエーション的シチュエーションを丁寧な語り口と深いストーリー展開で見せるセンスは目を見張るものがあります。



 なおかつ単調になっていないのはロバートダウニーJr.の独特な演技が生み出すカラッとしていてコシャクなコメディ調が全体を通して非常に効果的だからでしょう。脚本とキャラ、セリフと芝居が有機的に結び付いています。



 老いた父親との確執・軋轢の描き方も、多面性を帯びながら会話テンポが良くて鈍重な域に足を踏み入れていない。喧嘩と衝突の絶えない犬猿の仲でありながらも、愛妻を失って傷心状態になり末期ガンでもある父親を放っておけない。逃げ出すわけにはいかない。



 さらにはハンクの兄弟もしっかりキャラが立っててリアル。兄はかつて野球で脚光を浴びてメジャーリーグからもスカウトが来たものの事故でプロの道を断念して自動車修理工に成り下がってしまった。弟は自閉症でコミュニケーション下手。



 自分の弁護士人生に一切影響を及ぼしてこなかった家族たちとの断ち切りようのない絆がハンクを苦しめるのですが、物語後半にはハンクを後押しするかけがえのない存在に転化していくのです。



 特に兄のグレンとのぎこちない関係性の描き方は珠玉! 二人の間に息づく過去のトラウマ、そしてそれがキャラクターと展開に波及していく脚本はどう見ても傑作だし、クライマックス以降にようやく本当の和解に到達して確かな絆を取り戻す様にはダダ泣き。こういう光景って世界中である普遍的なものなんだろうなあ、って。



 さらにハンクが向き合わざるを得ないのがかつての恋人サマンサ。決してスッキリした別れ方をしていない二人なのに、調子の良いハンクの「俺たちスッキリ精算しましたよね」という態度に呆れるサマンサ。彼女はそれでも、時にハンクを叱咤激励し、キスをし、お互いの不安を吐露しあって次第にあるべき関係性に前進していきます。



 物語序盤で登場したキャラクターがサマンサとただならぬ関係であることが露呈する展開や、そのキャラクターの仕草と別のキャラクターの仕草が酷似することに驚愕するシークエンスなどコメディとしてとても印象的な場面が盛りだくさんで本当に笑えます。



 そして、ハンクの現在の家族との関係もが物語に関わってきます。離婚寸前の妻と、小学生の娘。この妻との関係をいかに綺麗に締めるか、という点に期待する人にとってこの映画は「巧くない」という印象になるでしょう。離婚が決まるわけでなく、よりを戻すわけでもなく、省略される部分だからです。



 チルも、これだけ多くの関係性を盛り込んですべてスッキリクリアさせるとすればとんでもない脚本だなあと思って見ていたんですけど、それはあくまでも理想。ハンクは過去の自分、自分のルーツと向き合うというスタートラインに立ったところでこの映画の物語が終わっています。無意識に何かに怯え、立ち止まったままだった彼が踏み出す勇気を得たのです。



 人間はすべてを捨ててやり直すことなんて出来ない、というとてもポジティブなメッセージにも思えるのです。



 妻の扱いはさておき、娘の使い方はすごく上手いです。上手いっていうか可愛いっすよやっぱ。一度も会ったことがないおじいちゃんに会うハンクの娘。ほのぼの感の後に現実のシビアさが迫り来るという緩急の付け方も上質なんですよ。



 ハンクと父親が、孫娘の存在を潤滑油にして関係を改善していく様は、その構図だけで1本映画が出来上がってもおかしくないです。車の運転席に娘を座らせてハンドルを握らせながら運転させてみるシーンはとても印象的。



 ハンドルを握りながらもひたすら可愛く振る舞っていた娘が突然「いつ離婚するの?」「男の人は新しい女の人を見つけるけど女の人はそうじゃないの」「周りにも離婚したうちがあるけど、自分がそうなるとは思わなかったわ」と、シビアな言葉を投げかける展開も面白い!



 このシークエンスでは、バリバリ働いて大金を稼ぎ、自分は一人前であると信じてきたハンクが、最も身近な存在である妻と子供に対してもケジメを付けないまま生活していたことに気付かされるんですね。



 自分が投影した影を見つめるように様々な他者と交流を重ね、ハンクは本来の自分を取り戻していくのです。何かをきっかけにガラッと変貌するのではなく、どんな過去もすべて今の自分に連結している。そんなテーマ性を感じます。



 ハンクが変化・成長していくドラマを丁寧につなぎながらも、裁判の行方もちゃんと継続的に描いています。一体どうなるんだ?という興味をちゃんと引っ張っている。父親ジョセフは被害者を意図的に殺したのか? 事件当時の記憶がないと言いはる父親の無罪をハンクは勝ち取ることができるのか?



 この映画における「事件」の真相は、これまで見た裁判ドラマ映画の中でも一番深いです。事件の背景、背景にある事件の背景。その事件にジョセフがどう向き合ったのか。その父親を目にしたハンクはどのように弁護したのか。



 固唾を飲んで見守りました。そして大泣き。伏線も効きまくりで感動の大波に飲み込まれました。まるで『逆転裁判』ですよ。



 特に「検察側の最終尋問が不発に終わった瞬間『そう証言したつもりはない』と、発言を修正するジョセフ」「被告に有利な父親の証言を否定してさらなる真実を追い求めるハンク」には見入ってしまいました。演出も素晴らしいです。



 ざっくりネタバレを書くと父親は殺人に問われないものの故殺で有罪になり、執行猶予なしで収監。つまり弁護士のハンクにとっては敗北なのです。結果は「なんだそりゃ」に見えるかもしれない。「結局殺したんだ」と落胆する人もいるかも。



 でもそこが新しいんだってば!



 敗訴したハンクは裁判所に取り残され、堰を切ったように涙を流します。父親との間に築くべきものは既に失われ、それを取り返す時間は残されていないことを悟り絶望。わずかな猶予を自分の弁護のせいで無駄にしてしまったことへの懺悔。様々な現実がハンクにのしかかります。



 それでも主人公は敗北の代わりにもっと大切なものを得るんですよ!



 裁判の勝利でなく、真実と向き合ったことでハンクはささやかな信頼を得るのです。それこそが父ジョセフが42年に渡って積み上げてきた誇りの根源なんですね。



 クライマックス以降、ハンクが信頼の他に何を手に入れたのかが描かれていきます。気の利いたセリフ、軸として繋がれてきた複数のドラマが結末を迎えます。ハンクと兄、ハンクと元カノ、ハンクと母親、ハンクと父親。



 素晴らしいシナリオです。これほどのシナリオが監督デイビッド・ドブキン自身の体験から着想を得たオリジナル作品であることにビックリ。142分にまとめる手腕にも驚かされました。



 全編で142分のボリューミーな映画ですけど、適度なバランスで様々なドラマを取り込んで消化した見事な作品です。このThe Judgeを超える感動を今年は得られるでしょうか。楽しみです。



 1/17に公開されたばかりのこの作品、めちゃめちゃオススメです! 法廷ドラマの新時代はここから!!

薄氷の殺人

薄氷の殺人を観ました。2015年1月13日、ヒューマントラストシネマズ有楽町にて。



http://www.thin-ice-murder.com/








 あまり好きじゃないタイプの映画だったので出来るだけ省エネで書きますよー。



 とか思ってたんですけど…エントリ書いてるうちに、この映画の脚本に論理的な説得力を見出したので評価急上昇中です。とりあえずあらすじ書きます。





 刑事を辞めて自棄になり自堕落な生活を送っていた男が、5年前の未解決殺人事件の関係者である美女と再会して人生の歯車を狂わせていく。ノワールの典型ですね。



 1999年夏、刑事としてバラバラ殺人事件の捜査に当たっていた主人公だが、複雑に絡み合った状況のせいで解決に至らず。死亡した男の妻は泣き続け、まともな証言も得られない状態。とある容疑者を逮捕しようとした際にハプニング的な銃撃戦が発生し、容疑者2人と刑事2人が死亡するという最悪の結末を迎える。



 この「容疑者確保しようとしたら銃撃戦になっちゃいました」シーンはめちゃ秀逸で、観客を挑発する意欲に満ちていてとても刺激的。北野武HANA-BI』の地下鉄駅内銃撃戦を想起させるような驚きがあり、なおかつ長回しなのでショッキングでした。



 1999年に被害者の妻が泣いていたのはストーリー展開にひねりをもたらすトリックになっています。要するに、「あの時あの女の顔を見ていたら主人公の人生も変わっていたかも」という構図。



 しかしそのフリとして「手で顔を隠して泣く女」という小手先の仕掛けは感心しない。芝居を見ていて「この時点で顔を見せないことによって展開につながるのかも」という違和感はあったけど、その伏線によって得られる結果がちょっとショボいかなあ。



 しかしこの1999年パートを観ている分には、この監督いろいろと面白い演出を盛り込むから好きだなあ…なんて感じてました。



 2004年・冬。主人公は未亡人となった女と再会して一目惚れし、生きる目的を見出していきます。5年遅れでやってきたファム・ファタルとの出会いです。



 夫を失ったまま5年間の時を過ごした女に対し、刑事の肩書を失った主人公はつきまとうように接し、力になろうとします。かつて諦めざるを得なかった事件の真相を突き止めること、そこに己の全てを捧げようとします。



 その動機はおそらくただの性欲。トラウマの影響で彼女の事がほっとけない…みたいな美談めいた要素は皆無です。と、思ってたんですが! 後の展開を理解すると主人公のスタンスが見えてきます。叙述トリックとも言える緻密な演出には参りました!



 主人公は女の近辺を調べるうちに事件の真相をだんだんと把握。そして元同僚の刑事から、スケートリンクで遊んでいた人物がバラバラ殺人の被害に合ったという情報を手に入れます。



 刑事からの情報でスケートリンクに来ている客を怪しむ主人公が、女をスケートデートに誘って出方を伺う。主人公と女が移動し、その後ろを付いていく怪しい男を刑事が逮捕しようとするも、スケート靴を凶器に使う男からの反撃にあって殉職。



 主人公は女と殺人犯が現在も繋がっていることを理解し、かつての仲間であった刑事を殺した犯人を追い詰めていきます。男の尾行を続けると、殺人犯はバラバラにした刑事の死体を橋の上から石炭を積んだ列車の貨物に投げ入れます。1999年の事件で、一人分の死体が遠く離れた別々の場所で発見されたわけを理解します。



 殺人犯の存在を確信した主人公は女に真相を迫る。女は主人公に、5年前の事件の真実を語り…



 おそらくここから先の展開はネタバレしないほうが良さそうなので書かないでおきます。



 改めてまとめてみると、とてもロジカルで整然としたミステリーだなと理解できました。Twitterで不満爆発させてごめんなさい。ノワール映画のように見せておいて…そこからのどんでん返しがある鮮やかな脚本と言っても良いでしょう。



 演出がシンプルすぎてやや理解できない部分もあったのですが、現実の事件をベースにしてこれだけしっかりしたドラマを作り上げる手腕は認めざるを得ません。ポン・ジュノのような明快な演出は見れないものの、これはこれでリアリティと味わい深さが感じられます。



 理解できないまま見終わってしまったので不満が残りましたが、改めてもう1度見て演出の細部まで感じながら観賞したい作品です。2015年最初に見た映画としてはなかなか良い滑り出しでしたよ。ミステリー/ノワール好きなら見て損はなし!なにしろベルリン国際映画祭金熊賞・男優賞を受賞した作品ですから奥深いですよ。



 ちなみに…チルことヨシダジョージが原案&仕上げを担当した[k*ss]というシナリオ(共同脚本・木村氏)はジャンル的にノワール/ミステリなので、これを機に是非読んでいただきたいです!



長編シナリオ[k*ss]

http://www.dd.iij4u.or.jp/~girl2/third/honpen.html

Drug War毒戦

ドラッグ・ウォー 毒戦について書きます。










 この映画は2014年に日本で公開された作品で、製作・脚本・監督はジョニー・トー。語り口に独特のテンポ・味わいを持ちながらも、アクションにただならぬ情熱を燃やし続ける監督です。


 私自身はジョニー・トーの語り口にいまいちハマっていないと自覚していたのですが、たまーに文句のつけようがない完成度の作品に出会わせてくれます。具体的には『スリ』『暗戦 デッドエンド』がめちゃめちゃ面白いですよ。


 そんでもってドラッグ・ウォー毒戦。映画館では見れずにDVDでのチェックになってしまったのですが、ジョニー・トー作品の中ではけっこう好きなタイプ。結果的に、極私的年間映画ランキング15位とさせていただきました。





 レビューを残していなかったので改めてレンタルして見てみました。ざっくり俯瞰的に書く…つもりだったんですけど結局長くなってしまった! 少しお付き合いください。


 麻薬取引を取り締まる刑事もの。チーム長が自ら潜入捜査をすることも辞さない強硬派の公安局と、大規模な覚醒剤製造業者、さらには香港のフィクサーも交えての巨大スケールな麻薬戦争を描いた物語です。


 ヘタを打って公安に逮捕された麻薬密造業者・ミンが死刑をまぬがれるため、ペラペラと情報を漏らして同業者を売りまくるのですが、その情報を元に大物の逮捕を狙うため公安のチーム長が裏社会の人間になりすまして駆け引きしていきます。


 このチーム長・ジャン警部の「なりすまし」がこの映画の最大の見どころ。ギリギリまで踏み込んで証拠を上げようとする公安チームの先頭で複数の人間になりきる演技を駆使していきます。


 ジャン警部を演じるスン・ホンレイジャッキー・チェンをさらに薄味にしたようなルックスの持ち主で、悪役の方が似合うタイプ。過去の香港映画でもそれほど目立っていた人ではないと思います。しかしそんな彼だからこそオープニングの意外性を生んでいるし、静と動のギャップインパクトにつながっている。


 ジャン警部は登場シーンから既に潜入捜査中であり、腸内に麻薬をたっぷり詰め込んだ運び屋たちの乗るバスに同乗しています。高速道路の料金所で通過に手間取り、その様子を見て逃げ出した首謀者とジャン。最後は後ろからのカニバサミで転倒させて逮捕。観客に「この男警察側の人間だったのね」と、驚きを与えています。


 その次のシーンでは麻薬カプセル(ゴルフボール大)をケツからひねり出したり、クソまみれのカプセルを水洗いする描写が露骨に入ってきてジョニー・トーらしいえげつなさを感じられます。


 ジャン警部たちが運び屋集団を取り調べしていた病院に、オープニングでゲロまみれになりながら事故った男・ミンが運び込まれてきます。男の体に染み付いたニオイや携帯電話の履歴から、ジャン警部は別件の麻薬密売ルートを感じ取り、ミンにプレッシャーをかけていきます。


 ミンを演じているのはけっこうなイケメンのルイス・クー。正義の刑事役の方がよっぽど似合いそうな役者なんですが、この映画ではゲスさ丸出しのクソ野郎を演じています。このキャスティングが素晴らしいですね。


 ミンと付き合いのあるハハ(漁港を管理する密輸業者)と接触したジャン警部は、黒社会の大物ビャオの甥であるチャンのフリをしてハハと面談。チャンはドラッグにどっぷりハマったジャンキーであり、そんなチャンになりすますジャン警部もハハの前でドラッグを吸引。体を張った演技でハハをだますことに成功します。


 つづいてジャン警部はハハになりきってチャンと面談。ハハは名前の通り「ハハハー!」と陽気に笑う快活キャラであり、ジャン警部はつい先程目の当たりにしたハハのキャラクターを完コピしてご陽気モードに切り替えるのです。このギャップがこの映画の醍醐味でもあります。


 しかしそんな「ハハになりきったジャン警部」に対し、チャンはドラッグを吸うよう勧めてきます。ハハのように「俺は自分じゃやらないんだ」と拒否するものの、チャンは暗い目をしながら「吸わなきゃこの商談はナシだ」と宣言。意を決してドラッグを鼻から吸引。それを不安気に見つめる、女刑事とミン。


 仕事のためならドラッグに手を出すことも辞さない、というジャンの覚悟が非常に重厚なタッチでよく描かれています。素晴らしいです。


 チャンが去った直後にぶっ倒れて幻覚を見るジャン警部。そんな彼を見たミンは「寝かせるな!立たせろ!」「氷風呂で体を冷やせ!」とアドバイス。ジャンという男の覚悟に胸を打たれたかのように見えるシーンです。こういうシーンがクライマックスの裏切りのインパクトを増すんですね。


 公安はミンに弟分の覚醒剤製造工場を訪れさせ、チャンと、その叔父であるビャオを信頼させるために必要なブツを確保しようとします。


 この工場を運営しているのが聾唖の兄弟。ミンと手話で会話しながら発する声がとても間抜けで、キャラクターの馬鹿っぽさを強調しているのですが、これもまたギャップを生むための巧妙な演出だったりします。


 ブツの出荷後に警察が工場へ突入するのですが、聾唖兄弟は見事な銃さばきと戦闘能力を発揮し、突入は失敗に終わります。この聾唖ブラザーズのキャラ造形もお見事。自分の持つ工場の爆発事故で妻を失ったミンに対し、弔いのため本物の紙幣を差し出して燃やすなど、義理に篤いキャラでもあるわけです。ゆえにミンの裏切りがこの兄弟にもたらす影響(憤怒)も、より強調されている。


 突入失敗によって計画が狂ったというわけではないのですが、警察に死者が出たことにジャン警部は激怒。ミンを警察署に送還しようとするのですが、ミンはビャオが操り人形に過ぎず、黒幕として香港の7人衆がいることを暴露。ミンは必死に死刑を免れようとします。


 ジャン警部はビャオを操る7人衆を引きずり出し、一網打尽に出来るのか!? そんなクライマックスです。


 心理戦・駆け引きが中心であり、現在の状況と公安側の目論見を説明する情報がやや少なめなので流れを追うのが難しい映画なんですが、緻密な展開と芝居の濃度は見どころたっぷりで目が離せません。バレるかバレないかサスペンスとしても非常に上質かつ斬新。


 そんな映画のクライマックスには、ジョニー・トーらしさが爆発する激しい銃撃戦が待ってます!! 尺は10分を超える長さ。ただ長いだけでなく、死が待つ緊張感も適度にキープしていて、ロジカルな戦術性も見られるし、とても良かったです。


 銃撃戦の主役はミン。警察を裏切り、周囲にいる捜査員の存在を7人衆に報せると、彼はひたすら保身のために戦い続けます。ミンが7人衆をけしかける姿勢を見た時は「いやいや包囲されてるんだから勝ち目はないだろ」と思ったのですが、後から考えるとミンは自分一人で逃亡することだけを考えており、必要とあらば恩のある7人衆をも簡単に裏切るのです。


 唐突に始まった戦闘はミンが女刑事2人を車でハネるところからスタートするし、場所は登校中の小学生が多数見られる小学校の前という、いやらしさも香港映画らしい。


 ハリウッドみたいな「撃っても撃っても当たらない」ではなく、「かなり当たる、けど死なない」というタイプの銃撃戦というのも、得物が拳銃だからこそリアリティがあります。


 そして車を障害物に使い、刻一刻とその位置が変動し、戦況も動いていく銃撃戦はジョニー・トー組にしか描き得ないレベル。見る価値ありますよ。


 オチはものすごく醜悪なのですが、ジャン警部の執念描写はたまらない味わい。確実に印象に残るであろう結末です。


 アクション映画というほど全編に派手さがある作品ではないのですが、オープニングのつかみ、構図の巧みさ、役者の芝居、クライマックスにこめたただならぬ情念など、素晴らしい要素がたっぷり詰まった香港ノワールの傑作と言えるでしょう。


 ジョニー・トー入門としても十分機能するであろう、オススメ映画です!