なんちゃって家族

なんちゃって家族を見ました。元のタイトルはWe're the Millers.レンタルDVDで。



http://wwws.warnerbros.co.jp/werethemillers/






馬鹿で下品なコメディなんですけどシナリオが鮮やかすぎて大号泣しました。近年のハリウッドコメディ映画の中でもトップクラスの完成度なんじゃないかと。



なんて、そんなに沢山映画見てないくせに断言しちゃうのは「こんなにレベルの高いシナリオがゴロゴロ転がってたら困るから」です!





あらすじを書きながら振り返りまーす。



マリファナ売人のデヴィッドは幅広い客層に支えられてそれなりに稼いでいたが、ある日大学の同級生と町でバッタリ再会。同級生は太鼓腹の中年オヤジと化していたが家庭を持って幸せそうだ。自由を謳歌する独身男デヴィッドを心からうらやましがる同級生。そんな彼と別れたデヴィッドは複雑な表情を浮かべる。



ストリッパーのローズ。アホな同僚と共に、アホな店長の元で働いている。ウンザリだ。



デヴィッドとローズは同じアパートの同じ階に住んでいる。ローズにちょっかいをかけるデヴィッドだが、いつも冷たくあしらわれている。



同じアパートの1階に住むケニー(18歳・アホづら)は親に見放されたネグレクト状態。デヴィッドにマリファナをねだるものの、「子供には売らない」といつも拒否されている。



デヴィッドと話していたケニーだが、アパートの前で3人のチンピラにからまれている女の子を見かけて無謀にも助けに入るのだが、簡単にのされてしまう。デヴィッドは仲裁に入りケニーを助けようとするが、チンピラの「おまえ警官か?」という問いに対し「違う。もっとイカしたドラッグディーラーだ!」とケニーが口をすべらせ、結果的にチンピラにマリファナと貯金を全て奪われる。



デヴィッドは元締めのボスの元に連れて来られて弁明するが許してもらえず、「メキシコでブツを受け取ってこい。そうすれば貸し借りなしで、さらに10万ドルやろう」と命じられる。承諾するしかないデヴィッド。



この序盤はかなりハイテンポで、別の言い方をすれば端折ってます。リアリティを疎かにしている面もあります。この作品の弱点のうちの1つです。しかしコメディとしての濃度はかなりのものなので初見では気にならない。



デヴィッドは突如命じられた密輸の方法について頭を悩ませるのですが(wikipediaで調べる間抜けっぷりが笑える)、あることをきっかけに「ニセの家族と一緒に旅行者を気取ればバレねえだろ!」とひらめきます。



もちろんこの展開には冒頭の「同級生との再会シーン」が前振りになってます。無意識のうちに抱いていた家族への憧れがあったんですね。



なぜかデヴィッドをリスペクトしちゃってるケニーはニセ家族になることに同意するものの(というか話を持ちかけられて承諾する場面すら描かれてないw)、母親役として目をつけたローズは報酬にもなびかずに破談。娘役として、ケニーが助けようとした家出パンク少女・ケイシーをスカウト。1000ドルでOKをもらう。



デヴィッドの申し出を断ったが、なりゆきでストリップクラブを辞めることになり、収入が途絶えてしまったローズ。投げ捨てた飛行機チケットを拾ってなんちゃって家族(Millers)になることを決意するのだった…



家族を装った密輸旅行というシチュエーションを整えるまでに要した時間は18分。ここからアホアホな大冒険が炸裂します。



空港を降り立ち、用意されたキャンピングカーに乗ってメキシコへ入国。麻薬組織のアジトで2トンのマリファナをすんなり受け取り。ここの流れがスムーズなところも含め、この映画が「無事に麻薬を届けられるのか」というハードル・障害にピントを合わせていない事がわかります。



もちろんスムーズな流れの中にはくだらないギャグがてんこ盛りで笑えるんですけども。



アジトを出た途端に一人の警官に呼び止められるシークエンス、この場面は笑いのネタとしては大きめ。「1000寄越すか、しゃぶるか」という酷い二択を迫られるんですが、デヴィッドとケニーの醸し出す空気が絶妙。こういうことを乗り越えて4人の結びつきは強くなっていきます。



再び国境を越えてアメリカに入ろうとする場面、ここはさすがにサスペンス性に満ちたシーンです。車には2トンのマリファナ。逮捕されればメキシコで25年の懲役…



ここで、デヴィッドたちの隣に並んだキャンピングカーに乗った、やたらとフレンドリーなフィッツジェラルド一家がデヴィッドたちにまとわりついてきます。家族とニセ家族がお互いに自己紹介すると、ケニーはフィッツジェラルド家のメリッサに一目惚れ。



ここから物語は密輸スラップスティックと、童貞ケニーの成長物語という2軸で描かれていくことになります!



スラップスティックとしては、バラバラの方向を見ていたニセ家族4人が「しつこいフィッツジェラルド一家」という障害に対してどうにか対処しようと一致団結するために辻褄&口裏を合わせるというところがポイントになり、さらにはそこに「マリファナをニセ家族に奪われた危険なディーラー」という別の障害がからんできます。



急ブレーキのせいで頭上のボックスから落ちてきたマリファナのパッケージをタオルでくるんで隠したら、フィッツジェラルド家に「まあ、赤ちゃんがいたの?」と勘違いされて。そのまま赤ちゃんがいるテイでウソをつき続けるところは大ネタのうちの1つ。このウソがどのようにしてバレるのかがすげえバカバカしくて笑えます。



ウソがバレないように辻褄を合わせるうちにニセ家族は連帯感を得て、お互いを理解し、情が芽生えていく。この構図が素晴らしいですね。



フィッツジェラルド家の旦那は冴えない中年おやじに見えて実は元DEA(麻薬取締局)の捜査官だったと分かり、さらに緊張感倍増。赤ちゃんだと言い張ってる物の正体はごっつい量のマリファナフィッツジェラルド家の妻はしきりに「赤ちゃん抱かせてね〜」とせがむ始末。笑えます。



ニセ家族のキャンピングカーが故障し、立ち往生しているとそこに通りかかるのは当然フィッツジェラルド一家。車はすぐに修理できず、ニセ家族はフィッツジェラルド家と一晩のキャンプを過ごすハメに。



ニセ家族のケニーはメリッサとかなりいい感じになっていて、キャンプをすると聞いて喜びを隠し切れない様子も描かれています。



キャンプではフィッツジェラルド家によるリサイタルだったり、「お題を絵で表現するゲーム」などが行われますがどちらも笑えます。ケニーが描いた絵に対してローズが「A penis! penisでしょ! でっかいDick! ほら、そこがタマで…」などと熱くなり、最後には「Black Cock Down!」と高らかに宣言。ほんっとくだらねえwww 最高です。



そんな催しの後、ケニーはメリッサとキスしそうな雰囲気になるも勇気が出ずにハグ。そのまま別れてしまう2人。それを覗き見していたニセ家族はやきもき。童貞ケニーに色んな助言を与えます。これがクライマックスの伏線になってます。



というかここで張られた伏線がクライマックス前で一旦回収され、さらにデカい伏線につながっていくのです。その技術には心底感心しました。コメディとはいえ、ものすごい高い目標を持って書かれたシナリオだと思います。



車のキーを盗み出そうとテントに忍び込むシークェンスはとにかく笑えるし、キスできずに落ち込むケニーをケイシーが慰めるくだりはバカバカしくも圧倒的なフレッシュさがあって凄いインパクトでした。



フィッツジェラルド家と別れて一安心し、自動車修理工場にやってきたニセ家族だったものの、そこには追ってきた麻薬ディーラーが待ち構えていてピンチに。一家のあの人による大胆な発想によってなんとか切り抜けます。



一難去ってまた一難。逃げる際のドタバタでケニーがタランチュラにタマを噛まれ…大事なことなのでもう一度書きますが、ケニーがタランチュラにタマを噛まれ、陰嚢が大きめのアボカドサイズに。ペニスを露出してもボカシがかからない映画という意味でこの作品は非常に価値があるのかもしれません。もちろん作り物のペニス&陰嚢なんですけど、3カットくらい寄りの画で見せるから凄いよなあ。



帰路を急ぎたいニセ家族は病院に足止めを食らいます。そこで登場するのがスコッティPというチャラい馬鹿男。病院の待合室にいたケイシーはそのスコッティPといい感じになります。ものすごく非常識なことをしているニセ家族よりも、さらに非常識なキャラクターを放り込み、笑いを生み出しています。スコッティPの決め台詞「Know what I'm saying?」はギャグとして秀逸。



しかし笑いのためにキャラをぶちこんでいるのではなく、メインキャラクターたちの人間性を浮き彫りにしたり、そこを伏線とした大きな感動を生むために駆使しているんですよ。本当にお見事。



スコッティPにべた惚れしちゃってるケイシーを見たローズは「ちゃんと考えて付き合いなさい!」とイライラ。これはつまり、ニセ家族相手でも隠し切れないローズの母性本能が描かれているし、ローズ自身が男選びで失敗している過去も表現しているんですよ。



マリファナの配達期限が迫っているためにデヴィッドは焦ります。ケニーが退院した直後、彼が乗る車椅子を押しながら全力ダッシュ。ケニーは車椅子から放り出されて転倒。そんなデヴィッドを見たローズは彼を非難しますが、返す刀でデヴィッドはもらえる報酬の総額について口をすべらせ、3人からの信頼を失います。



責められたデヴィッドは一人でキャンピングカーに乗り込み、密輸仕事を終わらせようと車を走らせます。残された3人は独立記念日を祝した花火大会の会場でバラバラに。



ケイシーは話し相手にスコッティPを呼び出すものの、唐突にキスしようとしたスコッティに困惑。それを見かけたローズが激怒しながら割って入ります。目の色を変えたスコッティの前にケニーが立ちはだかり、デヴィッドに教えてもらった「勇気の出る方法」=「3つ数えて踏み出す」を実践しようとするのですが、その前にローズがスコッティをぶん殴ってKO。



この場面がクライマックスでの超すんごい切れ味の伏線回収につながります。



置いてきぼりにされた3人のニセ家族の前にデヴィッドが現れ、改心した事をアピール。その姿を見たローズは土下座を強要するのですが、このくだりもかなり面白い。



合流して再出発しようとしたところ、ニセ家族の前に三度登場するフィッツジェラルド一家。別れてからとある理由でメリッサに誤解されていたケニーは必死に弁明しようとするあまり、自分たちがフェイクの家族であること、メキシコで仕入れたマリファナを運んでいることを告白してしまうのです。その告白の直前にも笑いの伏線回収があったりして、かなり周到なシナリオを堪能できるのですが。



緊張感が走る2つの家族の前に、麻薬ディーラーが登場。メリッサが人質に取られて大ピンチ! クライマックス!!



銃を向けられたニセ家族をかばうためにデヴィッドが「悪いのは俺だ。彼らは巻き込まれただけだ」と言いながら、ケニー、ケイシー、ローズの人間性を褒め称えるんですね。ここも十分に感動的。あんなにいがみ合っていたのに本物の家族以上にお互いを思いやっている。泣けますね。



そしてこのピンチ、2つの家族が協力して切り抜けるわけですが、最終的に片をつけるのがヘナチョコ童貞野郎ケニーなんですよ。



メリッサが目の前で瞳を閉じてもキスすることが出来なかったケニーが、スコッティと対峙した時に殴るのをためらってしまったケニーが、



躊躇することなくディーラーをぶん殴りノックアウト! そして間髪入れずにメリッサを抱きしめてキスするのです!



この切れ味が超最高! たった数秒で見せつけるケニーという少年の成長の跡!! あれもこれも伏線だったと理解した瞬間の爆発的な感動!! 涙が流れるというよりも涙腺が破裂する勢いで泣きました



フィッツジェラルド家との折り合いはどう付けるか、そして密輸ミッションを命じたボスとの関係がどうなるか、そして4人の関係は…といった部分に関しても素晴らしいオチを付けてくれて、シナリオの整い方については圧巻としか言いようが無かったです。今年見た映画でもトップクラス。



弱点があるとすれば、前述の「序盤の端折り方」、そしてメキシコの麻薬組織がショボすぎない? って点くらいですね。どちらもリアリティ面でのいちゃもんなので、コメディ映画でそこを突くのは野暮かと思います。クライマックスの圧倒的なキレを見せられたら文句は付けられません。弱点を改善したところであれ以上の感動につながったとは思えないし。



伏線を張って回収するという技術が一番映えるのはコメディなんだなと理解するに至った素晴らしい映画でした。何度見ても泣けるという意味ではソフトを絶対に入手しなくちゃいけません。



感動の根源が童貞の成長物語という部分に因っているため、女性には共有しづらいかもしれませんが、多くの人に見てもらいたい優秀なコメディ映画でした。童貞と、かつて童貞だった連中は必見の映画ですよ!!



余談ながらクライマックスの感動はキム・ギドク『うつせみ』のラストカットを見た時の大号泣に匹敵します。あれも自宅で一人DVD見ながらの涙だったなあ…

ベイマックス

ベイマックスを見ました。2014年12月23日、ユナイテッド・シネマとしまえんにて。

http://www.disney.co.jp/movie/baymax.html






 工作・工学の天才少年・ヒロは、自分の才能を活かす場として、違法なロボットバトルでの賞金稼ぎを選んでいた。いかにも強そうなロボットを相手に、ヒロのロボットはまったく強そうに見えない奇妙な形状。初戦は一撃で破壊されたが、賭け金を上げた2戦目で本領発揮。本体が3つに分離して相手ロボットにまとわりつくと、完膚なきまでに破壊。

 この自作ロボットバトルという題材は80年台のコロコロコミックなんかで見られた、未来的でありながらもノスタルジックな世界観を感じさせるのですが、アニメーションとしてのフレッシュさは流石。

 勝利で大金を得るも、警察に踏み込まれててんやわんや。バイクで駆けつけた兄と共に派手なカーチェイスを見せます。ここもスピーディで楽しかったですね。

 ヒロの兄・タダシもまた工学を学ぶ学生。弟・ヒロの行く末を案じ、自分が通う大学へ連れていく。「単なるNERDの巣窟だろ?」と馬鹿にしていたヒロだったが、各自が自由な発想と豊富な資金で研究に没頭する姿に感動。

 タダシは自分の研究として介護ロボット・ベイマックスを披露。人の状態を感知し、1万通りのケアを施す機能を持つという。校舎を出る頃には「僕もこの大学に入る!」とすっかり心変わりするヒロ。

 ヒロは試験に合格するために独創性の高い発明を完成させることに没頭。アイディアが浮かばず壁にぶち当たる描写もきっちりあって、ただの天才物語にしない構成上のクッションも入ってます。タダシと共に生み出した研究成果を持って大学の入学試験へ。

 ヒロの作品は指先ほどに小さいロボット=マイクロボット。無数のマイクロボットを、頭に装着した発信機によって自在にコントロールし、様々な形の立体物に変形させてみせます。このシーンはLEGOムービーで小さいブロックが圧倒的なボリュームのアートになっていく様を見ているかのような感動を覚えました。

 発表会は大成功に終わり、ヒロは大学入学を認められるのですが、コンベンション会場で大規模な火災が発生。恩師である教授を助けようとタダシが建物に入って間もなく、大爆発が起きてヒロは吹き飛ばされます。

 肉親を失い、大学どころじゃなくなるヒロ。食欲さえ失って自宅でひきこもっていると、ふとしたきっかけで部屋にあったベイマックスが起動し、収納ボックスの中から表れます。ここの可笑しいやりとりは予告編でも見られますね。ベッドの脇からピョコピョコ歩いて出てくるところで、「行きすぎて戻る」という描写があったのに感心しました。

 ベイマックスはヒロの状態を気遣い、問診によるケアを開始。嫌がるヒロだったがベイマックスのペースに飲み込まれ、ツッコミ役になっていきます。「スキャンを開始します」「スキャンするな!」「スキャン完了しました」というハイテンポ漫才のようなボケは、のちに天丼として再び登場。さすがはディズニー、笑いも上質。

 ベイマックスは、ヒロの部屋にある1体のマイクロボットが部屋を出てどこか別の場所へ向かおうとしているのを発見。ヒロは「ただの故障だ」と無視するのですが、ベイマックスは単独でマイクロボットの目指す場所を探すために家を出ていってしまいます。

 ヒロの静止の声も届かず、ズンズン突き進んでいくベイマックス。2人によるコミカルなチョイスシーン。日本テイストを端々に感じさせる街並みも美術のきめ細かい仕事が光ります。

 ベイマックスはやがて寂れた廃工場に辿り着く。そこには火災でオシャカになったはずのマイクロボットが大量生産されていた…1度訪れて空振りだったけど2度目でマイクロボット発見、という流れだったかも。そこは記憶曖昧ですが。

 まあとにかく、ヒロはその工場で自分の発明であるマイクロボットを発見し、そのマイクロボットを自在に操る歌舞伎風の仮面を付けた謎の人物に襲われ、なんとか逃げ延びます。ベイマックスは電池が切れるとなぜか泥酔したかのような状態になるのも面白いですね。この電池切れ描写は後半の山場にも使われるかと思ってたんですが結局なかったなあ。

 自分の発明を奪い、意図的な火災で兄を奪ったであろうにっくきカブキマンに復讐するべく、ヒロはベイマックスのバージョンアップに着手。プヨプヨ風船ボディをアーマーで覆い、ロボットらしいロボットに改造するのですが、肝心の知能は相変わらずゆるゆる。ボケ役として最後まで活躍します。

 あらすじを書くのはこの辺で止めておきます。

 この映画の元タイトルBig Here 6が表しているように、ロボットを操る少年の物語というより、日本のお家芸「戦隊ヒーローもの」をベースにしてるんですね。「そこ」に至るまでの展開がうまいなぁと思いました。

 兄の死を受け入れられずに落ち込むヒロへのケアとして友人にコンタクトを取るベイマックス。ヒロとベイマックスのピンチに、コンタクトを受けたタダシの友人たちが駆けつけ、ゴーゴーという女キャラが運転する車で逃走。ヒロの窮地を知った友人たちは彼に協力するため、各々が得意とする研究を武器にしたヒーローとなることを受け入れる。

 うまいなぁ、って感じで「絶妙!」とまでは感じないんですけどね。

 個性的な人間性、個性的な能力。日本の戦隊ヒーローものでさえ見失っている要素をしっかりクリアしているシナリオは流石だなーと。

 ベイマックスは真っ赤な装甲を装着。足からのロケット噴射(燃料はなんなんだ)で空を飛ぶ姿は鉄腕アトムを、唯一の攻撃方法であるロケットパンチマジンガーZからのインスパイア感を漂わせます。和製ロボットアニメの歴史をきっちり抑えた造形なんですね。

 ヒーローになり、悪役を倒すべく奮闘…という展開は割と王道的というか意外性は感じなかったです。ベイマックスの存在がバレてはいけない!というサスペンス性は早々にうやむやになるものの、悪役に挑んで敗北し、再挑戦しての勝利。意外性に走らず、クライマックスを盛り上げるために必要な前振りをしっかり積み重ねるシナリオです。

 クライマックスでボスを倒した後にさらなる問題が発生し、ヒロはベイマックスと共にその問題に立ち向かうのですが、ここのヒロの心理は序盤でタダシが命を張って人命救助に向かったのが伏線になっていて「あーこの後絶対泣くわー」と予感。

 ところがその第2クライマックスでとんでもない号泣喚起ポイントが盛り込まれていて、まんまと泣かされました。その「ポイント」とは、ロボットであるベイマックスの自己犠牲描写。ロボットもの映画を見てるという意識を持っていれば容易に予想できたはずなんですけど、ベイマックスの天然ボケキャラでそういう展開を予感させまいとするテクニックに負けました。

 そしてそのベイマックスの自己犠牲がロケットパンチでヒロ達を生還させる」という方法で描かれていたのに驚愕。ロケットパンチというネタをこういう形で感動に結びつけたハリウッドの発想に脱帽。もちろんそれだけではなく、ベイマックスがケアを目的としたロボットであるという背景もしっかり生かしていて、とんでもなく感動的なクライマックスでした。涙が瞬時に流れ落ちました。

 そしてエンドロール直前に初めて表示されるタイトル"BAY MAX"! 本来は"BIG HERO 6"と表示されるんでしょうが、そんなのは些細な違いであって、そのタイトルの出し方、タイミングにこれまた大号泣。見事な畳み掛けっぷりでした。

 発明少年が巻き起こすスラップスティックという構図は『くもりときどきミートボール』を思い出しましたが、伏線回収の鮮やかさはあの名作に匹敵していると思います。チームメイトの武器がクライマックスで「こういう風に生きるのか!」と感動しました。

 ベイマックスだけに留まらず、全てのキャラクターが深みを持っていて役割分担が出来ているのも見事。女性キャラはクール&キュートの2パターンを用意し、ベイマックスとは違うタイプ(怪獣マニア)のボケ役も用意。主人公の成長もちゃんと描いてます。

 ベイマックスの飛行シーンを堪能するためにも、3D上映や4DX上映での観賞をオススメします。子供や女性向けの癒やしに終わらず、日本男子のハートを奮い立たせる燃え展開もしっかり完備した素晴らしい作品です。オススメ!!

ゴーン・ガール

ゴーン・ガールを見ました。2014年12月12日、ユナイテッド・シネマとしまえんにて。

http://www.foxmovies-jp.com/gone-girl/








 完璧、フィンチャー最高傑作、と絶賛の声が鳴り止まない作品です。





 結論から言うと…完璧と評するには距離がある、少なからず弱みのある作品だと思いました。

 ネタバレガンガンしながら主な不満点を中心に書きますよ。この記事書いてたら3回くらい「戻る」押しちゃって消えまくったので大雑把モードでーす。

 エイミーは夫への復讐として、「自分は夫に殺されました」という証拠を大量に残して蒸発するという手段を選びます。離婚でもなく、殺害でもなく、法の力(死刑)で夫を殺すという画期的な復讐。

 雑に拭き取られた血痕、友人の証言、オンラインに残る買い物履歴、夫の指紋が残った凶器、そして夫に怯える日々を綴った日記帳。綿密で、警察の疑惑の目を夫に向けるためにやれることは全てやっています。

この証拠の捏造っぷりは立派なんですけど、その証拠を第三者にも気付いてもらうため、夫へ向けた「ヒント」(メモ)を残してるんですね。このヒントは物語の牽引力にもなっているんですけど、ミステリとしての物語を展開させるためのアイテムとしては反則だと思うし、興ざめしちゃったんですよ。

 第三のヒントを読み解き、妻の復讐に気付いたニックなんですけど、あの「無駄遣いの山」を見て放置した理由がよく分からないんですよね。これを見られたらヤバい、さらに自分への疑惑が濃くなるって気付いてるはずなのに何も手を打たないから、エイミーによる通報でそのまま警察に発見されてしまってる。別にその展開はいいけど、せめてニックにアクションを起こさせてほしい。

 エイミーも、完璧なタイミングで通報したみたいになってるけど、納屋を調べた時にニックが撤去して既に何も無い可能性だってあるしなあ。失踪しておきながらそこまで完璧に全てをコントロールできると考える、そしてそんな浅はかなエイミー(作者)の思い通りに展開していく物語そのものにずっと首をひねってました。

 コテージ暮らしのエイミーがロクデナシコンビによって計画をつぶされるところも、物語を動かすためには必要なんだろうけどエイミーというキャラクターの完成度がドンドン下がっていくのを見せられているようで気持ちよくない。

 計画変更を余儀なくされたエイミーは、かつて自分に惚れていて、結果的に裁判沙汰に追い込んだ男・デジー・コリングスと連絡を取って、ひとまずの隠れ家を得ます。当然その男はエイミーへの鬱屈した愛情を爆発させ、全てを与えながら束縛しようとする。

 このあたりからエイミーの感情が見えなくなります。ニックをハメて逃避行して以降はすごくイキイキしていたエイミーが何を考えているか分からなくなる。演出としてそこにフォーカスしなくなるんですね。それも、その後のエイミーによるコリングス殺害の衝撃を引き立てるためなのかと思うと、上手いなあというより逃げに見える

 そして大量の監視カメラによって全てを見られていたはずのエイミーが誰にも疑われない形での殺人を遂行できたとは思えない。虐待やレイプを訴えたところでそれらの証拠は無いし、カメラ動画をそれっぽく作り上げたように描かれてるけど、カメラの死角を突く完璧さみたいな部分は描写として中途半端で、行動の衝撃度だけで押し切ってるように見えるんですね。

 エイミーは結局元の鞘に収まって、嘘と欺瞞に満ちた夫婦生活を送る事を選ぶ。ニックもそれを拒む理由が見つけられず、夫婦生活のリアリティを観客に突きつけて物語は終わる。

 ニックと再会してからのエイミーも、どこかスッキリして全てやり遂げたようなクールな立ち振る舞いに終始していて納得できないんですよね。もう少し演技の幅を持たせてあげてもいいんじゃ? リアリティよりも不可解さや嫌悪感を抱かせることを選択した演出に見えて、そういう演出スタンス自体に嫌悪感を抱きました。

 ミステリの運び方としてどうしても上手くないと感じたし、ショッキングな展開を選択したエイミーというキャラクターにも魅力を感じない。これじゃあ自分の中で高く評価できるはずもなくて。原作ってミステリ界でどれくらい評価されてるのかなあ。

 ロザムンド・パイクの芝居は面白いですけど後半の人形みたいなキャラはどうかと思うし、瞬間的に男を騙そうとする勝負どころでは笑える芝居見せてくれるんですけど、凄い女優を見たなあ!って感触は無かったです。

 最後になりましたが、ニックとエイミーの最初のベッドシーンがクンニから始まったのは感動しました。以上です!

フューリー

フューリーを見ました。2014年11月28日、ユナイテッド・シネマとしまえんにて。



http://fury-movie.jp/



デヴィッド・エアー監督、出演はブラッド・ピットマイケル・ペーニャシャイア・ラブーフなどなど。



デヴィッド・エアーといえば現代アメリカを舞台にした犯罪ものを得意とする映画人。先日レビューした『サボタージュ』はモロにそういうタイプの作品でした。



フューリーは第二次世界大戦を舞台にした作品で、デヴィッド・エアーにとっての冒険といえるでしょう。しかしこの人、元アメリカ海軍の軍人らしく、初めてハリウッド作品に関わったのも戦争映画『U-571』だったりします。



ちなみにU-571って母親が応募して当選した試写会で見たんだよなあ。「面白かった」という感触しか残ってないけど。





フューリーを振り返ります。



第二次世界大戦を終わらせるべくドイツ国内に侵攻しているアメリカ軍。双方の消耗は激しかったが、戦況はほぼ決したと言って良かった。それでも末端の兵士たちは戦い続けなければいけない。



小隊?中隊?に所属する戦車がことごとく大破し、生き残ったのは自分たちだけとなったFury号の面々。家族のように結びついていた5人のうち1人は死亡してしまった。車長であるウォーダディ(ブラッド・ピット)は残りの3人を鼓舞して士気を取り戻させようとする。



なんとかキャンプに辿り着くがすぐさま次の指令を受ける。死んだ副操縦士の代役も即座に補充され、彼らに休息するヒマはない。



新たな副操縦士は戦闘経験すらなく、特技はタイプライターという若造・ノーマンである。Fury号の面々にとっては前任者の死も代役の未熟さも受け入れがたい現実であり、それぞれがゴネるものの、ウォーダディは彼らを叱り飛ばす。このノーマンへのリアクションでそれぞれのキャラクターを描く手腕も流石です。



ここで印象的なのは、冷静で職務に殉ずるウォーダディが新任ノーマンの顔(若さ)を目にした時に見せる困惑の表情。



「次に俺が受け止めなければいけないのはこの男の死と、それを全力で回避する責任なのか?」



そんな慟哭が聞こえてくるかのような苦渋の表情。さすがはブラッド・ピット。この芝居だけで物凄い説得力が生まれていました。



ヘタレ丸出しのノーマンの視点は現代という名のぬるま湯に浸かった我々の視点でもあります。トレーニング・デイinWW2といったところでしょうか。現代人にとっての非日常的光景が戦時の日常。Fury号内部の掃除を命じられたノーマンは前任者の遺体の一部を発見して半泣き。この辺の描写のいやらしさは、エアーならではの踏み込み。



フューリー公式ページには「4大バトル」と題して、今作における戦闘シーンがまとめられています。これまで自分が見てきた戦争映画というと歩兵が苦労して泥と血にまみれながら生き続けるものがほとんどでしたが、今作のように戦車が戦闘にしっかり参加している戦争映画は初めて。戦車戦という構図が過去のものとなり、トレンドから外れたということなのでしょうけど、デヴィッド・エアーはそこに勝機を見出したんですね。



「4大バトル」その1は、特定のポイントで戦っている歩兵部隊を援護するために戦車隊が駆けつけるというシチュエーション。



しかし実際は、その現場に到着する直前に待ち伏せにあって戦車が一両大破します。パンツァーファウストという対戦車手投げ兵器で先頭にいた戦車が焼かれ、乗員が焼死。すかさず降車したウォーダディらは自動小銃を手にして敵兵を撃ち殺します。最初の戦闘シーンが降車しての射撃ってところが意外性ありました。しかし観賞メモには「メリハリがない」って書いてあります。画的にメリハリを感じなかったってことですかね。



最初の戦闘を経てノーマンは自分が殺し合いの場にいること、自分も人殺しにならなければいけないことを学びます。常にノーマンを正しい(あるいは誤った)道へ導くのがウォーダディの役目。父性の復権を描いたエアーにはどのような意図があったのでしょうか。



歩兵援護の戦闘シーンは戦争映画ならではの迫力と臨場感に満ちていて、そこに圧倒的な火力を誇る戦車が加わることで新鮮味と爽快感がプラス。乗員5人がどのような役割分担の上で戦車を駆使しているのかをしっかり表現しています。



「4大バトル」その2は町を制圧しようとした戦車隊が反撃を受ける。この戦闘はいまひとつインパクトに欠けた気がします。奇襲を受けた瞬間のショックを強調したいだけでフレッシュなアクションは無かったかなあ。記憶曖昧ですけど。



この辺りの展開は町というシチュエーションが大事なのであって、アメリカ軍人によるレイプ描写などを盛り込むためにタメとしての戦闘シーンがある、みたいな印象です。



レイプ描写とはいってもドイツ人女性には抵抗する様子がなく、悲壮感を強調しようとする意図はまったく感じられません。それが逆に客観的にも見えるし、ドラマ性の弱さにも見えます。



とある一軒家に入ったウォーダディとノーマンは母親によって匿われた一人の娘を発見。ウォーダディはあくまでも紳士的な態度で母子に接し、戦時中ならではの非倫理的な行動に出ようとはしません。



その流れでノーマンはドイツ娘と結ばれます。そんな2人と対になる形で、ドイツ母のもてなし(紅茶)を受けるウォーダディ。この4人は束の間の家族関係を構築しているように見えるのです。この場面の静謐さはとても印象的であり、「ああ、これがやがて決定的に崩壊するんだろうなあ」という予感も覚えました。



事を済ませたノーマンとドイツ娘。4人は食卓につき、ささやかな朝食を摂るのですが、ここでFury号の乗員たちが闖入。家族のような関係性ははかなくもかき消されます。Fury乗員たちの下衆い態度、敵国国民の人権を無視した態度には、戦時における心理の歪みがしっかりと投影されています。



この映画の面白いところは、こういう「人としてすべきでない行動」を背負っているのが全てアメリカ軍側の人間であり、対するドイツ/ナチスの行為には悪意や非道性がまったく盛り込まれていないところです。むしろドイツ人はアメリカの侵攻に必死に抵抗するだけの存在。



ここにアメリカ人が作る戦争映画としての新しさがあるように思います。逆に言えば主人公たちが倒すべき存在に悪役的な色合いが無い分、カタルシスが得られないという弱点につながっていて、作品への評価が伸び悩む要因ともいえるでしょう。



しーかーし、「4大バトル」その3、アメリカ軍シャーマン3両 vs ドイツ軍ティーガー1両の戦車戦の圧倒的な緊迫感は誰が見てもスリリングでアクション的な快感を得られる名場面だと思います。



ティーガーは、総重量・サイズ・装甲の厚さ・主砲の威力…いずれもシャーマンを遥かに上回るスペックの戦車であり、驚異的な性能と戦績を残していたそうです。当時のアメリカ軍は対抗できる戦車を開発できずシャーマンの大量生産でなんとか抵抗。数の暴力で制圧するしか無かったのですが、その戦略には犠牲者がつきもの。



このシーンでも1両のティーガーに対して3両のシャーマンで応戦するのですが、シャーマンの主砲はタイガーの厚い装甲の前に無力であり、逆にティーガーの主砲はシャーマンを一撃で大破に至らしめる。まさに絶望的な差なのですが、それでも逃げるわけにはいかない。ティーガーの凄みを目の当たりにして「Fuckin' Beast!」とわめきながらも戦うしかないのです。モンスターパニック映画なのに、戦わざるを得ない絶望感とでも言いましょうか。



ウォーダディ率いるFury号も主砲をひたすら撃ち続け、恐怖の権化たるティーガー、そして死の予感と戦います。この戦闘の勝敗を分けるロジックが明快で、とても気持ち良かったです。一撃必殺の主砲が自分たちの乗った車両を捉える恐怖感はものすごいですね! この描き方はおそらく前代未聞でしょう。



この戦闘があまりにも素晴らしかったがゆえに、「4大バトル」その4が不完全燃焼に見えてしまっているかもしれません。最後の戦闘シーンはFury号のキャタピラが破壊され移動することが出来ない状態で行われるために、戦車vs戦車の新鮮さには及ばないんですよ。アクションのアイディアは沢山あるしドラマチックな死にっぷりもあるんですけど、やや冗長で散漫。ドイツ兵がすごく間抜けに見えて残念なんですね。



しかし、「十字路で地雷を踏んで動けなくなったFury」「でもその場に残って戦おうとするウォーダディ」その姿を見ていると、ウォーダディという男がなんのために戦ってきたのかが分かるような気がするんですね。つまりウォーダディは死に場所を探していたんじゃないかと。アメリカの勝利のためではなく、何のために生まれたのか、なぜ自分がそれまで死なずに生き長らえたのかを確かめたいがために、無謀な戦いに身を投じたのではないでしょうか。



十字路という場所に縛りつけられたFury、それに己の身を捧げ、殉ずることを選ぶウォーダディ。とても宗教的な意味合いを感じる表現なんですよね。こういうテーマ性を盛り込むデヴィッド・エアーはやはり只者ではないと思いましたよ。



ところどころ斬新で、独自の切り口で描いてみせた戦争映画。グロ・ゴア描写もけっこう踏み込んでますし、かつてない臨場感の戦車戦はとにかく必見! 戦争の意味を考えなおすのに十分な一本だと思いまーす。

インターステラー

インターステラーを見ました。2014年11月23日、ユナイテッド・シネマとしまえんにて、IMAX2D版を観ました。



http://wwws.warnerbros.co.jp/interstellar/



フォロウィングメメントインソムニアバットマンビギンズ、プレステージダークナイトインセプションダークナイトライジングを生み出したイギリスの貴公子(?)・クリストファーノーラン監督の最新作です。



その人の監督作を全て観賞した映画監督って数えるほどしかいませんけど、ノーランはそんな監督のうちの1人ですし、チルの8歳年上だからか、映画への希望を託せる世代の映画作家なんです。



そんなノーランの最新作『インターステラー』は宇宙に新たな物語のネタを求める意欲作で、危機的状況に陥った地球を救うために宇宙へ旅立つ人類の物語なのです。日本人としては『宇宙戦艦ヤマト』を連想しなくもないですね。ノーランはヤマトを知らないそうですが。



予告編は、主演のマシューマコノヒーと娘の別離を重点的に描いたエモーショナルな構成になっており、今の映画界がマコノヒーに大きな期待を寄せている事が分かります。といっても海外版の予告編がどんな構成かは知りませんけど。



予告編で「ベタな感動物語ですな」と予測した観客の期待値ハードルが低くなってるのが良い方向に転がってるのかもしれません。







映画の冒頭は、老人たちがかつて若かりし頃に体験した食糧難について回顧するインタビューの場面を描いています。この描写は後の伏線になっていてドキッとさせられるのですが、このシーンには元ネタとなる実際のインタビュー映像があるそうです。



マシューマコノヒー演じる主人公クーパーは息子トムと娘マーフィ、義理の父ドナルドと共に生活している。砂嵐の影響でエンターテイメントやテクノロジーは失われ、人々は明日の糧を得るのに必死な毎日を送っている。



ある日、二人の子供と共にドライブ(目的は失念)していると、空を飛び続けるインドの無人偵察機を発見(インドってところがSF的)。車で追いかけ、ハッキングした上で回収することに成功する。このシークエンスによってクーパーの科学的知識が観客に提示される。事前にあらすじを読んでいる観客にとって、クーパーが元宇宙飛行士(実地任務は未経験?)であるという情報は既に把握しているところなのですが、こういう自然な表現でそれを伝えられるのは何気に凄い。そして序盤の段階で、高く生い茂る畑の中を4WD車両で突き抜けるというダイナミックな映像体験を盛り込めるのは流石ノーラン。



無人偵察機を入手した後は娘の学校へ行って担任教師と面談。このシークェンスでは「科学技術というものが二の次・ないがしろにされている現状」「ただものでないマーフィの才能」を伝えています。「アポロ計画プロパガンダ目的の捏造だった」という説がこの時代の常識になっているのです。そしてそんな時代の中でジレンマを抱きながら生きているクーパー。



その後、「非科学的な何者か」が起こした重力異常によって地図上のとあるポイントに誘導されるクーパー。そこに辿り着くと強烈な光を浴びせられて気絶。目覚めると目の前には美女(アン・ハサウェイ)。そこで彼女の父親でもあり、かつての恩師でもあるブランド教授(マイケル・ケイン)と再会。教授は「ここはNASA本部だ」と告げる。



この展開、燃えるじゃないですか! 絶望の中に見出す希望。NASA本部に辿り着くだけでドラマになる、そんなシチュエーションを周到に準備する。素晴らしい。



NASAスタッフはクーパーがなぜこの場に辿り着けたのか疑問を持つものの、宇宙飛行士としての経験を持つクーパーに頼らざるを得ない。公の活動は出来なくなっていたNASAだったが、滅び行く地球に代わる新たな惑星の調査を続けていた。人類の未来は地球を諦めること以外に無かった。



クーパーは考えるまでもなく、どん詰まりの生活を捨てて人類の救世主になりたいと願った。しかし問題は家族。自活の出来ない2人の子供を義父に任せなければいけない。息子のトムは納得したものの、娘のマーフィはすねてしまい、クーパーの言葉に耳を貸さない。マーフィは「ほら、幽霊だって『STAY』って言ってる!行っちゃダメ!」と懇願するものの、クーパーは宇宙へ旅立つことを選ぶ。二度と子供たちに会えない事を覚悟して。



まあ、このシーンがググッと胸に迫るのはマシューマコノヒーの熱演があったからでしょう。もちろん子役の芝居も良いですが。今年のアカデミー賞主演男優賞を獲得したマコノヒーさんですが、もう2〜3年は引っ張りだこでしょうね。アカデミー賞を獲る前まではインディーズ系の質素な作品を中心に出演していましたが…この人の芝居をハリウッドがほっとくわけない。



娘の慟哭を背に受けつつ、泣きながら我が家を発つクーパー。車を運転する姿にオーバーラップする、ロケット発射カウントダウンのアナウンス音声。こういう大胆なつなぎ方もいちいちカッコいい。



クーパーと共に地球を去るのは3人の科学者。アン・ハサウェイも同乗。そして2体の人工知能搭載ロボットTARSとCASEがクルーとして参加。



このロボットの存在が…効いてる! ガジェットとしてものすごく新鮮な挙動を見せるし、クルーたちを助けるサポート役としても頼れるのですが、それ以上にコメディリリーフとしての役割が大きい! ロボットのクセにジョークを連発し、間の良い笑いを生み続けて終盤まで大活躍! ただの硬い物語に終わらないのはこのロボットたちがいたからでしょう。



ちょっとロボットたちが美味しすぎる気がしないでもないですけど。



宇宙船エンデュアランスは、ワームホールをくぐりぬけて有望な惑星に辿り着いた3組の先行調査チームが送信する情報のうち、可能性が高いと思われるものを選んでその惑星を目指す必要がある。



ワームホールとは太陽系の宇宙と別の宇宙(恒星系?)を結ぶトンネルのようなもので、それを創り出したのも、人間とは別の意思を持った生命であると考えられる。この映画で、現代の実写映画ならではの"ワープ"描写が見られる感動も、現状の人類が宇宙に対する興味を失いつつあるからこそ輝くとも言えるでしょう。



最初の惑星に辿り着いたクルー。そこは浅い水深の海が視界のすべてを包み込む世界。発信機の信号を頼りにデータを回収しようとするが、そこに襲いかかるのが遠くに見える山々と思われたバカでかい津波。ここでアン・ハサウェイ演じるアメリアを救うのが、ロボットのCASE。ぎこちなく歩いていた彼が走りだす描写には、どんなに鈍感な人でもフレッシュな感動を覚えるでしょう。



CASEは頑張ったものの、アメリアと共に降り立ったドイルが波に飲まれてしまう。ドロップシップのエンジンが故障し、修理に時間がかかる…「早く直さないと次の津波が来てるぞ!」 この辺のスリル描写は流石ノーランです。ドッキドキの中でなんとか脱出成功。



第一の惑星はブラックホールの影響を受けていて、その惑星で過ごす1時間が7年間になるという、逆ウラシマ効果が発生。探索チームの帰りを待ち続けたロミリーは、23年もの年月を重力理論の研究に費やしていた…



なんだかんだ言ってこの辺の展開もやっぱりフレッシュで。こういうシークェンスに感動できるかどうかっていうのは、科学的な理論が理解できるできないって問題じゃなく、23年間もひたすら待ち続ける男の心情を想像したり、23年分の時間を使って何一つ得られなかった人間に去来する虚無感とかをイメージできるかどうかに掛かってると思うんですよね。



ここで23年の歳月の意味を理解させるため、地球から送られてきたビデオメッセージをクーパーが見るシーンが入ります。歓喜と絶望と悲しみと…様々な感情を一気に味わってむせび泣くマコノヒーの芝居は素晴らしいです。しかしこの場面のチルは、大人になった息子トムと娘マーフィを演じている役者のキャスティング自体にとても感動させられました。



大人マーフィを演じているのは、ジェシカ・チャスティン。『ゼロ・ダーク・サーティ』でビン・ラディンを追い詰めた女性CIAエージェントを演じてアカデミー賞主演女優賞候補になった人です。そして大人トムはケイシー・アフレック!! 傑作サスペンス『ゴーン・ベイビー・ゴーン』で主演した渋い若手俳優です。ベン・アフレックの弟。高い声で淡々と語る芝居はとても印象的。この2人の登場は最高にエキサイティングでした。



ここから映画がかなり様変わり。宇宙を冒険するクーパーと、地球に残って父の帰りを待つマーフィが交互に物語を描いていくのです。この構成は大胆で、意外性がありました。マーフィパートに無駄が無かったわけではないですけど。



最初の惑星探査が失敗に終わり、残る選択肢は2つ。残りの燃料を考えるとどちらか一方の惑星にしか行けない。どちらにすべきか? 3人の宇宙飛行士による議論。ここにもしっかりしたドラマがあり、それを引き立てるジレンマを盛り込むノーラン(兄弟)のシナリオワークが光るんですよね。論理が情を上回る冷酷な瞬間。(そしてそれがひっくり返る終盤の展開!!)



1つの諦めを経て2つ目の惑星に到着。どこもかしこも氷で覆われた惑星です。そこで待っている先行チームはキャンプを展開している。生存者はただ一人。天才と評されていたマン博士。コールドスリープ装置の中から覚醒する彼の姿はまさかの…



ここで本当のサプライズキャスティングが来るんですけど、なぜここにインパクトがあるかと言うと「マン博士は誰が演じているのか」というポイントにあえて焦点を当てていないからなんですよ。多分。



撮影も編集も、「いよいよこいつが姿を現すぞっっっ!!」と強調しているようには見えません。だからこそのインパクトなんじゃないかと思います。でも正直カメラワークのディテールはそんなに覚えてないからもう1回見たいです。個人的には…マン博士のキャストにはさほど興奮しませんでした。ケイシー・アフレックの方が100倍思い入れあるので。



これまでの展開では、広い意味での自然(あるいは物理法則)と戦い格闘してきた人類(その代表クーパーたち)ですが、この地で対峙するのが一人の人間のエゴなんですね。これもちゃんとそれまでの展開がフリになっている。だからこそ、RHYMESTER宇多丸さんも「2014最高の悪役はインターステラーのあいつ!」と絶賛しちゃってるんですよね。



第二の惑星でクーパーとアメリアは危機に陥り、絶望的な状況に叩き落とされます。その状況を切り抜けるためにクーパーが見せる勇気! 観客にも読み切れていなかった、彼の中にある決意の重さ。やっぱりこういう展開の作り方はものすごく上手いですよ。



ちなみにクーパーの決断はフリやタメがほとんど無いので、すごくかっこ良く見えます。そんな彼でも、魂を揺さぶられて意志が揺らぐ衝撃的な展開がクライマックスに用意されています。この役はマコノヒーじゃないと無理かな。



その頃マーフィは…父親が出発した頃の年齢を追い越し、ブランド教授の元で重力理論の研究を続けていたが、ブランド教授は死の間際に「自分は何十年も前に重力理論を完成させていた」「その結果重力の制御は不可能であるという結論に至っていた」「それを他人に公言できず、研究を続けるフリをしてきた」とマーフィに告白しながら、息を引き取る。



ここは涙を誘う演技力のぶつかり合いが見えつつも、「えぇー! だったらクーパーは、人類はどうなっちゃうのー?」と観客の心を揺さぶるポイントなんですよね。いつまでも物語が落ち着かない、それは立派な演出技術なんですけど、そこで本当に困惑してしまう観客もいたかもしれません。



なんとか生還したクーパーとアメリアはダイナミックな発想で第三の惑星(最後の希望)へ行く手段を確保します。この辺は宇宙物理学者キップ・ソーン氏の最新理論が組み込まれているのでしょう。ここも、理論を理解できるかではなく、そこに介在する強い意思、それを表現している役者の演技力などに注目すれば十分に見どころのあるシーンです。



簡単に言うとブラックホールのそばを通り抜ける事で推進力を得て航行距離を稼ぐという方法。しかしこの手法は「前進するエネルギーを得るため、後ろに誰かを残して行かなければいけない」というデメリットがある。TARSの乗ったドロップシップを犠牲にするという段取りだったが、クーパーも自分の意思でアメリアの乗る母船のために犠牲になり、ブラックホールの中に飲み込まれていく。ここで自己犠牲精神を描くか…。



この映画のプロデューサーにも名を連ねているキップ・ソーン氏はホーキング博士と並び評されるようなガチガチの宇宙物理学者らしく、ブラックホールに飲み込まれたクーパーの視点は、キップ・ソーンの意見を存分に組み込んだ異次元の映像体験が表現されていて凄い。このシーンのためにレンダリングソフトを新たに開発したそうです!! すごすぎて何がなんだかわかりません!!



チルの感想は「なるほど、これは3D映画には出来ないな」という感じでした。とはいえ圧倒されましたよ。そしてこのブラックホールの先で前半の地球シーンの伏線がバッシバシ回収されていくのです。怒涛の展開に頭の中グリングリンかき回されます。



そしてその展開がどこに落ち着くのかというと、とってもエモーショナルな結末と、宇宙の壮大さに人間のイマジネーションは立ち向かうことが出来るんだ!という大胆なメッセージ性なのです。



ハッキリ書くと、この映画、この物語において、人類は完全勝利します。曖昧な希望を提示するのではなく、完全なる勝利なのです。たった一人で第三の惑星へ向かったアメリアさえも救いの手が差し伸べられます。この結末、逆に凄いなあと思いました。どれだけポジティブなんだ! と、ノーランにひれ伏しました。



やっぱりこの映画は凄いですよ。ノーラン兄弟の脚本理論は完成度が高いです。ちゃんと牽引力をキープしているし、牽引力の原動力も次々とフレッシュなものに入れ替えていくところが上手い。巧み。そしてもちろん、ディレクターとしてのクリストファー・ノーランも真面目で素晴らしいです。



予告編の雰囲気だけで読みきれるほどこの映画は浅くない! 演技も良いし映像も圧倒的。ハンス・ジマーの音楽も最高です。今年の映画を語るのに外せない、一本です。まだ見ていない方は映画館へどうぞ! IMAX2Dオススメです!

サボタージュ

サボタージュを見ました。



http://www.sabotage-movie.jp/



監督は『エンド・オブ・ウォッチ』のデヴィッド・エアー。主演はアーノルド・シュワルツェネッガー


今回シュワ氏はDEAこと麻薬取締局の隊員を演じています。


近年、映画やドラマの題材としてやたらと取り上げられるのがアメリカ−メキシコ間の麻薬戦争。メキシコギャングの容赦無いやり口はモチーフとして新鮮で、様々な形でフィクションに影響を与えています。



DEAでも凄腕の面子が集まっているのがシュワ率いるチームで、彼らは潜入捜査を駆使してギャングやマフィアと渡り合ってきた歴戦の強者。とはいえメンタル的には法の執行者というより犯罪者に近い連中。



しかしシュワ演じるジョン・ウォートンは規律を重んじて、厳格なリーダーとして若いやんちゃ隊員たちをまとめる人格者。ブリーチャー(破壊者)というコードネームを持ちながらも、確実に結果を残すエリート。








しかしある事件をきっかけにブリーチャーのチームが崩壊していく。チームメンバーが次々と殺害され、無残な姿で発見される。エグすぎる手法、見せしめ的に展示される死体。ブリーチャーはチームの立て直しを図るべく、真犯人の痕跡を追って奔走するが…



あらすじはこんな感じなんですけど、まずこの映画を見ていて驚かされるのが、ジョン"ブリーチャー"ウォートンは、とあるギャングのアジトを襲撃する際にアジトに隠されていた金をチームでグルになって着服しようとするんですね。しかし隠し場所に辿り着いたら金は消えていた。一体誰が何のために!? そのフーダニット要素が物語の推進力を生みます。



現代的ヒーローに暗い過去はつきものですけど、この映画において純粋なヒーローは存在しません。まともそうに見えるシュワも着服を企てたアウトロー野郎ですからね。



つまりこれは一種のノワール系アプローチというか。ブリーチャーというキャラは、『エンド・オブ・ウォッチ』の警察官コンビのような純粋な正義感に突き動かされる主人公ではないんです。俺の金を奪った奴は誰だ!という動機で動いている。そこがシュワルツェネッガー主演作品としては新しいんですね。



こっそり盗もうとしていた1000万ドルが姿を消し、さらに殺人事件までもが発生して隊員たちは疑心暗鬼化。ブリーチャーはもう一度チームを叩きなおして再出発を図ろうとするのですが、さらなる死者が出て修復不可能状態に。かつての仲間同士で殺し合う羽目になります。



クライマックスでは斬新なアプローチを見せるカー&ガンアクションになり、壮絶な殺し合いの末に「真犯人」の正体が観客に明かされます。フーダニットを軸として展開するミステリ的なシナリオであり、なかなかの牽引力だと思います。



真相が明らかになった瞬間、自分が見ていた映画がなんだったのかを理解して、けっこうな興奮と感動に浸りました。オチもなかなかのノワールテイストでした。



色んな事情が噛み合った結果小さくまとまってる感はあるのですが、これくらいのチャレンジ精神を持ったシナリオが、現在絶好調なデヴィッド・エアーの手によって映画化されるのは歓迎すべきことだと思います。



当初のシナリオとオチについてはプロデューサーがNOを出し、現在のバージョンとして固まったらしいですが、本来どのような展開でどういうオチにしようと企んでいたのか気になるところです。改変を経てもなお刺激的な作品になっているこの映画、なかなかの珍味ですけど悪くなかったですよ。



ガンアクションはかなりリアル系で好印象。First Peson Shootingゲームが好きな私ですけど、前作エンド・オブ・ウォッチに引き続いて銃撃戦の緊迫感を描く手腕は流石だなーと。カーアクションも「町中でカーチェイスした際のリアルとは何か」についてちゃんと回答を用意していてエラいです。というか爆笑しました。



予告編でシュワ氏がつぶやく「ぶっ殺してやる」という台詞が良い意味で効いてきます。ノワール系アクションが好きな人は是非ご覧ください。こういうのこそデヴィッド・エアーの作風なのです!

イコライザー

イコライザーを観ました。2014年11月1日、渋谷シネパレスにて。
2014年11月1日に見るべき映画はこれだ! というエントリを書く際に3本の作品を選んだわけですが、そのうち『イコライザー』についてはどう考えても紹介しなければいけないと思っていたんですね。



単純に評判が良さ気だし、予告編もクール。「19秒であらゆるトラブルを解決する」という設定はちょっと寓話的だなと思ったのですが、1日に上映される作品ラインナップの中では一際光っている作品でした。エクスペンダブルズ3はまあ置いといて。


この映画の概要については「これだ!」のエントリに書いたので、どんな映画じゃい?と気になっている方はそちらをご覧いただけると助かりまーす。







無駄な物がまったく置かれていないアパートで静かに生活を営む男・ロバート・マッコール。一人で食事をし、食器を洗い、シンクに飛び散った水滴をすべて拭き取る様子からは強迫観念に近いものを感じる。仕事場のホームセンターでも品行方正な人間性で厚い信頼を得ている。


不眠症の彼は毎夜午前2時になると24時間営業のダイナーへ向かう。そこで毎晩会うのが若い娼婦のテリー。ロバートはダイナーでいつも古典文学を読んでいる。イヤホンで音楽を聴きながらはしたない体勢で食事を摂っているテリーだが、毎晩顔を合わせるロバートに徐々に心を開いていく。何気ない会話の後、テリーは体を売る仕事に出かけていく。


やたらデブった客との夜を過ごしたテリーが顔にアザを作ってダイナーにやってくる。不安気な様子のテリーはマッコールの向かいの席に座り、自分の身の上話を語り始める。自分には歌手になる夢があること。テリーは偽名で、本名はアリーナだということ。「素人の録音だけど聴いてみて。感想を聞かせてほしいの」と言ってロバートにCDを渡す。


2人で夜の街を歩きながら帰宅する途中、リムジンに乗った男がアリーナの目の前に現れる。スーツ姿の男が降りてきてアリーナを叱責し、殴りつける。「この女はダメだ。他にもいい女がいるから欲しかったら電話しな」と言い、ロバートにコールガール派遣用の名刺を渡す。


その晩以降ダイナーに姿を見せなくなったアリーナ。ロバートは彼女の行方が気になるものの、あくまでも自分のペースの生活を続けている。数日後ロバートは、アリーナが激しい暴行を受けて病院に入院している事を知り、一度捨てたはずの過去の自分が蘇るのを感じ取っていた…


序盤のあらすじはこんな感じなんですが、あらすじとして書くには適していない何気ない日常描写に心を揺さぶられます。特にアカデミー賞俳優デンゼル・ワシントンと、人気ナンバーワンのティーン女優クロエ・グレース・モレッツ(『Kick-Ass』のHit-Girlとしてブレイク)の会話が、予想以上に良かったです。


ダイナーで『老人と海』を読んでいるロバートに「魚は釣れた?」「ああ釣れたよ」「じゃあハッピーエンドなのね」「そうでもない」と続いていく会話は、まだまだ無垢な存在であるアリーナが断片的な情報から思いを馳せ、何かを得ようとする(ように見える)様がとても感動的。これがキャラの権威付けとして定番すぎる聖書の引用だったりすると、どうしても新鮮味は無くなるんですよね。


ロバートは『老人と海』の他に「騎士のいない時代に騎士であろうとする男の話」(つまりドン・キホーテ)の話をするのですが、そこでもアリーナは「まるで私みたいね」と悲喜こもごもなリアクションを見せます。娼婦でありながらも一縷の望みを抱いて歌手を目指す彼女のキャラクターを掘り下げるため、古典文学をメタファーに使うというシナリオ上のテクニックが、セオリー的とはいえとても上手いと思いました。


一方で、ホームセンター店員としてのロバートの描写もナイスなんですよ。


ロバートが最も深く関わる同僚が、デブ体型のラルフィ。アメリカではガードマンになるための試験があるらしいのですが、ラルフィがその試験を受けると知ったロバートは食生活へのアドバイスや、フィジカルトレーニングの指導まで受け持っています。この辺の描写を見ている時も「終盤になって伏線として生きるんだろうか? 生かしてくれよ?」と思ってたのですが、理想的な形で回収してくれて最高でした。


テリーに対してもラルフィに対しても「君はなりたい自分になれるんだ」「正しき事を為せ(do the right thing)」と、あまりにもストレートな激励を投げかけ、くじけそうな心を常に支えようとし続けるのです。テリーが「そんなの私の生きる世界とは違うわ」とぼやけば、「ならばその世界を変えろ(change your world)」ときっぱり言い切ります。


これって、キャラクターに陰影を感じさせてこそ感情移入が出来る、という近年の常識に対するカウンター/メタ的なキャラ造形なんですよね。ロバートというキャラクターは求道者や宗教家、聖人のような存在であり続けるんですよ。非常に斬新なアプローチだと思います。


そしてその造形を作り上げたのが、ロバートが背負う暗い過去なんですね。信じがたいくらいに完璧な人格を全うすることでしか彼は過去の自分を忘れることが出来なかったのです!


…泣けますよね。


この捉え方は私の拡大解釈かもしれませんが、そういう意図があってこそロバート・マッコールという、今時いびつなヒーロー像が出来上がったのだと思います。このアプローチこそが、この映画を傑作にしている要因なのです。


そんなロバートが、アリーナを暴力で支配するクズ野郎共をどうしても許す事ができず、売春組織の元締めに会いに行きます。98000ドルを払うからアリーナを自由にしろと提案するも、ポン引き軍団から一笑に付され破談。


ここでロバートは「このまま帰るorぶちのめす」の二択にジレンマを覚えます。ドアの前まで歩みを進めるものの、ドアを開けたり締めたり開けたり締めたり。しばらく迷ったあげく、ドアを締めて施錠。正義のために踏み出すことを決断するのです。


予告編を見ればポン引き軍団が速攻でぶちのめされるのは承知済みなんですが、ここでロバートが躊躇することで、彼が持つ底知れぬ戦闘能力を想像できるわけですよ。こういう演出が『必殺仕事人』的キャラクター・ロバートのイメージをどんどん増幅していくんですね。


ここのポン引き軍団ぶちのめしシーンは腕の動脈や首の頸動脈、ノド、眼などの急所を次々に破壊する様子が『アジョシ』的で爽快です。カット割りが早く、デンゼル・ワシントンの無表情っぷりがアクションの凄みを極限まで引き出していて素晴らしいですね。


アクションの直前に「こいつらを全員ぶっ殺すのに何秒かかるかな」と予測する描写があるのですが、これはトップアスリートがZONEに入った際に視覚情報がスローモーション化するのを再現しているそうですよ。


ちなみに「どんなトラブルも19秒で解決」みたいなコピーは予告編だけの無意味なウソです。ポン引き軍団をぶちのめすのに「16秒かな」と予測し、結果的に28秒かかって「28秒マイナス9秒は19秒…」とつぶやいている(特に意味はないセリフだと思う)のですが、その後は19秒設定まったく関係なくなります。


その後ロバートは、ラルフィの母親の店からみかじめ料を取り立てるクズ刑事や、ホームセンターのレジ打ちおばさんに銃をつきつけてきた強盗を成敗するなど、ヴィジランテ系殺人マシンとしての顔を存分に見せつけてくれます。しかしロバートは、自分の表の顔を知っている人々には自分の真の姿を見せることはないのです。


レジ打ちに対する強盗が現れた時も、一旦強盗を逃しておいてから後で成敗。強盗に奪われたレジ打ちおばさんの指輪を取り戻し、レジの中に戻しておくという控えめなヒーローであり続けるんですね。


そしてそのヒーローとしての活躍っぷりは、時に観客からも見えないところで行われる事が多いのです。画として見せることなく大胆に省略することで、新鮮な印象を残しながらストーリー展開上の弛緩を避けている。


レジ強盗を退治する様も完全にカットされているのですが、「ロバートがホームセンターからハンマーを持ち出す」「おばちゃんがレジの中に自分の指輪を発見して喜ぶ」「ロバートがハンマーに付着した血を拭いてからを店の棚に戻す」という形で表現されてるんですね。必殺仕事人的な裏の顔を描く手法までもが密か・厳かなんですね。演出に一貫したテーマ性を感じます。


その省略手法はロシアンマフィアが所有するタンカー船を爆破するシーンにさえ及び、その大胆さはもはやギャグの域です。


売春組織を壊滅させたロバートはロシアン・マフィアの恨みを買います。本国から送り込まれてきたトラブルシューター・テディが悪役としての存在感を発揮します。このヒール役テディが、組織にケンカを売った不届き者=ロバートについての情報を収集する様子が、ロバートの生活&ヴィジランテ活動の描写と交互に描かれるようになります。


冷徹でありながらも裏表なく暴力的なテディと、紳士的でありながらめちゃ強いロバート。対称的な2人が徐々に距離を縮めていきます。ロバートは後先考えずに売春組織をぶっつぶしたわけではなく、ビルの監視カメラ映像を全消去してから現場を去っているので、ロシアから来たテディも手を焼くんですね。それによって映画に牽引力が生まれています。両者はいつどのような形で出会い、どのような結末を迎えるのか?


戦闘能力が異様に高く、かつての同僚である元CIAの夫婦の協力も得るロバートですが、彼らから得るのはロシア人に関する情報だけで、ケジメはすべて独力で付けようとするのです。「彼(ロバート)は協力してほしいんじゃない。許可してほしいんだ」というセリフは最高にシビれましたね!!


リタイアしていた元工作員が友情パワーで悪に立ち向かう…という定番展開を裏切った瞬間、この映画がスーパーヒーロー映画であることが分かるのです!!


マフィア側に自宅を突き止められたロバートですが、アパートに監視カメラを仕掛けてマフィア連中の情報を収集。なかなか決定的な情報がつかめないロシアン・マフィアは、ロバートの勤務先の同僚たちを人質に取って脅迫してきます。


完全武装なロシアン・マフィアとの対決に挑むロバート。決戦の場はホームセンター! 何の武器も持たず、様々な商品を駆使してマフィアと渡り合うロバートの姿はDIY精神を体現する新機軸のスーパーヒーローにしか見えないのです。


唯一のピンチとして、格闘する中で敵に刺される場面はあるのですが、それ以外は無敵状態。マフィアを次々に仕留める手口はスラッシャー映画の怪人のようでもあり、リアリティからは浮いた存在になります。要するに、強すぎ


怪我を負ったロバートの元に現れるのが、無事試験に合格して正式な警備員となったラルフィ。警備員試験前の特訓でつちかった腕力でロバートを引きずって善後策を求めます。怠惰だったラルフィが、友人たちを守るために勇気を振り絞る。いい伏線回収です。



伏線回収といえば、顔のアザについてロバートに訊かれたアリーナが「Something stupid.(ドジったのよ)」と答える場面があるのですが、その後のシーンで、手を怪我している事について訊かれたロバートが「Something stupid.」とアリーナの言葉を真似るところにグッと来ました。自分の素性を明らかに出来ない2人がリンクする瞬間。泣けるやん?


ライバル的な存在と思われたテディ(本名はもっとロシアっぽい名前ですが忘れました)も、スーパー化したロバートの前では力不足。追い込まれたラルフィにとどめを刺そうとしたところで、背後から現れたロバートからネイルガン(釘を発射する銃)を撃ち込まれて、テディお陀仏。クライマックスでの存在感の無さは同情の余地あり。


しょせんはネイルガンなのに、それを食らうテディのリアクションはショットガンを撃たれたみたいだし、ロバートがネイルガンをリロードする様もこれまたショットガンみたい。ここまでやってくれるとブラボー!とかハラショー!とか言いながらスタンディングオベーションしたくなりましたね。ヒーローの描き方として理想的な画作りでした。


テディを倒して人質も救出。さあ後はハッピーエンドへ…と思ったら、テディの上司であるロシアン・マフィアの大ボスをぶち殺すシーンまで描いていて、その徹底ぶりには笑いをこらえるのが必死でした。


すべてを片付けた後、全快したアリーナがロバートの前に現れてまっとうな生活をスタートさせたことを告げます。そしてロバートは例のダイナーに戻り、いつものように本を読みながら、「webサイトで助けを求める人々の声に応える」という"偽りのない自分"を手に入れ、物語が終わります。


様々なスーパーヒーロー映画が生まれている昨今、このような形で新種のヒーロー映画を生み出す事を選んだアントワーン・フークア監督。そのセンスというか、時代感覚に脱帽せざるを得ません。


勧善懲悪という言葉がこれほど綺麗に収まる作品も珍しいですし、その世界観を実現するためのロバートというヒーローを創り出した、その大胆でありながらストレートな手段に驚かされました。シナリオにひねりがないと評する声もあるみたいですが、メタ的に凄く斬新なことやってますよ。


クロエ・グレース・モレッツの出番の少なさに拍子抜けする部分はあったものの、前半の濃密な芝居だけで映画に十分貢献しています。それにしてもアリーナの歌は聴いてみたかった!


ロバートを演じたデンゼル・ワシントンの芝居の凄みは言うまでもありません。クロエとのタイマン芝居勝負は、この映画のどのアクションシーンよりもスリリングでしたよ。中でも珠玉のシーンと思われる場面がYouTubeで公式にアップされているのでそのシーンだけでも見てほしいですね。名台詞"Change your World"につながる一節です。



デヴィット・エアー脚本による『トレーニング・デイ』とは全然カラーの違う作品ですが、デンゼルさんのシブ〜い魅力を十分に堪能できるイカしたアクション映画! これは見なきゃ損ですよ。オススメでーす!